【受講生専用】ありのまま笑育学 振り返り感想シェア

第24回 ありのまま笑育学を振り返る

今までの講座を振り返りながら、あ~こんなこと思ったなあとか、その時の自分の気持ちも一緒に思い出していました。
あらじんさんの講座を受けた次の日は、日常のふとした時に、学びがつながることがめちゃくちゃあって、たくさん気づかせていただきました。
今どんな気持ちで過ごす?
今、幸せだなあ、気持ちいいなあ。
日常にそう思える気持ちが少しでも増えていくようにしたいです。
意識は現実化する❣️
自分がどんな意識をしたいか、何を大切にしたいかをたくさん学ぶことができました。
ひとつひとつの講座が私にとって必然であり、ありがたかったです。
あらじんさんがありのままでいてくれたから私はとっても心地よく学校に通えました。
たくさん笑って、たくさん泣きました。
大人になってこんなに素敵な学校に通えたことがめちくちゃ幸せでした。
あらじんさん、みなさん、本当にありがとうございました。
またあらじさんとみなさんに逢いたくなりました。
(三吉順子さん)

今までの講座を振り返りながら、一番感じたことは、講座全部が私の今の生活に直結したと言う事です。
そして、自分を認めることができたのは、仏教だった。納得して、素直に聴くことができました。心臓がいくつあっても落ち込んだ日もありました。
困難を克服する活力を与える力、共感的に関わり、支援と協力を皆さまがしてくださったのは、間違いないです。
最後の並木さんの講座のあたりは、幸せでみんな繋がってるよって、イメージがつながり、とても幸せな気持ちになり、講座を終了することができました。❤️
意識は現実化する。その通りです。こんなヒントをもらい、こひしたうわよを、意識するだけで幸せな気持ちになれるし、寂しい気持ちに逆戻りの時もまだあります。
人間ですもの。その度に、課題の分離をして自分と向き合い、瞑想で懺悔をし、生きとし生けるものの幸せを願い、慈悲心をもっと育てて、毎日を過ごしていきたいと思います。
今の気持ちは、ただただ、皆さまとまだまだ一緒にいたいだけです。会話などなくても、講座に出てるだけで、後半は特にホッとして、自分の日常に学校があるのは幸せでした。
昨日の自分より、今日少しでも、笑顔で楽しい日がすごせたかな?って、自分と対話しながら人生穏やかに過ごしていきたいです。
サミットで、早くみんなに会いたいです。
それまで自分磨きしときます
あらじんさん、皆さま、ありがとうございました。毎日でも逢いたいです。
(畠山由香理さん)

24講座を通して、仏教も、アドラーも初めて触れる事だったので、聞き慣れない用語についていけない日々もありましたが、一つ一つあらじんさんが丁寧に話して下さったおかげで、言葉の意味が少しづつ分かり、いじめられてた経験から、良い人でいようと、ハッチャキになってしまったり、悩みやすい、怒りやすい自分にとっては、腑に落ちる内容ばかりで、学び始めた当時、同僚に、グレーゾーンの方がいたんですが、時系列で伝えてこない話し方に凄く苛立ちがあり、分かってあげたいのに、イライラしてきてしまう自分にも腹が立ち悩んでいました。悩んだりするのは、ジャッジをしてしまったり、こうして欲しい、こうあるべき等思いがあるからという内容で、ストンと楽になったのが一番印象的な内容で、長年、自分の中で沢山沢山作っていた枠を今少しずつ、少しずつ、外れて穏やかに笑って生きていこう。どんな事、どんな人も受け入れられる自分でいたいと思いました。迷ったり、悩んだりした時は、愛と感謝エネルギー、本音と、【こひしたふわよ】を大切に行動していこうと思います。あらじんさんの明るさと優しさ、そして、暖かく素敵な皆さんと学べた半年間、とても幸せでした。又一緒に学ぶ機会があったらその時はよろしくお願いします(よろしくお願いします)半年間本当にありがとうございました。
(南部とも子さん)

この半年間、仲間と探求したありのままの世界。
とても贅沢でありがたい時間でした。本当にありがとうございました。心からの感謝を送りたいです。
私の半年間はジェットコースターのようでした。
上がったり下がったり自分の中んではいつも忙しい~~
それでも 見えないものを信じる力は強くなって 空気は澄んでいった。何があっても 大いなる母に抱かれ守られている感覚を 自然を信じることができます。
だから安心して 三次元を 執着にまみれた自分を味わう覚悟ができました。

私のひざに小さな傷があって。その傷は、好奇心ゆえに はやる気持ちから自分が走り出して 転んだ結果できたものだとわかっていても
転けたときは痛いし 涙もでるし ときどきじゅくじゅくと疼きます。
そして 大きな声で泣いたら 必ず友達が寄ってきてくれる。治るまで顔見にきてくれる。
傷を知らない友達も ただ一緒に笑ってるだけで 心地よく 癒され 傷がなるのが少し早くなる。
そしてときに血が出るとわかっていても 時々カサブタをはいでみたくなる。
また傷が大きくなる。
でも お気に入りの自分は 執着を手放し転ばないように歩く自分ではなくて、走り出して転んでしまう自分であるということを 学んだ半年だったように 振り返っています。
そして傷が治るまでの痛々しい時間は 自分のうちなる愛を育てるための時間だと。
転んだことを何かのせいにしたくない。そうやって仲間の力を借りて自分で癒すこと その間にうちなる愛情の泉をゆっくりゆっくり育てたい。

大いなる母と 自分のうちなる力を信じることができるようになったこと。
それが私のありのままでの半年間でした。
小さな日常のイマココに感動しときめきながら きれいな心で生きていきます。
自分の中に生まれた汚れさえも 愛を育てる大切な要素です。
次元が高いとか低いとかどっちでもいい。
私もきっと知らないところで 誰かの傷を癒す、自然や時間の一部となっていると信じます。
そして何かに縛られたりしない、自由です。
これが今のわたしのありのままです。

24講座 時々、勝手に不登校した12月 笑 
その時の感想はないけど 笑
全部の感想がわたしのタカラモノです。
ありのままに生きる学校 心から愛しています ありがとうございました。やっと言葉にできました~~~
(山本由起さん)

遅くなりました。もう一度、聞き直しました。
復習になりますが、結構、忘れているなぁと。アーカイブを見直して、定着させていきます。
24回通して、学び、気づきの多い講座でした。
仏教は新しい学びで、発見が多かったです。学びが心穏やかになるためのもの、というのが一番印象に残っています。
学べば学ぶほど、できていないなぁと思い落ち込んだり、イライラすることもありましたが、心穏やかになるを基準に考えればいいんだと考えています。夢など目標もやっぱり出てきますが、苦しみでない方向に、考えていけているような気がします。叶えるためには、弱いかもしれませんが、いつか叶う自分になれるようゆっくりでも進もうという感じかな。こひしたふわよに沿って、やりたくなったらやっています。自分の感情をよく観察し、穏やかな心に戻れるように意識しています。
新しい学び、発見、ありがとうございました。
考え方の幅が広がり、転機となる講座でした。
あらじんさん、学びの仲間の皆さん、ありがとうございました。
(清水大輔さん)

第23回 ありのままに生きる

ハイヤーセルフ
初めて聞いた言葉でした。内容は、感覚的に理解できました。花を飾った時
家族と笑い合う時、相手の深い思いを知った時、友達がそばにいてくれると感じれる時、ご飯を作っている時、一人で大好きな本を読むとき、自然の匂いを感じる時、仕事を終えて帰ってきた時、教室で子どもたちと他愛もない話をしているとき、ラボの子どもたちにあった時、
小さな日常に心が満たされて、ジャッジするとかしないとか、意識しないほどにしあわせな気持ちになります。
その時の感覚を思い出しながら聞いていました。
そして、学べば学ぶほど、大いなる母に抱かれていること、ハイヤーセルフと繋がっていることをやっぱり強く信じられるし、
だから、逆に、安心して、苦しいとか悲しいとか執着まみれの自分を3次元で楽しんだらいいなって、そこに戻っていくのも、また、よしで。人間らしくてそんなんも好き。
ジャッジする自分をちっぽけだなと情けなく思ったり。でも、それもまた私だし、ジャッジとか社会的価値とか、意識からなくなるほど満たされてる時もあるしお気に入りの自分でありたいと、自分との約束にこだわり律して行動する時もあるし
どれであっても、私は私を精いっぱいで今を生きる。
それはいろんな自分の小さな変化に気づくこと。自分の中の心地よさやときめきに意識を向けること。
自分のことを律したり、許したり、そうやって受け入れて、精いっぱいの愛情満タンで自分にやさしくいよう。
自分への愛の泉になって、自分で創造し、自己愛が湧き出してくる。そんなオーラが溢れるほどに。
そしてきれいに正直にありたい。
偶然、たまに、私の存在が誰かの役に立ててるなら それでいいかな。そんな想いが強くなりました
ありがとうございました。
(山本由起さん)

ハイヤーセルフとつながる
私は心理学を学ぶまでは、自分を大切にするという事を理解していなくて、頑張りすぎも分からず子育てを必死にコントロールしていました~。
自分を大切にする。自分の気持ちにアンテナを立てて、まず自分が感じきる。自分の気持ちを自分で抱きしめて、感じきることで
こ ひ し た ふ わ よ
の状態に近づける。
居心地の悪い感情がある時に、統合のワーク。この感情を手放す事。
今回動画で見たワーク、まずは真似てやってみたいと思いました。
出てきたら、感じて、手放す。玉ねぎの皮のように。
無くすのではなく、自分で自分のケアをできる。
素敵~って感じました。愛のエネルギーを私のハートがスポンジのように吸い込む。スポンジ吸い込むイメージが高まります。
とってもわかりやすかったです。人ってすごいですね。その人として生まれて、今この学びを経験できていることに幸せを感じます。
最近玄関掃除とトイレ掃除は習慣になっています。プラス床の水拭きを取り入れてます。朝気持ちよくスタートできています。心地よいスタート。継続頑張ります。学びに感謝です。
(野澤かなえさん)

ハイヤーセルフとアドラー心理学の繋がりも瞑想も‍♀️
知らなければ全て私は苦しんでいるだけだったかもしれない。
だけど、統合だったり
なんかな。
やっぱり自分に素直になったり、ありのままの自分を感じて蓋しないで在るが儘、わがままに生きると自分の身体と心が喜ぶ。
恋し慕うわよ 状態。心地よくて
同時に昨日の講座が終わって、おっと。この幸せはいつまで続いてくれるだろうかと、将来への不安と執着がひょっこりと顔を出した。
でも、それも統合の瞑想とやっぱり慈悲の瞑想で俯瞰して包み込んで受け止めてあげて消えていっちゃった。
今日の朝、その不安はひとつもなく、今日という今があることにまた、朝喜びを感じています。
命ってすごいなぁって。人って書いた山の下に一つの魂
全然な魂が不完全を経験するために降りてきて、叩かれて成長していく様が人生なのかなぁ。
なんて、命の漢字についても心地よく考えた朝でした。
(櫻井千尋さん)

「ハイヤーセルフ」は耳では聞いて、気になってた言葉ですが、講座を通して、本当の意味を知り、腑に落ちたのと、つくづくこの講座を受講して本当によかったと思いました。
ハイヤーセルフ=本来の自分と同時に5次元の世界。そこは愛と調和、平和の世界。私が心の奥底で望んでた世界である事と知り凄くワクワクしながら聞かせて頂きました。前回からの心の訓練を繰り返し、たどり着けたら良いなと思いました。
目の前の現実は自分が、作っている。確かに何かが起きた時や、何をしても上手くいかない時は、誰かや何かのせいにしがちでしたが、結局後から、自分が作っていた事に気付き、誰かや何かのせいにしてしまった事に自己嫌悪に陥ってしまってましたが、目の前で起こる全ては自分の責任と自覚を持って行動していこうと思いました。
自分を大切にするとは、自分に意識を向ける事。家族を始め、周りの人の事を気にしてしまい、自分の事は二の次三の次に気がついたらなってしまい、まだまだ本音をかくしてしまいがちですが、いつも自分に意識を向け、少しづつでも勇気を持って本音を出せたら良いなと思いました。目を醒まし、幸福言葉を使い、直感で行こうと思いました。
あらじんさん、皆さん、今回もありがとうございました来週でラストなのが名残惜しいです。
(南部とも子さん)

並木さんの世界が、今までの学びがあったからこそつながって幸せに感じました。
5次元にいる時の周波数、愛と調和の世界
こひしたふわよ(恋い慕うわよ)
この状態の時、ありのままの状態でいられ幸せな生き方につながっている。
私はこれをきいた時、あらじんさんの講座を受けている時にこの感情になるなあって・・だから、いろんなものを引き寄せて愛を感じられて心地いいんだって腑に落ちました。日常でも、そして何か選択するときにも、『恋慕うわよ』を自分に問いかけてみようと思います。娘にもさっそくシェアさせていただきました
スクリーンの話がわかりやすかったです。
自分が映しだしたスクリーン。現象自体に良い悪いはない。そう思う自分がいるだけ。すべての現象はすべて自分が作り出している。今の心がすべてつくっている。心次第。ということは映したいフィルムを自分でつくれるってことなんだなあ。
宇宙意識には、ネガティブな感情がないから私たちはそれを体験しにきた。
不完全を体験しきり、愛の世界にいたんだって気づいたら元にもどっていく。
この捉え方が、あらじん塾の時にいろんな感情を味わえた時、愛と感謝に変わるんだよと教えてもらったこととつながりました。
それと、不安、恐れ、絶望感・・そもそもこれを体験しにきてることが前提にあれば介入しなくていいという課題の分離につながったお話しもなるほどと思いました。
今までの学びがどんどんつながっていくのが楽しくて、自分がどう感じてる?何を大切に思う?って気づかせていただいています。
『恋いしたふわよ』の状態でいられたら、愛と調和の世界へ❣️
『慈悲喜捨、菩提心』で生きるものは、愛に包まれた世界へ❣️
目指すところは同じ世界で、その世界にみんなで行きたいと思いました。一人一人が本来の自分に戻り、ありのままで生きることができたら本当に幸せだなあと思いました。
今週もありがとうございました。最後の24講座の時間は笑顔で味わいたいです。
(三吉順子さん)

すごく面白くて3回聞きました。今までの学びがつながった話と感じました。
アインシュタインからきた、世の中ありえないことだらけも、考え方が広がります。

観測した時に確定する
事実は同じ
感情、捉え方による
量子力学、科学であることが面白い

100%引き寄せる
自分の心が映像化
自分の状態をどんどんよくしていけばいい
自己責任が腑に落ちてきた

最近、夢という言葉にワクワクしなくなってきたので、天命追求で自分の人生がどうなるのか楽しみに感じています。
結果を出すために、生まれてきたわけじゃないというのも、新しい視点で心が楽になりました。
最適化の世界を読んでみます。
高次元では、マイナス感情もなく、それを味わいにきた。
こひしたうわよに向かいそれを思い出していく。
ネガティヴ、失敗を経験しにきた。教えるということの根本的なことが違っていた気がします。
社会をよくするも同じ感情を持ちました。

すごく面白い視点をたくさんもらったのですが、同時に疑問もたくさん出ました。

1.闇は本質の光で照らす
同じ次元では戦いを増やす
次元を上げていくというのはわかったのですが、時間がかかると思うのです。
今まさに苦しんでいる人をどう助けるのか?
例えば、虐待
赤ちゃんは声を出さない。子どももこれが当たり前と思っている。これを助けてほしいか?協力してほしいか聞いてから助けるのか?子どもが親を庇う時もあり、助けてと言えない場合もある。

2.例えば野球で、その投げ方だと怪我をしてしまう。
本人は気づいていない。アドバイスせずに、怪我をして自分で気がつけばいいとなるのか?
自分はそれで痛い目にあったからアドバイスしてあげたいが…
自分がしてほしいと思うことをしてあげなさい、の考えはよろしくないのか?

3.自分のやりたいことの手前に楽しくないことがある場合は?
例えば医者になりたいけど、勉強は楽しくない。それでも一生懸命勉強して医者になって人の役に立てて楽しい。
スポーツなどはある程度の努力がひつようだとおもうのですが
こひしたふわよ
だけでいくと、楽しい手前で全てが止まってしまう気がします。
辛い先の楽しさ
最初は嫌だったけど、やらされて、やってみたら楽しかった。
などにたどり着かない気もするのですが、どう考えたらいいのでしょうか?
(清水大輔さん)

今回の講座は、今までの学びや、今までの自分の経験の中で、色々と考えさせられる講座でした。
色んな捉え方や、手段があるんだなと思いました。
私の中で、個々のコアな部分は、ハイヤーセルフとすでに繋がっており、結果には左右されないもので←神性かと。
これもまた、自分の意識次第で戻れる居場所というか、あるものだと私は認識しています。
人間は、何をしてもしなくても、やはり素晴らしい。
また、
見えないものに、どれだけ支えられているのか。。。
やはり、全て愛しかないとも思えます。
そこに気づかず、愛と捉えられない出来事が、気づかせてもらえるチャンスでは、あるけど、輪廻転生の中で構築してきた捉え方が個々にあるので、それをカルマと、呼ばれるのかなぁーとも、感じました。
その出来事から湧いてきた気持ちを八正道をもってみれたなら、カルマ解消になるのかな。。。
なんてーーー
今回も、ありがとうございました。
(森直子さん)

最近、並木さんの動画を見て、ハマりつつあります。

沢山の学びの中で、やはり、運ばれてく人生の中で、恋したふわよの人生が、愛と感謝の世界。そのためには、今の現状、行動、言葉、心の状態の一致。全くできてません。

それが今の私。あらじんさんが最後にくれた瞑想とかの訓練は、もう少し先で今は、慈悲の瞑想‍♀️をしながら、自分の心の状態に気持ちよくないことは、課題の分離をして、自分に合った楽しみを日常生活に取り入れていく。そこが充実してきたら、今回の瞑想訓練の学びにつながるのかなと思いました。ありのままに生きる学校が、自分の日常生活にあることに感謝しているならば、ごちゃごちゃ、言ってないで、実践です。焦らなくてもいい、自分は人と比べなくても大丈夫。高次元の世界はまだ先。今から、目の前のスクリーンがネガなら排除して、恋したうわよの挑戦です。

あらじんさん、皆さま、ありがとうございました

第22回 菩提心を育む実践

瞑想で涙が出るということにとても興味が湧きます。私は全くそのような気持ちの高ぶりがありません。きっと瞑想に至るまでの修行が足りてないのだと思いました。
①布施 コロナにかかったお友達のお宅にお寿司をつけて持っていったら、子どもに喜ばれました コロナに罹った遠くの友達のことも思いました。笑顔と心配りは自然体で、特に意識したことはなかったです。法施は、、できてるのかどうかもわかりません。
②持戒 あんまり思いつきません。学校の子どもにちょっとイラッとしてその場を離れた瞬間が一度ありました。 悪いカルマを積んだと思うときは、たった一瞬のことでも振り返って思い浮かぶもんなんだなと思いました。
③忍辱 前にも書いたけど、やってくる苦しみは歳を追うごとに大きくなっていきます。それは順調に人生が進んでいることと思っています。ただ通り過ぎるまで味わうのみです。 
④精進 これを徹底的に進めるのが精進とありました。毎日普通に行っていることだと思いました。
⑤禅定 今日学校を出るとき、なんとなく心が沈んでいるのを感じました。スーパーで買い物をしたときに330円の小さなお花が置いてあるのに気づき、いつもはそのコーナーはスルーするのに今日はもう一度レジに並んで花を買いました。そうすると心が満たされた気持ちになれました。花瓶に挿して部屋に置いたら沈んだ心が少し明るくまた真ん中に帰ってきた気がしました。
⑥智慧 ヴィパッサナーがどんなものかよく分からないけど、色をつけず透明な心でものを見ることは整った状態であることと捉えています。最近そんな感じであろうと思っています。
仏教の言葉で物事を振り返ると 難しさもあり、自分が到底及んでない気がするけれど、こうやって今日1日を振り返ると 普通に穏やかに日々やっていることであるような気もしてきます。
瞑想で涙はちっとも出ないけど 大いなる母に抱かれている安心感やぬくもりは大体感じられます。いろんな人と会議をしたり知らない人の中に入る機会も最近は増えましたが素直な気持ちで自分の思いを話していると思います。 私はイタリアンと4人が言っても私はフレンチが食べたいと言うと思うし、でもそこまでこだわりもないのでイタリアンがいいと言うかもしれません。でも、みんなが喜ぶならそれがいいと思えたらイタリアンと言っても身口意は整っているんだと思います。
必要な人と、いいタイミングで出会い、ご縁をいただいた子どもたちや大切なひとの、小さな灯でいられたら、それで十分しあわせです。
慈愛 感謝 ありのまま 私は涙は出ないけどいい気持ちです。でも「意味のない冗談を言わない」これが一番難しい!
(山本由起さん)

1番ショックだったのは瞑想しておけばいいと思っていたのに、その前提として、布施、持戒、忍辱、精進が必要ということでした。やっぱり修行は地道さが必要ですね。
①布施
自分の執着しているものを捧げる。お金もお布施することで執着が切れる。というのはなるほどと感じました。
怒ることも結構あるので、笑顔と心配りをもっと意識していく。
心安らかになるために、仏教の学びも伝えていく。
②持戒
ほとんどは幼稚園でも言われるようなこと。幼児でもできることを大人になってもできるか?が大事。衛藤信之さんから聞いたことがありますが、大切なことと改めて身に染みました。
③忍辱
変わることは抵抗があると思うのですが脱皮するためと思います。
④精進
コツコツ継続ですね。
まずはここまでを常に意識します。
⑤禅定⑥智慧
心穏やかにを常に意識。ゴールと認識していく。
懺悔、随喜、回向
大いなる母とのつながり。自分の中に神様。その安心感の中にいること。
自分が誰よりも悟って周りを救う。まず自分を満たす考えが、自己犠牲よりも取り組みやすく感じます。
新しい瞑想
1日の終わりの瞑想も取り入れてみて、心穏やかに過ごせるようにしていきます。
(清水大輔さん)

布施の例え話
財施・・・講座料を払いありのままの学校で学ぶ
無畏施・・笑顔で受講する
法施・・・学んだことをアウトプットする
わぁ~これってあらじんさんの講座を受けながら、お布施させてもらってる~って幸せになりました。ありがたいです
持戒の不妄語・・嘘をつかない
同居してる母が私が県外にいくことを心配するので県内と嘘をついて出かけていました。懺悔してもまた嘘をつくことになるなら懺悔しないほうがいい。私の欲を満たすためのものでなく、私の行いが何か母の喜びに変わることになればいいという考えがとても優しくて、嘘をついていた苦しさが少し救われました。身口意の心と行動を一致させるためにも、やはり嘘はつきなくないです。
講座中の懺悔・随喜・回向の初めての瞑想は部屋の電気を消してやってみました。真っ暗でもあらじんさんの安心する声と心許せる仲間のお陰で集中できました。私がイメージする至高者は大いなる母を思い浮かべました。自分でぎゅっとハグをした瞬間に胸が熱くなりました。ぎゅっとすると大いなる母が全てを受け入れてくれてるようで、温かく安心する感覚に涙がこみあげてきました。
久しぶりに般若心経絵本を読みました。仏教を学んだ今読んでみると全く感じ方が違いました。大海がさとりそのもので、大海は私たちの心にある。宇宙全体がひとつの命。梵我一如にも六波羅蜜の智慧ともつながりました。私たちは大いなる母の胸に抱かれその愛に包まれて生きている。あらじんさんが、愛に包まれてるという感覚になったときに涙が出ると話されているのと重なり、私もそうだなあと思いました。
私の覚悟
和顔愛語を実践し、穏やかな心で生きる。
精進します。
全ての生命が幸福でありますように
安穏でありますように
今週も気づきや発見がいっぱいでした。ひとつひとつの講座が温かくありがたいです。
(三吉順子さん)

私も、今回の講座での学びで、一番嬉しいかったことは、素直な気持ちで瞑想を聴くと、自分の心が安らぎ、次の日に、お告げがある事です。
あと、お講座を学ばせていただく事が財施になると教えていただき、安心がありました。
毎回、講座に落ち込み、次の日に復活します。初めて学ぶこと受け入れてから次の日に教わると、内容も少し違ったり。
カルマを受け入れ、わりきって、穏やかな生活を求めたいなら、ひたすら堪えること。なっとくで、今、瞑想して、懺悔して、これからの人生に繋げたいです。
新しい気持ちで、笑顔で残り二回悔いのないように、楽しみたいです。  
あらじんさん、皆さま、心って大切ですね。ありがとうございました。
(畠山由香理さん)

先週も、学ばせて頂きありがとうございました。
その学びがあった中での、理恵ちゃんの瞑想の話だったので、理解がより深まりました。ありがとうございました。
自分の中で、カルマの捉え方を学ばせてもらいました。
私自身は、今までの輪廻転生の中から経験してきた業がある中での日常の行為や生活の中で、出来事の捉え方が、カルマと呼ばれるものなのかと、幼少から、勝手に思っていました。
振り返ってみても、やっぱ丁寧に自分を生き、生きとし生けるものを大切にしたいと思いました。
人間は、そもそも、何をしてもしなくても、素晴らしい存在。自分ができる事から、生活に活かしていきたいと、感じました。
(森直子さん)

前回の学びが好きすぎて、慈悲の瞑想と懺悔の瞑想‍♀️続けています。
今日は、コロナでずーっと、書けてなかった、日記に慈悲の瞑想を書いてみました。
息子達の話しかける言葉に翻弄されて途中文字を間違えて、、、あー。今ココに心あらずだな。と、途中から、声に出しながら書いていくと、間違える事なく、グーンとのめり込めました。
懺悔随喜回向の瞑想‍。
毎晩優しさに包まれて最後眠りにつくことが出来ます。
涙がとめどなく流れる謎の瞑想。
まだ、手離せない、覚悟があるんだなぁと考え、、、
それも頭の中で思考しながら、今日は玄関タイルを磨きました笑笑
コロナに感謝。
一切の現象は、無常であり、無我である。
太陽の光が全ての生命を妨げなく照らすように、慈しみを育み、今日も隅々掃除しました。
あぁ。こんなに汚れてたんだなぁと。土の存在にも靴にも、埃にさえも、今日は、思いを馳せれた1日でした。
無罪の七施
子どもの笑顔は、眼施、和顔施そのもの
その学びに、今日も手を合わせ、一つでも出来た自分にまた瞑想したいと思います。
(櫻井千尋さん)

第21回 心の訓練に関する七つの要点(後半)

#エゴイストプラチナム
#僕も狙っていた香水
#CHANEL
#いきなりそこかい
今回も有り難うございました✨
#今回も濃いな~

日々訓練✨
怒りの話がありましたが、志事で怒りが湧いてくる時が多々あります 
#幼稚
これ言うの何回目だよ。いやそれ、他責にしてんじゃん。等々…。
そんな感情が出てきた時には、まず自分の怒りの感情を感じ、「さぁ、どうする?怒りを使う?他の方法を使う?どっちを選択する?」と自分に問いかけます。
そして、
「この人も今の全力を尽くして生きている」
「菩提心を鍛える機会を与えてくれている」
と言い聞かせ、自分の行動を選択するようにしています。怒りを使う時もまだあります。
エゴが怒りを生み出しているよな~と実感する日々です。
以前ならそんな風に捉えられなかったですが、そんな風に捉える自分がいます。
日々自分に起こる出来事が、「どれだけ慈悲の心で生きているか ?」や「エゴに氣付く」訓練となっています。
#エゴの絶望的な強さ

エゴの放棄と四無量心✨
エゴを正当化する自分もまたまだいますが、この2つを実践する決意を強く持ち、生きます✨✨
ここ3日ほど体調が悪かったのですが、慈悲の瞑想のお陰で「この苦しみが自分に来て良かった」と想えた裕生でした
#この捉え方でいいのかな?
今年の節分は「鬼は~内。福は~外」でやろうかな?
(知原裕生さん)

今朝は冬の晴れ間が覗く気持ちのいい朝です
今の瞬間に感動する気持ちがいつもあるといいなと思います
大切なひとを愛する気持ちを持っていたい
見返りは求めないで、その大切な人が少しづつ広がるといい
誰かに怒りを向けたくない
傷ついても恨みたくない
人に誠意を持っていたい
目の前の人と笑っていたい
だからと言って、できない時があっても自分を責めたり嘆いたりしなくてもいい
また心のトレーニングに戻ればいい
アピールはしてもしなくてもどちらでもいい
おっきいことでなくてもちいさいことでも、寄り添う心があるといい
そんな人になりたいです
だから、今日も精いっぱいでいよう
自分の中に生まれた小さな怒りを見逃さないようにしよう~
おひさまが眩しい
水曜日も木曜日もありがとうございました
(山本由起さん)

エゴについて
生きること、世の中がよくなること、すべてがエゴだと考えたら本当にエゴしかないなと思いました。この世はすべてエゴで成り立っている。食べること寝ることもすべてエゴ。
それをわかった上での菩薩ごっこ。確かにそれで良いしそれしか出来ない!って思いました。
今の私は菩薩ごっこすらままならない。
刹那で感じ、慈悲の心で回向し、トンレンする。
トンレンをした時のエクスタシーを感じてみたいと思いましたがだいぶ修行が足りません。
これらを意識することって、結局自分のことに集中してるから、今ココで影響の輪が広がっていくってことかなぁ~✨って思いました。
日々、修行。精進します。
(清家奈緒さん)

たくさんの学びがある中、あらじんさんから仏教を学べたことが本当に奇跡でありがたいと思える時間でした。
3講座に詰まっていた心の訓練は菩提心、慈悲の心をいかに育てるかにつきるんだと思いました。
何よりこの教えが1000年?ほど前にあったということが驚きでした‼️
菩薩ごっこの考え方が楽になりました。
人間に生まれてるということはエゴがあるということ。100%のエゴが菩薩ごっこをしながら、少しずつでも慈悲心にすりかわればいいなと思いました
例えば、菩薩ごっこで『怒らない人』になりきるなら、どんなことがあっても怒らない。それをいつも演じていればいつのまにか全てを受け入れられる心のひろい人になってるかも。そう考えると、なりたい自分を演じる菩薩ごっこの考え方が面白いと思いました。あらじんさんが、自分にあったやり方を取り入れるといいよという言葉も優しく、やりやすいことから始めてみます。
心の訓練を実践していくことは、心の習慣になり捉え方、在り方、生き方につながると思いました。どう在りたいか、どう生きたいかって、心の捉え方で変わるなあ。学びが知識だけで終わらないように、慈悲の瞑想、心の訓練を短い時間でも続けていきたいです。
朝はあらじんさんの瞑想から始まり、夜は心地いい子守唄になっています。
今週、今までなら不安に思う出来事が起こりましたが、あらじんさんの今までの学びのお陰で穏やかにかかわることができました。
慈悲の瞑想を聴いていると勇気づけのメッセージにも思えました。すべての出来事が必然でありがたい。
あらじんさん、みなさんありがとうございました。
(三吉順子さん)

第20回 心の訓練に関する七つの要点

ブレイクアウトルームで、実践あるのみだねって話になります 今は、瞬間瞬間、意識して生きています
教室に入った時、ラボが始まる時、その空間にいる先生や子どもたちの黒い不安のかたまりを吸い込みます そしてキラキラした白い風を送ります そして私の背中からそこにいるすべての人を包めるくらいの大きな羽を生やします そして包みます ただのハグのイメージです
私、そうやって黒い不安の塊を吸い込むことは全然怖くありません すごく簡単に考えているだけなんだと思います こういうことを伝えることもなんだか気恥ずかしかったけど、そんなこともなくなりました
菩提心 大袈裟なことは何もなく 笑顔で話してるだけでいいと思います その笑顔は作ったものではなくてあふれてくるものだといいなと思っています だから私が泉で、そこから愛が溢れてくるように私は自己否定はしないって最近は決めています ちっぽけなときや寂しくていじいじしていても許すことにしました 自分への愛が湧き出すような人になりたい そして、見返りを求めることなく愛いっぱいで生きたいし、慈愛にまみれて死にたいです それ以外は適当で大丈夫にしています わたしの先生にはアホでいるくらいがちょうどいいと言われます 誰かがわたしを陥れようとしたり誰かに利用されたとしてもそんなことは許せばいいと。人からどんなふうにみられても、気にすることはいらないんだなって、大切な人を信じ続けてみたい そうやって生きて死んでいきたい
最近の私は 大切な仲間と歌と少しの花があれば心って潤うんだなって思っています 大いなる母に抱かれていると安心できます でも自分のことが好きでい続けるために、心と言葉と行動がズレるような汚いことはしたくありません 見えない本質を見ていたい そして自分を好きでいるために自分との約束を守れるように律していくことも大切だと思っています
今日、佳代さんがとてもきれいな人だなって思いました きっと私もそうであるからなんだなって思えました なんだかそれがとても嬉しかったです めぐちゃんとしおりとはたちゃんのいるブレイクアウトルームに心ほぐれました 大好きな人たちだなってまた、思いました いつもいつもありがとう
(山本由起さん)

昨日の講座、そして今日の動画でしっかり心に入りました。行ったことがそのまま帰ってくる。
カルマの法則
私が許す、戦わないと決める。この経験のせいでから、この経験のおかげと感じる。私が選択できる。終わりにできる。全て私から起きて私からなんだなーと心に響きました。
母との関係も少しずつ緩やかになっている自分を最近感じます。大いなる母のおかげのように感じています。毎朝朝日に向かって大いなる母を感じるんです。太陽が私を包み込んでくれるんです。
暮れに買い物に行こうとする母、風も強かったので、一緒に行こうと誘って子供達と買い物に行きました。ありがとうと喜んでくれて私も嬉しい気持ちでした。
自分のカルマを自分で受け取る。自分のカルマを受け入れて 認めて 許して 愛したいです。
知ったことで、私の心の中に大切に置いて意識していきたいです。
一歩一歩進んでいる自分を感じました。まだまだ伸び代たっぷりですが、カルマの法則を思い出しながら、自分を信じ自分を愛していきたいです。
そして、今この命は奇跡です。今こうしていること全て奇跡。奇跡をしっかり感じていきたいです。大いなる母に抱いてもらいながら、奇跡の命を感じたい、しっかり。
今回は体調があまり良くなかったので聴くだけでしたが。とても大切な学び感謝します。
(野澤かなえさん)

学びの基準!
たくさん学んでいくと自分が本当に大切に思ってることってなんだろう?そんな時・・
心安らかになってる?心穏やかになってる?というのは、とてもわかりやすい自分への問いかけだなと思いました。
今週、仕事で相談業務が多く、相談内容も胸が痛かったのですが、あらじんさんの学びのお陰で今までより穏やかに対応することができました。慈悲心の学びを知らなかったら、苦情の電話も何でそんな言い方するの?と怒りに変わり、聞きたくない!だけで終わってたかもしれない。あなたの苦しみが少しでも消えますようにの想いが日常でも意識できるようになりたいです。
知識がナイフになっていないか?
せっかくの学びをナイフにはしたくないです。何気ない言葉で相手を傷つけていてそれすら気づいていないかもしれない。自分の言動ってどうだったかな?ってチェックして念正智を実践したいです。そして、あ~あんなこと言ってしまったなあ。あんな態度とってしまったなあって、まず気づけるようになることから始めて懺悔してみようと思います。
美味しいものを食べたり、好きな人に会って楽しい時間を過ごすとやっぱり貪が出てなかなかコントロールできずに苦しくなっていました。自分の喜びの心を分け与えることで、人の喜びに変えられるときいてそれって苦しみが減るかもと思いました。諸法無常だから同じ幸せは二度とこない。だからその瞬間思いっきり楽しめばいい。幸せを思いっきり味わって、幸せを分け与えていたら、また幸せがやってくる。そんな現象って素敵だなと思いました。
あらためて、人間に生まれて、あらじんさんとみなさんと今ここで真理を学べてることがすごい奇跡なんだと思いました。ありがたい。仏教を学んでいくと慈悲心、菩提心って愛だなあと感じ、愛する心をもちたいと思うようになりました。日々の生活で意識し少しずつできることから始めたいです。
あらじんさん、みなさん今週もありがとうございました。
(三吉順子さん)

水曜日の講座を受講した時と、木曜日に受講した時では、気持ちの入り方が違いました。
トンレンと慈悲の瞑想を自分にしたんです。わたし語りが多いのは、自分に自信がないから。まだまだ自立していないんです。
でも落ちても不思議対話できてるんですね。自分はこれでいいのか?そこに戻ったら、嫌だとなります。慈愛の所で必ず涙が。
そんな時目覚めた朝に、不思議と、お告げみたいな現象があります。これは知識を入れても、実践あるのみ。グタグタ変な妄想をするより、全部幻だと。
木曜日は、頭がスッキリ。あらじんさんが、仏教を語り出したら、ワクワクする。慈悲の瞑想で、みんなの慈愛をもらったのかも。実践を続けて、慈愛と、自立を目指します。
今回は、なんだか勇気を頂けた講座でした。あらじんさん、皆様、いつもありがとうございます。
(畠山由香理さん)

あらじんさん、皆さんありがとうございました
講座の最初の方で、「学びによって心や生活が安らぐには実践しなきゃ、ただの知識になる」確かにそうだなと思いました。日々の生活の中で、特に私はコミュニケーションが苦手だったり、誰かと比べて、劣等感を感じ、〇〇さんの様な人になろうと、理想を求めていい人になろうと頑張ってしまったり、〇〇さんには何をするにも負けたくないと、負けず嫌いになってしまう自分が嫌でそんな自分と卒業したくて、(正にエゴですね(笑))ここの学びにたどり着いた気がしました。
兎に角笑顔でいる事と慈悲の心で居る事が自分や関わる全て人達は勿論、この世の全て生きとし生ける者の幸せに繋がっていくのかなと感じました。
頭や心で思って行動していく事はなかなか難しいので、引き続き、トンレン瞑想を毎日習慣化し、どんな人にでも、愛と感謝の気持ちで接する事ができたら良いなと思いました。
(南部とも子さん)

学びとは心穏やかになるためにするもの
確かにと思いました。学んで現実とのギャップで苦しくなることも多々あったので、核心を突く言葉に思いました。
人間に生まれてきたこと、仏教に出会えたこと
それだけでも奇跡。せっかくなので、この学びを活かしていく。
今回の内容は良いカルマを積んで、悪いカルマを落としていく。慈悲の心を育てていく。それに尽きると感じました。
笑う、いい言葉を使う。不可能なことではなく、意識すればできることを日々積み重ねていく。
福島正伸先生の言葉が腑に落ちることが多いのもうれしいです。
叱るがなくならないと暴力はなくならない。確かにそう思います。叱るでダメなら、軽い暴力。効き目がなくなったら段々強くするしか無いですね。
生類憐みの令は仏教の考え方から来たのでしょうか?そう思うと無茶苦茶な法律でもなく、人々の幸せを願ったのかもしれないと思いました。
夢と宇宙、天命の話が面白かったです。天命の夢は叶う。天命から応援されない夢は叶わない。宇宙を信じなければ、宇宙が怒る。宇宙が味方をしなくなる。頼まれごとは試されごと。来たものを大切にやっていけば、夢は叶う。今を生きる意味なんだなぁと感じました。
もっともっとではなく、とにかく今を楽しむ。真理を知っていると知らないでは、苦につながるのか大違い。
トンレンはできていないので、慈悲の瞑想の時に意識して取り入れていきます。
現象は全て幻。自分で作り出して、自分で操るというのも面白い考えでした。
逆境への考え方も福島正伸先生の言葉と同じだと感じました。とにかくとらえ方ですね。自分が成長するためのプレゼント。
自己犠牲はエゴが強いから。人を助けるのが最高の幸せ、喜びは、なかなか思えませんでしたが、エゴがあるからと聞くと、なるほどと思えました。
ざんぎの念で凹むのは喜ばせたいから。喜ばせようとしている心があるから、幸せにしたい心の表れ。この言葉はすごく楽になります。
(清水大輔さん)

もう、めっちゃくちゃ良かったです!
あらじんさんのたくさんの学びの中から準備してくださってる講義に対して、良かった!なんて言い方をしておこがましい限りですが。
そりゃもう、どえらい良かったです!
話を聞いてるうちに、どんどん心が穏やかになって、すーっと晴れやかになっていきました。
聞いてくうちに、気持ちがスッキリとしていきました。
そうだ。これだわ。慈悲の心だわ。 
ブレイクアウトルームで、もんちゃんの話聴きたいって伝えましたが、ほんとにみんなの話聴きたい。
でもって、私も話したいことが山積みだーーー!
サミットの何が好きって、みんなの話が聴けること。つながれること。自分も引き出されてしゃべっちゃうこと。
これも、カルマをおとすってやつじゃないかなぁ。
ありがとう!あらじんさん!
(梶野和美さん)

第19回 心を訓練する八つの詩〜菩提心を育む〜

久々のリアルタイムでの参加でした。
#出現率は天然記念物級

やっぱり皆さんと學べる事は愉しいです
最近の自分のテーマである「エゴ」と「慈悲」。
ある時、「全部自分が勝手に創りあげた世界や~ん」となり、すごく楽になりました。
学びを得て「全ての苦しみはエゴと執着か~。」と心地よい衝撃を受けました。
頭で解っても実際には、周りに指を向けてイライラしたり不機嫌になったりする事もあります。
でもその時に「あっ、勘違いしてた。全部エゴと執着だった。人は常に全力で生きている。全ての人は倖せになりたいと想っている。」と想えることで、す~っと心が軽くなり穏やかな自分に戻れます。
と同時に「氣付かせてくれて有り難うございます。」と感謝も出来ます。
こう想える状態は多くはないですが、常に自分自信を吟味し(念正智)、エゴの逃げ道を潰して生きます。
自分以外の衆生は母なる衆生。
自分のエゴを取り除き、慈悲の心を育んでくれる有り難くて素晴らしい存在。
毎日そんな環境に生きていられる倖せ。
これからも慈悲の瞑想や教えの実践を通して自分の心を磨き続けます。
人生最大の挑戦。
エゴを捨て慈悲の心で生きる。
(知原裕生さん)

8つの心の訓練は、5年以上意識して続けてきていますが
まだまだ慈愛の世界までの道は長く、上がったり下がったり忙しいです。体験することも年々ハードになっていきます。でもそれは順調に人生が進んでいることだと思っています。
苦しみは全て自分のエゴから生まれることも知っています。
だからわたしは誰のせいにもしたくありません。
そして本当は、人は苦しみは自分から生まれたとそれをどこかで知っているけど、すぐには受け入れられないから、受け入れられるところに行くまでに何かのせいにしてみたり、自分を責めたりしてるんだと思います。
だからもし、誰かが愚痴を言ってたなら、その人はその苦しみが自分から生まれたのだと気づき受けいれるための、愚痴という言動はただの通り道です。だからわたしは、そこに寄り添ってその人の事情を汲み取りたい。愚痴という行為は、正道でなかったとしても、その人の、気づきに向かうための大切な時間なのかもしれない。だから愚痴はダメと簡単にジャッジするのではなく、寄り添う心をもってみたい。そうしていると、嫌いな人がどこにもいなくなるのではなかろうか。私の尊敬すべき親しき友人たちはそうやっていつも私に寄り添って時間を使ってつきあってくれて、私は、私自身のエゴに気づき認め手放すことができるように思えます。その時間に感謝しかありません。
瞑想の時だけやってたトンレンも、生活のあらゆる場でやったらいいんだなって思いました。苦しそうな人や子どもたちが周りにたくさんいるようにも見えるから。
そして、私に「恩師」が現れたら、最大の敬意で接します。
慈愛の世界で生きる人を目指します でもそこにたどり着くまでのエゴとも仲良くしたり人への慈しみを忘れない。毎日の実践あるのみだということを改めて心に刻んだ回でした。ありがとうございました。
(山本由起さん)

今回の講座もありがとうございました。
とても考え深い内容でした。
つくづく思うのは、私はまだまだ知識が少ないです。
でも、この教えや、学びに対して、自分が反していないのか確認しながら、四無量心沿って生きていきたいと思いました。ただただ、知識を知っているだけではなく、日常の行為の中で、自分の心に根づかせて日々念正智して、自分のものにしていくことが1番大切だなと、思いました。
(森直子さん)

楽しみにしてた心の訓練。
心の訓練は方法論、対処法だよ。色んな場面に出会った時に知ってると役に立つよ~。
なんで?とか考えなくていい。分からなくていい。ただ、こう考えればいい。アドラー心理学の仮説の話でも、こう考える方が優しくなれるよね~の考えが好きなのと、同じだなと思いました。四無量心、菩提心を知って、愛と感謝であふれた毎日を過ごせたら幸せだよね~。
私は考え過ぎると余計にわからなくなるので、できることをとりあえずやってみよう。やってみて心がどう感じるんだろうって感じてみよう。瞑想を始めたのも心地よかったら続ければいいし、苦しければやめればいい。トンレンをイメージした慈悲の瞑想は続けられています。あらじんさんの誘導瞑想のおかげです。ありがとうございます
色んな学びがある中、心の訓練の学びに出会えてありがたい。今までの学びがぎゅーっとつまってる感じです。苦しみが少しでも減って、穏やかな時間が少しでも増えるといいなあ。できなくても知ってるだけでもちがうなー。
八つの詩の中に初めてきく言葉もでてきたけど内容をきくと、そんなに難しいことではなく、アドラー心理学や今までの仏教の学びにつながってると思いました。
執着をなくそうとするのではなく、慈悲心をもつと執着が消える!ここの考え方がすーっと入ってきました。四無量心の慈悲喜捨はひとつひとつが相手を慈しむ想いが温かい。日常で誰かを思える瞬間がもてるようになれたら幸せだなって思いました。あと、自分が苦しい時は、私は幸せでありますようにと息を吸って、嫌な感情や苦しい感情を吐き出せば、自分も楽になり穏やかになれそうです。
同じ苦しみは全部自分にこい。これはできないなあと思いました。でも、できるようになれたらいいなと思いました。これって、前にあらじんさんが言われてた『いたいのいたいの飛んでこい』ですね。飛んでいけではなく、飛んでこいって言える人になりたいな。仏教は愛ですね。
今回の8ページのテキスト✨
なるべく私たちがメモしなくていいように。あとで読み返した時に意味がわかりやすいように。あらじんさんの愛がうれしいですありのままに生きる学校、残りの講座を丁寧に味わい心で感じたい❤️
あらじんさん、みなさんありがとうございます。
(三吉順子さん)

今回の学びで感じた事は、瞑想をして、常に自分の心をチェックすること(行動、言葉、心)
そこと、自分がまず幸せである事、どれだけ、今奇跡で生かされている自分が素敵な事だよ。って思えるようになったのは、慈悲の瞑想です。
あらじんさんから頂いた、トンレン瞑想は、今はまだ途中で泣きながら寝てしまう状態です。
でも、ようやく、自分の思う辛い現象を、勘違いが、ほとんどの場合が多い。七、八割が現象であるってわかってきたところで、やっと今の自分でいいと、自分を好きだと口に出して言えるようになってきました。
自分を慈しみの心を持つと、他者を慈しむことができる。
自分でエゴはとれません。
相手に対する思いやりを持てば、心は、ゆったりとした広いものになる。
トンレン瞑想と、慈悲の瞑想で、共同体感覚を学びたいです。
もう、感じ始めてます。自分は、ひとりぼっちなんて、感じていた事がなくなってきたら、いろんな自分に、嫌味を言ってきた上司さえも、気にならないのが不思議でなりません。
動画で、無知な人は実践しやすいと、語っておられたので、安心して取り組みます。笑。自分のペース。やはり比べんでいい。劣等感も気のせいでした。ありがとうございます。
(畠山由香理さん)

今回も沢山の学びを得る事が出来ました。
トンレン(あなたの苦しみを受け取り、私の幸せを送ります)を教えられた時に、友達関係で悩んでる娘の事がふと浮かびました。慈悲の瞑想と併せて実践していこうと思いました。
話を聞いてて、凄く心の葛藤が起きたのが、【根性の悪い人達、悪行や苦しみによって強くさいなまれている人たちを大事にする、貴重な宝を見出したかのように】、【他者が妬みから悪口、中傷を持って私を不当に扱う時も、損失は全て私が引き受け、勝利は他者に与えること】、【自分が大きな期待を持って尽くした人が、理由もなく私をひどく傷つける時も、素晴らしい心の導き手として、その人をみなすこと】の部分です。私自身、小学生の時にいじめにあってたことや、元の旦那や親達に、私が居ない所で悪口言われた事や、以前の職場で、私にだけ、やたらとキツく当たってくる先輩の事を思い出し、物凄く辛かったや、悔しかった事を思い出し、そんな風には思えないという気持ちと、反面、そういう人達によって辛い、悔しい思いをしたからこそ、出来る限り人の気持ちを大切にしようと思える様になったのと、この様な学びにもたどり着けたのかもと思うと、まだ100%ではありませんが、徐々に感謝の気持ちと幸せでいて欲しいなという気持ちになってきました。
そして、自分を愛する力をもち、自分に対して親切である事という言葉と、エゴになっていないか、自分の心の状態をチェックして、慈悲の状態でいる事という言葉がとても心に響きました。知らず知らずの内に、エゴになりがちなので、改めて実践を意識していこうと思いました。
あらじんさん、皆さん今回もありがとうございました。
(南部とも子さん)

エゴを手放し慈悲心を育てる。
特にエゴを取り払おうとするのではなく、慈悲心に注目する。
心を訓練するための8つの詩の説明を聞いた後の、最後の簡単にまとめたものが、すごくわかりやすかった。
1)輪廻転生を繰り返す中で、みんな自分の母だったという考えも、そう考えれば、受け入れやすい。
まず、自分を愛する力。シャンパンタワーの法則ですね。
2)は学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師
松下幸之助さんの言葉を思い出しました。
3)今に集中し、自分の行動、言葉、心をチェックし続けることで、自動的に思考できる。
常にエゴが出すぎていないか?慈悲の心でいられるか?この習慣付けをしていく
4~6)役割のところが面白かった。修行を進める上で、必要な人物。
福島正伸先生が、天国だったら自分の出番がない。地獄を天国にしたら、もう行くところがない。気がついたら現世が1番楽しい、と言っていたの思い出しました。
7)も日々の実践、習慣付け
8)すべてが自分が作った虚像
自分の執着を捨てていく。良いとか悪いのジャッジを捨てていく。これも習慣。
良い習慣付けをするために心の訓練を続けています。
(清水大輔さん)

第18回 アドラー心理学Ⅵ 〜理論編 5つの基本前提〜

今回は(も?)前に学んだ影響の輪や肯定国、全自動洗濯機などもそれぞれのところで出てきて、前のテキストを何度も読み返しました。5講座目でこの5つの基本前提が出てきたこと、共同体感覚の山⛰️で学んだ事を思い出して、あーあったあった!!って講座中に1人でパラパラめくっていました 。
改めて人って周りの人がいるからこそ生きてるんだなって思いました。色眼鏡かけてしまうのも人がいるからこそだし、自分が好きって思えるのも対人関係があってはじめてそう思えるんだろうし。
自分を含め人の存在、仲間の存在って大切だなって。
今、私が皆さんとあらじんさんから学んでるのが楽しいな、嬉しいなって思いました。 
ちょっと講座の感想になってるか定かではないですが、今の私の感想です。
(平田弥生さん)

アドラー心理学 理論編を学ぶのは3回目だと思うのですが、言葉は全く残っておらず、情けない限りです~
今日講座を受けながら、あらじん塾の時の資料を見返しつつ、それでもぼんやりと基本の考え方は自分の中に入っているんだなって嬉しい発見もたくさんありました。劣等コンプレクスを許さない、常に自分が選択している、責任性、共同体においてユースフルかどうか、目的論、対人関係から相手を理解していくことなどなど、いろんな言葉を覚えていなくても、自分が人と関わる時に大切にしたいことがちゃんとここにあって、自分の血となり肉となっていることに気づけた今回、とてもうれしくなりました。
そして、やっぱりありのままの自分を丸ごと受け入れることと、一つ一つの行動をする自分を今の自分が好きでいるかどうか。。。自分にかなり甘いけど 笑 お気に入りの自分でいられるしあわせを感じて新しい年をスタートできました。しかしそれも、対人関係論的に、仲間の存在あってこそのしあわせ。感謝があふれます。いつもみなさんありがとう、やっぱり大好き。
そして、アドラーもきっと仏教を学んでいたのだろうなと、あらじんみたいなアドラーを想像して笑えてきました~仏教を知ってアドラー心理学に帰るとまた深みを帯びておもしろくなってきました。
大いなる母に抱かれ守られる安心感は、どんな選択をわたしがしてもそれは宇宙、神様の想定内であり、小さな自分を真っ直ぐに生き、心ゆるせる仲間と、途中の失敗はなんとなく許しつつ、プライドを捨てられない小さな自分を感じながらたくさんの矛盾もありながら、一つずつ進んでいきたい。
そして、今年も、「ありのままあるがままに、良い女の子より笑う女の子になろう」
めっちゃしあわせになれる今年最初の講座をありがとうございました。
(山本由起さん)

とても興味深く、おもしろかったです。
今だから、また自分なりに理解できることもあり、あらじんさんの講座や、今までの日常から以前の自分と比べ視野が広がっている感覚があります。
また、仏教からの話なども、おもしろかったです。
自分が主人公であり、いつでも自分が決める事ができる 全て自分!背もたれは、自分と少し歪んで捉えていましたが、色んな自分がいていいのに、自分が自分をジャッジしている。
でも、それも全て必要なもの。
人には必ず相手がいて、自己肯定感、受容感も相手がいるからこそ感じるものなんだと、以前に比べ優しく捉えることができました。
ありがたいなぁ~優しいなぁ~。仲間の存在は、本当にありがたい 財産です。やっぱり、学びやサミット最高です。18講座も、ありがとうございました。
(森直子さん)

5つの基本前提
あらじん塾の時に聴いてたけど、あらためてひとつひとつ思い出しながら、やっぱりあらじん流アドラーは優しい学びだなあって感じました。
・主体論
どう捉えるか。全部自分で決めれるよ!
私は環境や過去のせいにしてたとこがあったので、それも自分で決めてたんだとあらためて気付かされました。じゃあどう捉える?どう生きる?影響の輪の今、ここ、集中を意識したいです。コントロールできないものは執着しない(ここ難しい~)
・目的論
非行の例の原因論では家庭環境が悪いからというのも、目的論でいうと、そこには居場所が欲しい!愛して欲しい!というメッセージが隠れている。
じゃあどうすればいい?何もない日常に注目する。普通である勇気!褒められようとして無理にがんばらなくてもいい。注目してもらうためにわざと叱られることをしなくてもいい。
次女はとにかく暴言がひどく、相手役は私と祖母でした。『そんな言葉を言われたらお母さん悲しいから言わないで』『なんでそんな言葉を使うの?』と原因を聞き、行動をあらためさせようとしていました。娘の怒りは不安や恐れから、そして私を見て!私は本当は不安でいっぱいなんよ!私を愛して!というメッセージだった。娘の本当の気持ちをわかろうとしていなかった。向き合おうとしていなかった。私との関係性だった。
あらじんさんからアドラー心理学を学べば学ぶほど、目の前の我が子とどう関係をつくっていけばいいのかわからずに悩んでた私のような人に、この学びが広がればいいなと心から思います。
アドラー心理学の中のものは仮説です。
原因論で考えても解決しない。目的論で考える方がいい方向にいくよね~。そう考えたら優しくなれるよね~。
ここの考え方がとてもすーっと入ってきました。
幸せになるためにあらゆる行動は起こしている。決して困らせようしてるのではない。
・全体論
自分の中にあるものは全部大事。全ての感情が統合され、キラッキラッの愛の魂になる。自分の中で協力しあってるときいて、自分との共同体感覚を思い出しました。
・認知論
色メガネで見てるだけ。人間は主観で生きている。どう捉える?すべて愛の現象で受け取りたい。
・対人関係
必ず相手役が存在する。人間の悩みはすべて対人関係の悩みである。人は対人関係においてのみ成長できる。人は対人関係においてのみ幸せを実感することができる。
アドラー心理学は共同体感覚を育むため。関係性を深めるため。
自分を好きになるのも相手がいてからこそ生まれる。貢献も信頼もひとりでは育めない。
アドラー心理学は3次元の学び
ものの見方をどう捉えるか。
仏教は4次元の学び
愛で捉える心の改革。
来週の仏教の四無量心・菩提心楽しみです愛を学びたい真理と出会えた奇跡がありがたい。
あらじんさん、皆さんありがとうございます。
(三吉順子さん)

今回の講座は、やはりばっちり自分に当てはまり、なるほど、なるほどと納得してしまいました。
やりたいことは、全部自分で選択し、宇宙は完璧、みんなしあわせにむかっているよ。安心しかない日常生活が穏やかで、基盤が少しできてくると、不安が減る。中庸にもってこれたら、1日の終わりに感謝出来る自分がいる。これもダメ、あれもできないって思って自分は幸せでないと思って生きてきた今までが、嘘のように毎日が普通です。これからは、出来るペースで学び、仲間の人生を応援して、自分も楽しむ。共同体感覚を、身につけたいです。
今、ここ、自分に集中
コントロール出来ないものはてばなす。
ダメな自分も、大切に。出過ぎず、中庸を目指します。
まだまだ、三次元だけど、あと少しで四次元の入り口に立てそうなきがします。
アドラー流あらじん仏教学に、心がとても優しくなれる、今です。
(畠山由香理さん)

導入部分の恐れと不安をベースから、ベースを愛に変えてしまう。そうすると愛が全てを引き寄せて、望み通りの世の中になる。なかなか、恐れと不安から抜けきれてはいませんが、そもそも知らなければ、何も変わらないので、改めて思い出せてよかったです。
アドラー心理学は仮定。
こう捉えたら良いのではないかというのが、面白く、合理的で好きです。
目的論で、自分の出番を作る。福島先生の言っていることがつながりました。自己責任と捉えて、苦しくなることもあるだろうと考えていたのですが、出番と捉えると、少し楽しみにもなる。
劣等感が、自分が理想とする姿と現実のギャップに基づいたマイナスの感情。そう捉えられれば努力と成長への刺激なので、良いものだと捉えられました。劣等性はどうしようもない。それを持った自分としてどう生きるか?無くそうとするから苦しくなるのであって、あった上でどうするか?他の部分でも感じましたがこういう考え方をすればいいのかと思った。すごく合理的です。
判断に迷ったときは、より大きな共同体の言うことを聞け
確かにそうだなぁ、迷った時の判断基準が1つ増えました。
個人の主体性は、全て自分で決めている。ここも福島先生が言っている事と一緒だなと。すべての言葉にどきっとしますが、人生はいつでも自分で決めることができる。それを持っていたい。
宇宙は完璧。自分も完璧。全員幸せに向かって進んでいる。そう信じられれば、今ここ自分に集中できるのだろう。
原因論ではやることがない、目的論で出番を見つける。
根本的な原因がそれで見つかり、自分ができることを見つけることができる。
言論で、逃げるのではなく、目的論で自分を主役に、自分の出番を見つける。解決に向かう。自分を変えるチャンスにする。
ブレーキもアクセルもどちらもなければ車じゃない。どちらも必要。成功体験も失敗体験も両方大事。大事な自分。大事じゃない自分は1つもない。どんな自分も一つ一つ認めて統合していく。丸ごと承認。
認知論。
自分の色眼鏡で見ることが多いと思われる。色眼鏡を取ろうとするよりも、ありがてい国、肯定国で認知していこう。
人間の悩みはすべて対人関係の悩みである。
いくらひとりで、自己肯定感を上げようとしても、他人との関係でしか本当にあげることができない。
共同体感覚が増えると、自分も他者も好きになれる。
これまで、正しいのジャッジが多かったので、それを手放していくことが今の課題です。
(清水大輔さん)

第17回 「仏教学Ⅲ」釈迦の生涯

実践の教え 自分自身で努力して自分の人生をよくしていく
宗教というとなかなか受け入れにくい自分にとっては、すごく興味を持てました。
考え方の基本が因果則
自助努力、自己鍛錬、科学的なアプローチで納得感があります。
ただ、大乗仏教の考えもあっていいのかなと感じます。何が正しいかはわかりませんが、いろんな考え方ができることが1番幸せかなと思います。てんつくマンから聞いたのですが、バシャールはポジティブとはいろんな考え方ができること。と言っていたのを思い出しました。一切皆苦もある意味ネガティヴですが、そのベースが有ればポジティブに捉えやすいと、一面だけみても本当の理解にならないなと感じました。
輪廻転生があるからこそ、そのとき、そのときを大切に生きる。そう思った方がいい生き方ができる。自分が気持ちがいい。逆に感じたのですが、刹那、その時、今を楽しむ。両方の考えがあっていいんだなと思った。
自利があって他利がある
自分は聖人君子ではないので、その方が取り入れやすい。自分がよくなって周りも良くなる。自己犠牲はなかなか続かない気がします。シャンパンタワーで生きたい。
苦行をやったからこそ無駄がわかった。日常のありがたみがわかった。全部捉え方。
お布施の考え方も幅が広がった。お布施をする機会を作るのも相手のため。
今回もいろんな考え方を知ることができました。
(清水大輔さん)

お釈迦様の生涯の話を聞いて、【教団の拡大ではなく、苦しんでる人がやってきて仲間にしてくださいと頼まれた時に役に立てば良いという考え】や、サンガに上下関係がなく、【出世しよう】【偉くなろう】【人を追い抜いていこう】【負けるまい】といった煩悩から解放される。人と比べてしまったり、負けん気が強くなってしまう私にはとても響きました。幸せを感じ、穏やかに過ごしていけるように、日頃のちょっとした事にも感謝しする事、嫌な事(落ち込む事、あらゆるマイナスな出来事)が起きたらどうしよと考えがちだったり、まだまだ未来思考な所もまだありますが、起こる事は想定の範囲内と思い、今その場を思いっきり楽しむ事を心がけたいと改めて思いました。
(南部とも子さん)

今回の講座を振り返ると、お釈迦さまの教えで自分の努力で人生を変えていくと言う事。
自分を信じる、宇宙を信じる、自分の幸せを人に見せる、まずは自分が生き生きとして輝く。自分を喜ばせることが人を喜ばせることができる。
自分のためだけに修行した。それが仏教の原点だと教えて頂き、自分の今を、自己犠牲のない、努力をしながら、他者貢献をし、毎日、穏やかに過ごせる、心を持ち続けることが、私にとって一番の今を生きる事に繋がると思いました。
穏やかな日常生活を送る事が、当たり前になった時、想定外の自分に出会えるのかな?それまで、身を委ねようと思います。今から、少しづつ実践していきます。
今回も、素敵な講座となりました。仏教は何故か、難しいのに、もっと学びたいです。
(畠山由香理さん)

仏教は宗教でなく、実践の教え。お釈迦様も人間だった。どうしたら幸せになれるんだろう?穏やかに生きるにはどうあればいいんだろう?仏教を学んでいてそこがとても興味深いです。幸せだなあ、穏やかだなあって思える人が増えるとありが帝国になるのになあ
はじめは、聞き慣れない仏教用語が難しいって思ってましたが、何度も聴き、意味が少しずつわかり、日常に置き換えることで、深い!面白い!もっと知りたい!原点かも!って思えるようになってきました。
四法印の一切皆苦から始まり、この世は全て思い通りにはならない。それを知っておくと期待もなくなり怒りも起こらない。そして、一切皆幸に。
四無量心の慈悲喜捨は温かくて好きです。
自利➕利他の慈悲のお話しがわかりやすかったです。
誰かのためにではなく、まず自分のために、そして誰かのために。自己犠牲のない他者貢献ですね。
あと菩薩行の六波羅蜜ももっと知りたいです。
お布施には、お金や物だけでなく、笑顔や安心感もお布施ときいてそのお布施をしたいと思いました。
そして、仏教の教えを伝えることが最高のお布施。最高のお布施をしているあらじんさんから私たちは教えてもらってると思うと嬉しいです。
「菩薩の生き方」「心の訓練」どんな学びなんだろう?めちゃくちゃ興味がありますまたシェア楽しみにしています。
(三吉順子さん)

第16回 「チームビルディングII」奇跡を起こすチームの作り方

15講座の補助資料ありがとうございます。振り返り時の問いかけがすごく役に立ちそうです。指導する時だけでなく、自分の振り返りにも役に立ちそうです。

タックマンモデル
チームの成長法則4つのステージ
初めてしりました。これを知っていると知らないでは大きな違いだと思います特にフォーミングからストーミングに移行する時期に元に戻そうとする。そうすると仲良しグループで終わってしまう。
まさにそうで、今までそのグループしか作ってこなかったような気がします。一旦ストーミングで落ちる。そこからさらにコミュニケーション量を増やす。特に本音の伝え合いが必要。対立が起こっても相互理解が進んでいく。これを乗り越えた先にチームになれる権利。
今まで、断片的にタックマンモデルを伝え聞いたのか、あるいは感覚的に、この流れをなんとなく思っていましたが、こうやって論理的にモデルを説明してもらうとわかりやすかったです。
優秀なリーダーがいるとストーミングが進まないというのは意外でした。何事も瞬間で見ると良いことも、長期的に見ると結果良くないこともあるのだと思いました。これも中庸ということかな?
チーム全体のモチベーションの話がすごく面白かったです。個人個人のモチベーションが掛け算となってチームのモチベーションとなる。まずは個人なんですね。そのために安全が確保されるコミュニケーション。その質が、今まで学んできた、傾聴やアイメッセージ、課題の分離などがつながってきました。

ノーミングの規則ではなく規範
これはすごく大事だと感じました。リーダーや指導的立場になったときに、ついつい緩めてしまうことが悪影響を及ぼしていた気がします。
トランスフォーミングまで行ったことがないので、というよりもフォーミングで終わってしまっているので、実感がありませんが、ともかくコミュニケーションの量と質を上げていくことだなお思いました。
愛と感謝と面白がる。
そんなチームをぜひ作りたい。
(清水大輔さん)

タックマンモデルのチーム形成を、過去の自分の部活での経験やら、子どものチームでの体験や、これまでの職場での体験と重ね合わせながら聞いていて、とても面白かったです✨
大きなストーミングが起きたチームの時は、その時は大変だったけど、その後がすごく良くなっているので、そういうチームの人たちとは今でも交流が続いているな。と…。そうでないチーム⁈の人たちとは続いていないです。本音で付き合っていたかどうか⁈が後々になってしっかり現れてます
「モチベーション=愛と感謝」
「面白がる夢中で遊ぶチーム」
こんなチームを作りたい❣️と思いました✨✨あらじん村はそんなチームですよね~居心地が良く、ありのままの自分で力を発揮できるチーム❣️最高です✨✨
(清家奈緒さん)

第15回 「チームビルディングⅠ」冒険教育

チームビルディングはとても興味があるので、ぜひとも聞きたい内容でした。
感謝とはするものではなく、意識(心の在り方)の状態。確かにそうだなぁと思いました。今まで感謝しなきゃと無理矢理ありがとうっていた場面もありました
感謝して生きるとは感動できるみずみずしい心。自分の心の状態を良くするということかな。
謙虚な心。おかげさまが感謝の状態に入りやすい心。そういう意味で、謙虚な心が、うまくいく秘訣であったりするんだなぁと感じました
小林正観さんのありがとう25000回は前からやってみたいと思っています。ひすいこたろうさんが風邪をひいた時にやったと聞いていたので、自分もそうしようと思いつつ、長く風邪をひいていません。いつか機会が来た時にやってみます。
心の状態を整える。すごくわかりやすい表現です。
グループの力は最近よく感じます。コロナ前までは一人で自分でなんとかしたいと思っていましたが、朝活部や朝礼をはじめ、たくさんの人と交流していくと、やっぱり誰かと一緒にやるとか、喜んでもらえるとか、安心感は大きい、チャレンジしやすくなりました。
やらされていると感じないように支援。子育てにとって、後輩育成にとって、すごく大事です。指示命令の代わりに依頼。知らず知らずにやっていました。
振り返りで発言がない場合もすごく参考になります。待つというのが大事であったり、特に不安を取り除く、ここがポイントと思います。承認空間作り、拍手であったり、いいね、大好き、ありがとう、そういった声かけで自分も発言しやすくなりました
チームビルディングで一番印象に残ったのが、指導者抜きに選手だけ仲良くしてもダメという事です。やはり指導者もチームの一員、主力なのかな。
(清水大輔さん)

今回は、遠軽高校の、ラグビー部のシェアでした。
高校生の子達が、最後に感想を話されたシェアの中で、私が大切にしたい事。
パラレルワールドや、支援や試練の話を聴いて、どちらの世界にも自分の意識次第でいける。やはり、穏やかな一日で過ごせる毎日に、感謝。まだまだ、わたしが出てしまい、自己主張してしまう自分がいます。遠軽高校の生徒さんに、大切な事を学びました。あらじんさん、皆さま、いつもありがとうございます。
(畠山由香理さん)

遠軽高校ラグビー部のシェア、ありがとうございました。
感想シェアの中で、自分の思いを伝えることの大切さがわかった、本音を伝えたいなど、と思ってる部員さんが多く、よいチームづくりにはここでもアイメッセージ、本音伝達なんだと思いました。自己主張ではなく、自己開示。そのためにはやっぱり、安心して本音を言える空気間、関係性、つながりが大切なんですね。
私は10月、島根サミットに初めて参加しました。リアルで初めて会う人、初めての島根、どんなことをするのかもドキドキでした。ゲームが始まるとすぐにルールが頭に入らず間違ってばっかりで、間違うと余計に焦っちゃって、順番が来ませんようにと思ってました。みんなに迷惑かけてしまう、恥ずかしい、みんなどう思ってるんだろうとかもう頭がぐるぐるでした。でも誰一人、私を攻撃する人はいませんでした。むしろ、笑ってくれたり、私のおかげでゲームが楽しかったと言ってくれました。
間違っても恥ずかしくってもいいんだ。ここは私を受け入れてくれて安心するなあって。一人では自己受容感、自己肯定感を育むのは難しい。それは、他者との関係で育まれる。私にとってサミットは、たくさん失敗したけど、とっても居心地のいい空間でした。
今回のプロジェクトアドベンチャーの話を教えてもらい、なぜ居心地がよく、ありのままの自分を受け入れられたのか、その理由がわかりました。仲間がいるからチャレンジできる安心感❣️まさに、サミットで体験させていただきました。あらじさん、みなさんありがうございました。
(三吉順子さん)

遠軽ラグビー部の研修、若さが体験中(特に縄跳び2時間半)も振り返り中も存分に出てて新鮮でした。
ドミノやパイプラインも勢いだけじゃなく繊細さが求められる所もある中、筋肉隆々の男の子達が一生懸命楽しんでる姿がとてもかわいく見えました 。
「感謝」のところでは「ありがとう」に心はこもってなくてもいいから言葉にする、目標5万回‼️にハードルが下がったんだか上がったんだか…ただ振り返ると外や職場では意識的に言ってる気はしますが家だと何でも当たり前になってしまってるのか外に比べると激減してます。目標5万回に向けて家族にも「ありがとう」を沢山伝えたいなと思いました。そしてありが帝国にいてる時間を少しでも長くしたいです。
でも肯定国にはすぐ行けるのにそこからありが帝国に中々行けない心穏やかになりたいのに楽しいのが勝ってしまって冷静な判断が出来ないそんな今までの自分を再確認出来ました 
でも、そんな自分の人生も乾燥機能のない全自動洗濯機⁉️全てが必然だと感じて身をゆだねると心穏やかになるのかな⁉️あっ、自分、今ありが帝国にいてるって感じれる時間を長く持ちたいです♥️
(平田弥生さん)

第14回 「アイメッセージⅢ」愛と感謝のアイメッセージ

怒りの第一感情
ここに注目ですね。すぐに怒るのではなく、自分を一度見つめる。そして本当の気持ちを伝える。
怒りの感情を建設的に使うか?破壊的に使うか?自分で決めることができる。家族を天国にするか?地獄にするか?二者択一にはびっくりですが確かにそうで、冷静に思い出したい。
スティーブ・ジョブズの、たとえ最後の日だとしてもそれをするのか?名言すぎる。
子供が感情を破壊的に使う大人を否定し、落胆し、信頼も尊敬もできない。ここはどきっとします。
Iメッセージにこだわらなくても、何をゆうかより空気。柔らかなメッセージでもいいテクニックで使おうとするからか、どう言ったらいいのか考えてしまいそうだったけど、これならすぐに言葉が出てきそう。人格が上がれば自然と作れると言うことで、人格を作っていきます。
アイメッセージを使ったら言うことを聞くのではなく、相手の行動が変わらなくても、影響を学べると言う点で、意味がある。だったらやっぱり使ったほうがいいなと思った。Iメッセージの一番いいなと思ったのは、自立を促すことです。自分で考え、自分で答えを出す。子育ての1番のテーマだと思います。
〇〇しといてと言われるとすぐに動きたくない。これはすごくいいヒントです。我が子にお願いしてなかなか動かないのはこのメカニズムだったんだなぁ。しばらく待ってみます。
Iメッセージが1度で伝わらず、イライラしてユウメッセージを使っていたので、あくまでもIメッセージを続ける。それも気づきになりました。
愛と感謝については、小林正観さんの3つの国がとても分かりやすかった。ありが帝国に住み、すべての出来事に対して、ありがとうを投げかけてみます。そしてありがとうをやっていきます。
そもそも生まれてきた事は奇跡。もう一度会えたのも、もう一度会えるのも奇跡。おはよう、おやすみ、いってらっしゃい、おかえり。4つの挨拶がこんなに大事とは思ってもみませんでした。
そのままのあなただから素敵なんだよ。特別なことががあった時ではなく、日常の中にチャンスがある。日常を大事に何もない場面にありがとうを探す、めちゃくちゃ素敵な生き方です。
(清水大輔さん)

あらじんさん、皆さんありがとうございました。
救助のアイメッセージのお話を聞いた時、本当の気持ちを伝えるのは、私にとってはかなり勇気のいる事で、自分と、相手との間に信頼関係があるかないかによると、思いました。つい、相手がどう捉えるかが気になったりで、伝えれてないなぁと思いました。又家族だと、甘えからか、例えば、たまには掃除や食器洗いなど、手伝って欲しいのに、テレビやスマホをのんびり見ているのを見ると、ついイラッとなり、怒りが先にきてしまい、仕方なく、イヤイヤでもやらなきゃならない状況を押し付けて結局は快く引き受けてくれないという悪循環を引き起こしてしまってた事に気づきました。『あなたの本当の気持ちを知った相手は、その気持ちを受け止めやすくなり、あなたの事を助けてくれる可能性は格段にアップします』という文を読んだ時に、怒らず、素直に伝える勇気を持とうと思いました。 
愛と感謝のアイメッセージの部分では、何気なく交わしていた「おはよう」「おやすみ」「いってらっしゃい」「おかえり」は究極のアイメッセージという事がとても心に響きました。娘や友達と一緒の時間がこれで最後と思った時、私もあらじんさんと同じく「いつも笑っていた」と思われたいなぁと思いました。いつも目の前の人と笑顔で過ごしていられるように、挨拶は笑顔で、愛を持って交わしていこうと思いました❤️
(南部とも子さん)

今回の講座で、一番気づきをもらったことは、やはり、日常生活の中に、奇跡はたくさんあるという事です。
[おはよう]   [いってきます]  [おかえり]    [おやすみ]   を伝えられる家族、仲間、友人がいる。
普通である勇気。ここを正直に出せたら、本当に自分らしい、穏やかな人生が送れるなあと、思いました。
半分でいいよ。の実践。
ありがとうございました。
(畠山由香理さん)

愛と感謝のアイメッセージの講座は、とっても穏やかな心地のいい時間でした
『言葉よりも空気間』
これは私も大切にしたい❣️と思いました。何を言うかより、空気が愛に溢れていればいい。そしてやはり関係性。これは家族だけでなく、職場や友人との間でも意識したい。
『究極のアイメッセージ』
あらためてあらじんさんがこの言葉を大切にされている想いに胸がいっぱいになりました。「おはよう」「おやすみ」「いってらっしゃい」「おかえり」には、どれだけ愛と喜びがつまってるか。そして、この言葉が伝えられること、伝えられる相手がそこにいてくれることが奇跡。言ってもらうことより、言うことに意味がある。伝えられる喜びを伝えていきたいです。
『3つの帝国』
小林正観さんのものの捉え方は面白い❣️もっと正観さんの世界観を知りたいです。
「悲」帝国、物事を否定的に捉える→コップの水が半分しか入ってない。
「好」帝国、物事を肯定的に捉える→お水が半分もはいってる。
「ありが」帝国、物事を感謝で捉える→お水を半分入れてくれた人がいる。ありがたい。
これを意識すると、当たり前の日常のひとつひとつが感謝にあふれるなあ思いました。凄いことをしなくても日常を丁寧に味わいたいなあ。「ありが」帝国にの住人になりた~い。
『盲亀浮木』
人間に生まれ仏教にふれていることはものすごい奇跡。そして、あらじんさんとの出会い、あらじんさんから学んでいる仲間との出会いも奇跡なんだと思うと、ここで学んでることも凄い❣️って思いました。
『向かう方向は智慧と慈悲』
智慧とはどんなことが起きても心穏やかに捉えることができるか。ここを深く学びたいと思いました。学んでいきながら智慧が得られ、心穏やかに捉えられるよう、まだまだ学びたいし知りたいです。あらじんさん、みなさんありがとうございました。
(三吉順子さん)

法句経182や盲亀浮木の通り、まず私たちが人間としてこの世に存在していることが有り難いこと。
そんな私たちが毎日毎日、目を覚まし動きまた寝てまた目を覚まして…これを繰り返し出来ていること自体がほんと奇跡だなって思いました。自分自身も奇跡。目の前にいる人も奇跡。すべてが奇跡のような中で生かされていて、そんな中でこうやってありのままの学校のみんなと学べていることも奇跡だなぁ✨って❤️ほんと、奇跡しかないないなぁ。って感謝しかないなぁって思いました。
最後の普通である勇気
私はこれを得るために色々学ばせてもらった気がします。大人になって親になるまで気がついてなかったけど、何者かであろうとしていた自分でした。でも、苦しいし幸せ感がなかったです今はお陰様でありのままの自分で良いんだ✨何者かにならなくて良いんだって、やっと楽になれた気がします。
子どもにはこんな思いをすることなく、ありのままの自分のまんま、大人になって欲しいなぁ。って思ってます。
(清家奈緒さん)

今回も心に響くワードがあり、今の私に必要な言葉だなと感じます。
慈愛溢れる人でありたいなーと感じました。まだまだです。
夫とのことをあげますが、出会った頃はイライラしなかったことが満たされてそれ以上を求めて、近いほど難しい。愛の執着があるって分かると、俯瞰して客観的に見られるように感じます。あっ私思い通りになって欲しいんだねーって。意識します。
盲亀浮木
人として生まれて今健康に生きている。すごーい奇跡なんだと忘れないように感謝していきたいです。
究極のIメッセージ
どんな気持ちを込め伝えるか。同じ言葉を伝えるときに、ただ伝えるのと 気持ちを込めるではエネルギーも違います。これもコツコツ丁寧に習慣になれるよう取り組みたいです。
普通である勇気
丁度講座の前日私は誕生日でした。長女こなつから手紙をもらい『いつもありがとう❤️何もなくても、平凡な毎日がとってもしあわせ。家族で大笑いをする度に、これがあれば何もいらないって思ってる。これ以上の幸せはことってない。別に優れたことなんてできなくてもいい。生きていればそれでいいと思ってる。毎日がありがとうだよ』と書いてありました。泣けましたー。同級生が大学に受かったよー東京行くよーって連絡が来て、心から『わー良かったねー泣けるくらい嬉しいよー』って喜んでいる娘に感動しました。学びとリンクしていました。子供達は本当に私にとっての先生です。教えられることがいっぱいです。
日々の日常に伝えられる素敵な言葉がありますね。日常の一瞬一瞬に伝えられることがいっぱい。大切にします。また大切なことを学べました。コツコツと。ありがとうございました。
(野澤かなえさん)

おはよう。
いってらっしゃい。
おかえり。
おやすみなさい。
毎日当たり前のように口にしてしている言葉。
深く考えることもなく、挨拶として普通に使っていた言葉。
大切な家族。かけがえのない家族。当たり前ではない。ご縁を頂いた主人。私の子どもとして生まれてきてくれた、大切な息子と娘。
出会えた事に感謝に、愛を込めて、使っていきたい。本当にありがと。
(松田千鶴さん)

おはよう
今日も目覚めることができて、一緒に迎えることができてうれしいね
あなたの今日一日が、あなたにとってしあわせでありますように
笑顔が生まれ心が動く一日でありますように

いってらっしゃい
今からあなたの出発だね
どんなことが待っているのか楽しみだね
怖がらなくても大丈夫だよ
笑顔で次に会えた時に たくさんたくさん話そうね

おかえり
今日一日の大冒険から、また帰ってきてくれたんだね
またあなたの顔を見ることができてしあわせです
あったかいごはんを一緒に食べよう
これからそばにいるからね

おやすみ
またあした会おうね
一日の終わりがあなたにとって 安らかでありますように

ひとことの中に 精いっぱいのあいメッセージを込めています。私の、ここにいる家族と、ラボのファミリーと、ありのままのみんなにそれは大切な私の3つの家族だよ。そんな空気で送るね。
わたしの目の前にいる人たちに、そんな気持ちが生まれる時間がほんとに増えました。好きな人としか、きっとわたしは過ごしてないんだよねでも、私の中では誰にでも言ってるつもりはないんけどね。
目の前にいる学校の子どもたちにも、中からあったかいものあふれてきて、嬉しくて笑顔になったり、話しかけてしまったり、見とれたりしちゃうそんな穏やか時間がこっちも増えました。
学校では、毎日会うわけではないから、廊下ですれ違うときは子どもたちに「はろ!」って言います。その中にも、幸せをくれてありがとって気持ち、多分こもってると思う!だって嬉しから。そしたら、不思議そうに見る子、笑顔ではろ!って返してくれる子、ちらっと見てこんにちはって返してくれる子、はろ!っていう前に「センセ~」って言ってくれる子、友達のとのおしゃべりに夢中で気づきさえしない子、関係性によって表現がいろいろ。すれ違える喜びが湧き上がってることはちゃんと伝わってるんだろうなって思えるんだよね。とびっきりのあいメッセージ込めてるはずだって勝手に嬉しくなってくるから!
ありのまま生きる学校の講座でみんなに会えた時も、そんな気持ちになってるよ!ちゃんとみんなに届いてるでしょ。
(山本由起さん)

まずは、あらじんさん遠軽からおかえりなさい!!
シオリさんおかえりなさい!!ユカリさんおかえりなさい!!
究極のアイメッセージキターーーーー❤️笑でも本当にそんな気持ちです。✨
究極のアイメッセージもですが、以前学んだことなのになぁという反省もこもっていますが、ワクチンのブースター効果のような、 普段での生活で気持ちがより深まった気がします。✨
特にいってらっしゃいについては、朝のスタートでもあり大切な時間になりました。息子はいってらっしゃいを言うと絶対変顔(笑)お互い笑って手をふります。娘は保育園なので園舎でいってらっしゃいを言います。こちらは早く来てよね~!カカいっつも遅いんだからっとよく言われます。笑 そして最後はハイタッチ!!トトはおかえりを大事に伝える気がします。アイメッセージがこんなに尊いものだとは。✨
普通でいる勇気。何気ない日常の瞬間・瞬間がこんなに尊い気持ちになれるなんて✨
こんな学びを、気づきを、あらじんさん、みなさん、本当にありがとうございます✨✨
喜び勇んで嬉ション慈愛こめてメグより❤️
(伊藤恵さん)

14講座(ビデオ受講)感想✨✨
1番心に残ったのは、「今日が最後かもしれない」という部分でした。
僕は自殺してしまったスケート仲間にかけた最後の言葉が「別に。普通だよ。」でした。自殺した事を聴いて、すぐにその言葉を言ったシーンを想い出してめちゃめちゃ後悔しました。
何故あんな風に言ったのか?
何故あんな態度をとってしまったのか?
自分を責め続けてました。「これが最後かもしれない」そう想うだけで、目の前にいる人にかける言葉や、表情、態度が変わる自分がいます。でもそれは不安と恐怖からなのかな~って。愛と感謝の心で関われるように生きます✨今日も出逢えた事に感謝✨奇跡の1日を生きている事に感謝✨
(知原裕生さん)

第13回 「アイメッセージII」怒りの正体

怒り、でしたねーーー!
怒りは第二感情。素直になれない、第一感情を見たくない、、と、
壊したい意図があって、怒りを手段に使ってましたねー。今思うと。
まぁ、スッキリするものの、それでなくしたものがあまりにも多くて、どんどん自信を失って。それだったら、素直な自分の気持ちと向き合った方が、絶対いいと思ったので、絶賛取り組み中です。
あらためて、自分を大切に生きたいですね!
(梶野和美さん)

何のために学ぶのか?
一切皆苦、苦・困難を当たり前にすることで、楽々乗り越える。今幸せだと感じる。学ぶことによって、苦しみを乗り越えて、穏やかに、今幸せだと気づいて穏やかに生きていく。これが、ありのままに生きる学校入って、1番の発見であり、目標になってきました。なかなかできていませんが、だから、まだまだ学んでいきます。
今回は、怒りというものがいかに不必要かということをたくさん教えられました。わかってはいるんですが、なかなかできていません。振り返りでも、もう一度刻んでおこうと思います。
怒りは自分で捏造している。自分の主体性を取り戻すために、教訓にしたい言葉です。
怒りは期待の裏返し。家族に対して、怒ってしまうのは、やっぱり、わかってくれるはずという期待があるからなんだなぁと思いました。期待ではなく信頼。他人は思い通りにならないを基準に置く。相手はこうあるべきを捨てる。今の自分の課題です。
怒りに気づいてラベルを貼るこれは全くやっていないので、まず実践することにします。
期待を外すと全てが感謝になる。めちゃくちゃいい言葉です。
落ち込むとは怒り。これも初めての気づきです。
誰もが怒りたいと思っている。えっと思いましたがたしかにそうです。怒りたくなきゃ怒らなければいいと冷静になれるような考え方です。
怒りの発展も確かにそうで、どんな小さな怒りも起こさない方がいい。これも心のうちに置いておきます。
怒りは自分を焼き尽くす火。確かに~と思うことばかりです。結果は破壊実際に、人生を振り返ってみるとそういうこともありました。
そうなると正義の味方の怒りもありのままの感情の怒りもやっぱり、良くない。
怒りがダメなことはよく分かりました。大事なのはどうなくしていくかなので、治め方を日々実践していきます。
怒るのは最低で無知。人間性を捨てること。まず自分が怒っていることに気づく、とりあえずこれが一番大事そうです。まずはここに集中します。
あらじんさんの0か100ではなく、アベレージを上げていくという考え方はすごく安心できます。今日はダメだったではなく、何%できたかに注目していきます。
(清水大輔さん)

あらじんさん、皆さんありがとうございました「仁」とは全ての命に対し、親しみ。慈しみの心をもち、ただそばに居て笑ってるだけでいい。この言葉に心が軽くなりました。
今居る世界で幸せに穏やかに生きる。ずっと望んでいた事だった事に気がつきましたが、つい、なきゃやねばになり、思い通りに行かないと、イライラや怒りのマイナス感情がでやすかったなぁと思います。物に当たってみたり、家族をはけ口にしてしまってました。
怒りにも必ず自分や他人、社会など相手がいる。百害あって一利なしと聞いた時、特に結婚していた時、家事や育児にあまり協力してくれない、金遣い荒い夫に対して不満や怒りが絶えずあり、私自身も、今よりもっと体調が優れない日々を送ってた事を思い出しました。ナポレオンヒルの言葉に「人間の要らない感情は『怒り』とありましたが、正しくそうだなと思いました。先月から慈悲の瞑想をするようになってからは苛々や怒る事も減りつつありますが、自分の感情に気付きラベルを貼る事を意識し、穏やかに過ごしていきたいとおもいました。
(南部とも子さん)

私ごとの個人シェアで申し訳ないのですが、火曜日にお店で、お客様から、ものすごい怒りをもって、苦情があったと、呼び出しを受けました。店長に言われたことは、貴方に期待をしていた。それを裏切られ、首にすれば良いとまでの怒りで、やっぱり落ちこみ悲しみの中丸一日接客し、笑顔も忘れ悪循環。
自分が体験したことで、子どもや家族には絶対してはいけないと、再認識できたすぐ後の講座でした。私は、穏やかな人生を送ることを願って、ありのままに生きる学校に入ってきました。なのに、誤解言葉は、よくないとわかりながら、やはりそう言う現象が悲しい出来事を生んでいることに、気付かされました。しかも、怒りは自分で捏造している。私は自分に期待して、出来ない自分に悲しんでいました。これには驚かされました。しかも、条件付きでなんでも欲しがり、執着まみれな自分がいる。
条件付でいただくから、期待に応えられないから悲しむ。これも怒り。これもいらないー
悲しみも、怒りしかも内臓から破壊されていく。早く知恵をつけたいと思いました。
でも、そんな簡単に実践できるわけもなく、辿り着いた結果は、怒りそうになる時は、ラベルを貼る。自分の今の感情に気づく。やはり、笑って、今を楽しむしかない。幸せな言葉をプレゼントする。まずはこれがあれば、怒りがラベルを貼った時に、感謝に変わると思います。苦情を頂き感じることができたことにも感謝です。
あらじんさんからの学びを、早く生活の一部に取り入れて、穏やかな人生を目指します。ありがとうございました
(畠山由香理さん)

久しぶりにありのままの自分でいられてホッとする場所に帰ってきたそんな氣持ちでした。迎えてくださったあらじんさん、皆さんがあったかい。本当にありがとうございます。
長年の自分の苦しみから救ってくれたのは洗心塾。「ありのままの自分でいいんだよ」でした。ありのままに生きる学校は深いなぁと感じました。
なぜ学ぶのか…今筆文字でメッセージを書くことをしていて、てんつくマンから学び続けようそこから言葉が溢れ出てくるって言われ、ありのままに生きる学校からは誰かの必要な言葉がたくさん出てくるって感じてます。
思い通りにならない⇒苦しみ。だから思いを持たない。今がしあわせと氣づくこと。
お金をどれだけ持とうがお金の奴隷になる。今がしあわせだと氣づけなければどんなにお金があってもしあわせだとは思えない。夢を叶えても同じ。
洗心塾でもそうでしたが参加してるその時間がしあわせ。両親弟達との関係で今年は苦しみました。
怒りの正体
私自身第一感情悲しいとか怖いとか、それを第二感情の怒りとして相手にぶつけることが出来ない分、落ち込む=自分への怒り。ここが激しかったんだと氣づきました。
そしていつも母から「かわいそう」の言葉。いやかわいそうではないからと言っても言ってくる。かわいそうは見下してると出てくる。そしてめちゃくちゃ執着されてる。
1番身近な家族や信頼してる人からの、えって思う言葉に心がざわざわしてたのも、勝手に私が期待してしまってたから。頼してるつもりで私自身が信頼できてないからありのままの自分をぶつけることが出来なかったんだって氣づきました。
抜苦与楽 苦を除き、楽を与えること。慈悲の行為。
まずは自分の苦を苦と感じない。捉え方を変える。そして周りの人の力になれたらいいなと思います。
(政所佳代さん)

・何のために学んでいるの?
苦しみをとってあげるため(抜苦)これは、慈悲喜捨の悲と重なりました。かわいそうだなと思うのではなく、相手の痛みをとってあげたい。苦しみがなくなればいいなと心から願う。
「無畏施」むいせ・・恐れをなくしてあげる。この言葉をはじめて知りました。安全安心を与えてあげる。自分が怒っていては、相手の恐れをなくすことなんてできない。深い意味に感動しました。
「全ての人の苦しみを抜く権利を得るために学んでる」ここがなぜ学んでるかとつながりました。直接苦しみを抜くことはできないけど、相手を信頼してそばにいることはできる。そのためには穏やかな笑顔、言葉、心でいたい。そんな時間を増やしたいです。まだまだ修行は続きます。
それと職場で嬉しかったことをシェアさせて下さい。
私が心理学(笑育学)を学んでいるのは伝えてたのですが、どんなこと学んでるの?どんな人たちが学んでるの?と色々と質問されたので学びを少しシェアしました。そしたら「楽しそうやね~」「いっしょに学んでる人たちが素敵な人たちなんやろうね~」「また聴かせてね~」と言ってくれました。私が楽しいと思うだけでなく、私のまわりの人が私の学びに関心を寄せてくれて共感しながら聴いてもらえたことがめちゃくちゃうれしかったです。
あらためてこの学校は最幸。そしてたくさんのことを気づかせてもらえるあらじんさん、いっしょに学べる仲間っていいなって思いました。学べば学ぶほど複雑になってましたが、なんかシンプルに思えました。
どんな困難がきても乗り越えられるために学んでる。一切皆空、一切皆幸✨✨2日の学びとあらじんさんの今週のFBの投稿も深かったです。ありがとうございました。
(三吉順子さん)

期待
今、自分の中でも練習というか意識的にみていました。こうして欲しい、こうあるべき又はこうすべき、こうなって欲しい等など。願望や、役割や、いっけん愛情。これら、全てが、けっきょく自分基準からきているもので、相手の基準とは違うのは、頭で分かっていても、わかりきれていない。エゴ満開。
なので、今、今の感情に、ざわつきが起きた時、自分のどの部分からきているのかが、分かれば、自分にも、まわりにも、温かい視座で、自分も許せるのかなと思いました。
ただただ、全ての人が全ての特性を持っているから、目の前の人は、自分を特性を表現してくれている。全ての出来事は、透明で、色をつけていくのは自分。一喜一憂してるのも、みんな違う理由。
特別な事をしなくても、ただ笑って、素敵な言葉をつかいながら、穏やかに、自分の特性を知ることに意識したいな~いや~全てありがたいじゃないのぉ~でした。
とはいえ、わちゃわちゃしてる自分も、たくさんいますが。進化途中です。以上です。いつもありがとうございます。
(森直子さん)

最初の慈愛、慈悲の心を持つところで自分の事しか捉えていなかったなーと思えた事、学びは全ての人々の苦しみを抜く事をしているだなーと感じました。
怒りに対しては、自分の期待…こうして欲しい、こうなって欲しいという感情が出てしまい、イライラや怒りに繋がっていると実感しました。
また、他人に振り回されている事もあり、自分のしたい事ややるべき事が忘れかけていたと感じて、他人の事は気にせずに自分の学びとして感じて、感謝を持つ事を少しずつやろうって思いました。
これも、しおりさんのお話から繋がっていると感じて、お話聴けて良かったです
あと学びを集中出来て、みんなの考え方やお話を聴けて、感じれているのがいいなーと思いました!
ありがとうございます。
(伊勢木浩樹さん)

怒りの感情と向き合う時間。相手に期待が大きいんだなーと感じました。
我が家の夫が腰を痛め、今朝、ワンコの散歩は難しいと言ってきました。私は瞬時にイライラ。朝の予定変更は厳しく、やって欲しかった~からの怒り。そこで自分の怒りに気づきました。
私急な変更に戸惑い、やって欲しかった期待から怒っている自分。夫は腰が痛いんだ、それだけ。朝突然は困る。ただそれを伝え、散歩に行きましたー。散歩なかなか気持ちよかったです~。そして夫を笑顔で送り出すことができましたー。
怒りに気づき→怒りを観る
怒りが小さくなっていくのを感じました。
大いなる母が私には大きく、大いなる母が私認め、声かけてくれるのです。突然は困りましたねー。ただ腰が痛かっただけよ。あなたを困らせるためではないのよ。自分の怒りに気づけたこと素敵よー。大きな空に大いなる母をイメージするととっても楽で、穏やかでいられるんです。すごーい。
怒りについての学びが日常でとても役に立ちましたー。怒りをぶつけずに、笑顔で送れました。
期待している自分に気づきました。気づくこと 大きな一歩です。3割で頑張ります~。
コツコツと。今ここを大切にしたいです。
(野澤かなえさん)

本当に怒りがなくなっているのを日々感じていました。「ゆきさん怒らなくなったよね~」ってラボのお母さんたちにも言われるほどに、変化したようです。笑
穏やかに日々が過ぎていっていたのに、ここ一週間、久しぶりの怒りが湧いて戸惑いました。それはやっぱり我が子に向けてでした。昨日と今日の学びからわかったことは、子どもへの期待ではなく、自身への期待だということなんだなとわかりました。子どもの今を受け入れられるお母さんでいたいのに、そうではない自分に落ち込んだり否定的に見ているところに、相手からの刺激があると一気に怒りが溢れてきました。「お母さん」という役割に対する執着が強いんだな~となりました。でもその怒りに気づいたから、きっともう消えるはず。もう「お母さん」を意識することもいらない気がする。
無我の光 自分がありのまま、灯ることできっと誰かの役に立つと信じて、また明日からも朗らかに柔らかに今を感じ味わい生きます それだけでいいかな。その繰り返しでいいかな。いい感じでいるはず!
(山本由起さん)

「怒りは実は第二感情である?‼️
喜怒哀楽ってあるように怒りも同じ第一感情だと思っていました。
また新しい学び‼️しかも捏造してるって⁉️不安だったり悲しかったりネガティブな感情が引き金になってるって、学んで「なるほどなぁ~」って思いました。
そして怒りが破壊につながるそんなの絶対嫌ー‼️って思いました。
確かに怒りは何もうまないですね。その時間がもったいないって私は思っちゃいました。
でもすぐ怒ってしまうしかも第二感情なはずなのにすぐに
イラッとした時に今回の学びが出てくるよう一呼吸おく時間を作れるようにしたいと思いました。
(平田弥生さん)

第12回 「アイメッセージ」

行動の四角形で受容領域が人によっても心やその日その日によっても違うんだってことに安心しました。その中で自分が今何を思っているのか、と自分の心を整理した上でアイメッセージを出せるといいんだなって思いました。でも中々出来てない。
相手の行動が自分に影響を与え、自分がどういい気持ちになってるかまではわかるんですが、そこから自分の心を整理しないまま気持ちを伝えたりしてしまってます。ユーメッセージになってる事が多々ある気がします 。
そしてテキストにもあった「アイメッセージを送れば全てがうまくいくということはない」、「世の中に絶対的な正しさは存在しない」ってのにも安心しました。学んでるとこれをしたら絶対上手くいくんだ!とか思いがちなんですが、これをやって今より上手くいけばいいよね~、世の中に絶対!って事はないんだしって思えて心が軽くなりました。
(平田弥生さん)

アイメッセージのトマスゴードンさんは、たった19年前まで生きてみえた方なんだ(ぽっ)とびっくりしました‼️
そして、ニューヨークなどでは、ゴードン博士のプログラムが教員免許の正式な単位になっていると、あり、、日本は、なってないのだろうか?アイメッセージが学べると、とっても教員の方も生徒さんも楽になるのかなって思いました。
そして、親は神でなく人間。
夫婦で受容領域が違っていい。日によっても、子供によっても、状況によっても違っていい。そうなんだって感じました、がそうしてすぎてきてるなって感じました。
そこにアイメッセージが伝えられたらオッケー。でもアイメッセージを使え、自己開示したからといって求めない。ここがとっても、求めそうな私。
色んな場面で、自分の本当の気持ちを伝えられず、怒りとして表現したり、無視する、嫌いになる。沢山あります。今一つのお互いの言葉不足からこじれている関係にチャレンジ中です。
これから正直な自分。勇気と思いやり→自己開示と傾聴で、共同体感覚を仲間に作っていきたいと思っています。
勇気と思いやり❤️笑ってる姿をイメージして実践していきまーす㊗️ありがとうございます。
(田中高子さん)

最初の、親が最初に犯す過ちの話は、まさに私が一人目を子育てしていた時でした
お母さんだから~~でなければならない。本当そう思って病んでましたでも、病んで子育ての話を聴く機会があったお陰で、お母さんと言えども1人の人間。私は私で、子どもは子ども。っていう割り切りが出来てからは随分個人としてお互いを理解し合いながら来れてるような気がします。
とはいえ、アイメッセージで伝えながらも結果の期待が入ったユーメッセージみたいになってたり…介入したい自分が満載だったり本当、日々自分の感情と向き合わせてくれる子どもたちの存在に感謝です家族がいなければ、こんなに自分の感情と日々日々向き合う機会がぐんと減っていたわけで…ありがたいです✨
みなさんのシェアも拝見しながら、みんなたくさんの人との関わりの中で、自分と向き合い学ばれてるなぁ。と思って、こんな人たちばかりだからここは居心地が良いんだあ。って思いました。
感謝のアイメッセージをたくさん投げられるような自分になりたいと思います。
あらじんさんに、ほめることありますか?って最後質問させてもらったのは、私が人を褒めるのが苦手だからですなぁんか、嘘っぽく聞こえる気がして自分を白々しく感じてしまうのです…心から凄いなぁ!って思うことは正直に伝えますが、なぁんか世の中の人たちが言ってる褒め言葉を自分が使うことがどうも気になるんです…あらじんさんの話を聴かせてもらって、安心しましたありがとうございます♪
(清家奈緒さん)

アイメッセージの学びも何度聴いても、衝撃で、水曜日に習って、子どもにしてきたことが、偽りのメッセージであることがわかりました。子どもは、やはり自分の思い通りにならないと、攻撃を繰り返してきました。それなら怒らせないでおこう、と私は距離を置いて、子どもに寄り添えてなかったかな。と思います。顔では笑って心は辛かった。困った事だけ言ってきてねと言って、寂しい思いをさせていたのかも知れません。もう、一瞬一瞬、笑ってありがとうを伝えながら、子どもの、話を聴き信頼関係を作り、本音で話せる親子関係を目指します。
心の声を聴こう。また、穏やかな人生を生きるための、チャレンジが増えました。ありがとうございます。
(畠山由香理さん)

まず、皆んなが経験してて、自己開示してくれた話達が全て、素敵な愛メッセージである事に、、、昨日までのモヤモヤした私には響まくっております。
昨日最後の患者さん。6月から労災→8月末から自賠責となっている、患者さん。不正請求をしたくない私は、保険者に言われた期間をキッチリ守る派。それで、保険者との信頼関係を気付いてきてるから、、、
この10月末から昨日までの1ヶ月間、私は一切施術しておらず、そろそろ自賠責を終了したく施術に入ると始めから「肩とかの調子良いんだけどさ1ヶ月前の、あなたの施術受けてから両方の親指にアザできて、服のチャック締めるのもできなくなった。いや、笑い事じゃないんだよ」と怒りだした。
出たよ、クレーム。と心の中の私。自己負担したくない必死の抵抗が見え見え。
「事故の部位が部位が調子が良くて、今日はその親指だけなら事故とは関係ないので、事故の治療は前回分までとします。親指の治療については、この先も当院での治療を続けますとまた、不安にさせてしまう恐れがありますので、転院されることをオススメします」と話すと、
「え、なんで、ここで痛めつけられたのに、実費で別の所で治療しなきゃいけないの?辻褄が合わないしょ」と怒り心頭、笑
とりあえず、傾聴に徹して、「結局〇〇さんは、どうしたいですか?」と聴くと答えは出ず。
私の中での今時点での最善の対応はまず、痛い母指に損傷の有無があるかどうか病院で画像診断してもらいましょう。治療費や金銭的に解決して欲しいと○○さんが感じているのなら、私達はそれに従うまでです。それが今の最善の対応かと存じます」として、帰宅してもらい、今日病院に行ってもらう事にしました。紹介状をつくり、紹介先の医師と連絡を取り、、、
時間外でも対応してきた私は一体何だったんだろう。
なんでこれまで、こんなに一生懸命働いているんだろう。
こんなこと言われても、そんなに良い人でいなきゃいけないのかな?と様々な感情が。
その感情を抱きつつ、子ども達のご飯を作り、事務作業をやり、ごども達とお風呂に入り、たわいも無い会話をする。もぉ、会話は上の空。思ってもいない感情で笑う。辛くて。
泣いちゃダメだと思う自分に尚更辛くなり、梶ちゃんにLINE。私はどうしたいんだろう。
どうする事が正解なんだろう。今でも頭の中はグルグルしたままです。
でも、その中で、綾ちゃんのシェア。ハッとしました。
患者さんに怒ってるんじゃないのかもしれない。
いつもクレーム対応の時は割って入って、「私が責任者です。ご意見は私が伺います」と、主人やスタッフの代わりに受けてきた。
でも、今回は、主人もスタッフも知らぬ顔。だけど、言えない私も居る。
それが悲しかったのかな。と思う事も。
でもさ、結局は自分次第。自分のアイメッセージに気付いてあげる。悲しかった。
時間外でも対応してきた患者さんにこんな事を言われて悲しかったという事実を患者さんに伝えてみようと思います。そして、やはり、ウチの治療はもう終わりにしてもらおうと伝えます。
私が施術をしていなかった1ヶ月間。一言もクレームが無かったということは、相手の矛先は、私なんだろうと思います。
相手がどうしたい?自分はどうしたいんだろう、、、
先週末体調も崩し、なんか、いっぱいいっぱいの自分に気づいてあげれてないんだなぁと少し反省
長男はるとに、お風呂上がり「お母さん、お仕事明日したくないんだ。お仕事しなかったら、はるとと想大ともいっぱい一緒にいれるし、お仕事だと嫌なことあるから、嫌なんだ。お母さん、どうしたらいいかなー?」と聴いてみると
んー、、、と悩んだ後で、
「勇気を持つ」と言われました笑
勇気を持つ。思い出すだけで泣けてきます。
職場の明るく笑いまくる私は、私じゃないとつくづく思い。
それが私だと、思い、ズカズカ入ってくる患者さん達に、、、ここが地元でもなく、また孤独感を感じる自分に、「自信」に素直になって、まずは、自分とのアイメッセージだなと深く考えた今日のアーカイブでした!
本当に有難う御座いました!!!
(櫻井千尋さん)

アイメッセージ
私は、今まで、相手のことを受け入れることで精一杯で、いつもいいよ。わかったよ。と言ってきた。
自分の気持ちを留めて。
しかし、体調が悪くなると、今度はメッセージを伝えるばかりで、聴いてあげるこたがてきなくなってしまった。自分で課題解決する力をみうしなってしまっている。途方に暮れ、どうしたらいいのか。
まだまだ、未熟。いろんな事を学びたい。
(松田千鶴さん)

アイメッセージ難しいなーと感じました。
自然に、そして本当にここ伝えたい わかって欲しい。そんな時に自然に、私のこの気持ち知って欲しい。ただそれだけで使えたら。
私は学んで時々、あっアイメッセージ使ってみようと思う時ありましたが、どこか期待があったり、コントール欲が出てしまう。
本当の気持ちをオープンに、自己開示。素直にできたらどんなに楽だろうなーって思いました。可愛く言えなくて、伝える後ろには、どうせわかってくれないとかネガティブな気持ちが隠れていたり。これもコツコツ
自分の気持ちを伝えられた⭕️ 相手に期待はしない。相手の反応もそれも認めて
自分の気持ちを伝えられた⭕️ ここが大切だなーと感じました。
そして、究極のアイメッセージ。挨拶。これも究極ならさらに笑顔で目を見て伝えたいです。目の前の家族に。大切な事ですね。私の目標。コツコツ。丁寧に頑張ります。
(野澤かなえさん)

◯◯ねばならないという枠(ビリーフ)が『罪の意識』を感じさせてきた。
いい親でなければならない。
自分が一人の人間であることを忘れてしまっていたという言葉が印象に残りました。仕事で、子育て中のお母さんと話をすることがありますが、ほとんどのお母さんが子育てはなかなか思うようにいかない、自分はだめな母親だと自分を責められます。それは思い通りにならないイライラ・期待・不安からといい親でなければならないという思いからなのだろうと思います。私もそうでした。なぜそんな社会なんだろう?
人間だもん、思えないこともあるよね~
(3割バッターを目指そう)また、気持ちが楽になりました。
そして、偽りの受容はきっと、子どもには見抜かれると思いました。娘に対して、口だけでいいよーと言った時、『本当はそう思っとらんやろ?』って娘から言われたことを思い出しました。
『アイメッセージ』(自己開示)は相手の行動を善悪で、評価せずに自分の本当の気持ちをオープンに表現すること。
指示命令がいかに主体性を奪うものか。子どもが小さい頃は特にユーメッセージが多く、自分で考えるスペースも奪ってたんだなと気づかされました。
『アイメッセージ』で大切にしたいことは、こうでなければならないの枠にとらわれず、自分を抑えずに、自分に正直でありたいと思いました。
『今、私は何を感じてる?』に気づけるように意識してみます。そして、いつのまにか自然に、なんか穏やかだなぁって過ごせている時間が増えるといいなと感じました。
それと、しゅんじんくんのホットケーキの話もまた胸がキュンとしました。
『お父さ~んおいしいね~』相手にどんなアイメッセージを送ろうかではなく、伝えたいメッセージって自然にあふれてくるんだなあって。そして、『焦げてるのがちょっと残念だけど・・』なんて、相手を思いやるアイメッセージなんだろうってぎゅ~っとしたくなっちゃいます。ほんとにうれしかったんですね日常の何気ない会話に喜びってあるなあ。あらじんさん、みなさんとこの時間を一緒に共有できてうれしいです。ありがとうございました。
(三吉順子さん)

アイメッセージはメンタルヘルス協会で聞いていましたが、こんなに奥が深かったんですね。10年以上前なので忘れただけだと思うのですが、たくさんの気づきがありました。
自己主張ではなく、自己開示。自分は正しい、あなたはそんなことをすべきではない。言われてみるとそのメッセージをアイメッセージと勘違いして使ってる気がします。自分の本当の気持ちではなく、テクニック的に善悪を伝えようとしているから、結果としてyouメッセージになっているかもしれません。自分の本当の気持ちが開示できるようにしていきます。
また、アイメッセージが相手の成長を促すところもすごくいいなと思いました。僕にとって、主体性を持つように育ってほしいというのは子育ての大きなテーマなので、ますますアイメッセージの重要性が身に染みました。
その他の気づきは自分はやっぱりジャッジが多いなぁ。正しさで争いを作っているんだなぁと感じます。「私が信じている正しさはこうです」いいキーワードありがとうございます。
偽りの受容もよくやってしまっています。言葉によらないメッセージ、たくさん受け取っているんだろうなと感じます。
いい親になろうとして、無理矢理受容。だけど心の中では、自分の正しさと合わずにイライラしている。そんな流れが見えました。特に家族にそうなってしまいます。家族ってどうしてこうなってしまうんだろう?ずっとテーマです。
(清水大輔さん)

最近の娘の行動がどうも気になる...
でもそれは中性の行動だから、叱ることでもないかと、中学2年反抗期真っ只中なのもあって、娘は娘とそっとしておこうと思い、娘の行動を受けれる努力を一旦はしてみることに。
するとだんだんと娘の生活リズムは崩れて行きました 不登校なので家にいて私と二人で過ごす時間も長く、私の受容ラインを完全に超えて共に生活することにストレスを感じそうになったので、「あかりのことだから、母さんが指示することでもないかと受け入れようとしたんだけど。寝る時間起きる時間(などなど)不健康に思えてならんのよ~ なんかみてると心配しすぎなんか、イライラしてしまうから少し合わせられるところがあれば譲ってくれん?」と少し前からお願いしてました。行動が変わるどころか話し合いにも応じることなく。。。
今日は娘の態度にも悲しくなり。
「もうストレスになるから母さんは家を出ようと思います。あかりもいちいち言われるの嫌だろうし、自分がそれ見てイライラしてるのも嫌だし。お風呂の時間、起床就寝時間、食事の仕方などあかりの自由で一緒に生活することいらんと思えてくるし、何より不健康になるように思えて、あかりの問題だからとうけいれようとがんばったけど、イライラが募って無理かったわ」と伝えた直後の今日の講座でした!笑
姉のちひろにそのこと伝えたら、「その方がいいよ~あかりか母さんか、どっちかうち来たら~?」と言ってた。笑 さすがうざい母とやり合った経験者!
ブレイクアウトルームでそれを話したら びっくりされちゃったけど、協力依頼も娘にこれまでもしてきたのをルーズにほっとかれてたし(意思表示もしないし)この辺りで1発伝えといたろ!!と まじめに話したら あかりは神妙な面持ちで今夜はテレビがついていないようです。
これから 娘はそれを受けてどんな行動に出るか 何か話をしてくるのかわからないけど、やや荒業ですが、私は家出する気まんまんです。
あと、むかしむかし。航大3歳千尋1歳くらいの時かな~。うちの主人は、家にあんまりいない忙しそうな人で 笑
めっちゃいい人だとは思うんだけど、気の利かない鈍感さんでした。だから、前もって伝えておきました。「私が子どもたちを叱ってる時は、だいぶさみしいか、がんばってる時だからね。家事とか手伝ってくれなくていいけど「いつもありがとうね」と言ってください!そんな叱り方するなとか、間違っても言わないようによろしく」笑
何回かは言ってくれたことあったんかな~~もう忘れちゃったな~。
アイメッセージ、上手く使いたいな~と思ってはいるんですが。。。修行です!
(山本由起さん)

第11回 「聴き方」実践編

傾聴のビデオ、傾聴という意識であまり見ておらず、2話目は特になんだか自分と重ね合わせて見てしまいましたリアルだった~笑
やっぱりお互いを理解しようとする気持ちが大事なんだな~と思います。コニーチャックも、シュンシュンのスイミングスクール事件も、相手への信頼関係だったり愛がそこにあるって思いますテクニック的な事を学んでも、根幹は共同体感覚があることを大切にしていきたいです
保健師をしているとありがたいことにいろんな家族に出会います。中には、こちらに対してかなり攻撃的だったりして、その方と関わる時は腫れ物に触るかのうようにみんな避けたりして。
例えばそのお母さんはかなり質問責めで、グレーで曖昧な返答は許さない!!みたいな感じです。けどその背景には、お子さんを死産していたという経験もされていたりしていて。不安で、子どもを守りたいが故の言葉の表出であったことなども伺えたりします。
会って間もない人にそこまで考慮して話をしたり聴いたりすることはなかなか難しいかもですが、刹那刹那にそう考える姿勢が大事なのかなと出会ってきた方々の中で教わった気がします。それが相手を理解すること、共同体感覚の育みにつながっていけるといいなと思っているところです✨✨
最近感じたエピソード:有難う 難が有る 難が有ることに対してもありがたい✨
やっぱり私はドM(ハイ出たなんのこっちゃ)
以上ウレション戦隊☆Hugっとメグキュアより愛をこめて❤️
(伊藤恵さん)

『言葉にならない思いを聴いてほしい』を読んだ時,こんな人いるの?って思いましたが、私もそうかも?って思いました人は皆こうなんだ。自分が自分でわからない、自分を自分でコントロールできないなって思いました。
あらじんさんのジャングルでのシェアや,気持ちの自己開示のおかげで,勇気づけされています。いろんな気づきをもらっています。
みんなに集まってもらいたいのに、理由をつけて集まらない時に『そんな子達に合わせることはないよ,決まってからのいえばいいよ!』ってイライラを集まってくれてる子にぶつける私ずっと心に残ってる。愛メッセージ(メッセージ)を伝えられたらよかったって
傾聴✨✨✨ほどのことはできていなくても、その子とお話しして色々聴いていると,その子の元々持っていた素敵な部分が見えて来て,その子の見方が変わった。私の理解度,決めつけをフラットにして,人と関わっていけると,もっともっと人が好きになれそうな気がしました。
愛メッセージを自己開示する(^^)をテーマにしまーす!ありがとうございます大好き❤️
(田中高子さん)

傾聴もそう。課題の分離もそう。
その人のメガネをかけることはできても、その人になれる事は無いのだと改めて感じました。それが、一体になってしまうと介入にり、訳がわからなくなり、苦しんでしまうんだと感じました。

主人が少年野球へ行くと、一切飛んできたボールを拾わないそうなんです。今の監督が一年休養して、来年戻ってくるそうなのですが、その一年間の穴埋めに主人がコーチをしてくれと今少年野球の保護者達からお願いされているのですが、その話が来たタイミングで、あらじん塾の課題の分離授業でした。
ラグビー部が負けた成績に対して私達スタッフが思った事は、私達スタッフも中途半端な、関わり方だったこと。だからこそ、本気で勝つなら、私達も本気で寄り添うべきなのだと。だから、少年野球のお話を頂いても主人は指導しておりません。それは、親のお願いであり、子ども達の希望でないから。本来なら、子ども達が野球がやりたいなら、大人がいなくても野球なんてできるはず。が、今の主人のスタンス。
しかし、練習に行くと、外野には本来頼んでもいないのに大量のお父さんスタッフ達。飛んできたボールをお父さん達が拾う。バックネット裏に父親が張り付き、ただの、バッティング練習で親が張り付き熱血指導。
子ども達はいつ主張できるのか?
それでいて、負けたのは子どもの責任だと言い出す前コーチ、笑
練習試合中、足でヘルメットを並べる上級生。かたや、普段そんなに練習しないで遊び放題の下級生は自由に育っているからか、自分達でバット引きをして、コーチャーに入り、手でヘルメットを番号順に並べていったり。
もちろん、その役割分担を自分達が率先してやっているのですが、喧嘩が起きるのです笑
下級生。試合中試合に出てないのに大喧嘩。
大人の介入が無いことが、一番貢献心さえも育めると思える今日この頃です。

1分間コーチング再受講して、知らぬ間に、無口なラグビー部選手や、不登校、職の続かない患者さん方に、使っていました笑
前回のあらじん塾でのしょうげきがあったからかな?
でも、あくまでテクニック、、、
こちらのお話しも聴いて欲しい。これは、聴いてもらわないと、身体の治療の改善にはつながらないからです。だけど、相手の話を聴いているときに、自分の話を聴いて欲しい!とは思っていないのでこれまた不思議なのですが、傾聴はどんな形も自分自身にコントロールが必要だなと思いました!
本当はあらじんさんのサミットのシェアに対しての感想にしようと思ったけど、前回の学びのシェアにも繋がるので、☝️これ、コピペしてノートに貼ります笑 長々と失礼しました!
(櫻井千尋さん)

受動的な聴き方も能動的な聴き方も、一度は聞いたことのある話ですが、なかなかできていないなぁと感じました。
テクニックではあるけれども、このテクニックを使おうとする時点で、相手の話を聴こうという態度であったり心のあり方になると思うので、意識して使ってみます。使って行くうちに、共感による傾聴ができるようになる。もう一方で、心のあり方から、つまり、尊敬と信頼を持って話を聴こうということも意識して、共感による傾聴ができるようになる。両方向から、少しずつできることを目指します。
7つの習慣の動画にあったように、本当に聴くことができれば、人生が変わる。今は自分ができていないので、特にそう感じます。共感して聴くための10ステップは、相手がこの態度なら絶対に好きになるなと思います。相手とラポールが取れるようこの態度で、人と接することができるようにしていきます。
言葉にならない思いを聞いてほしいは自分の心の中を言われているみたいでした。そういう人も多いんだろうなとも思います。お互い正直なありのままを話せる承認空間が増えれば、いいなと思います。朝活部や朝礼、ありのままに生きる学校など、承認空間が今の自分を支えてくれているんだなぁ。自分の周りを承認空間にしていきたいです。
(清水大輔さん)

ここ数日は少し自分が人間っぽいと感じている。ところで「人間っぽい」とは何だろう。
かつての自分の平均値をこなせるようになれば容易に「人間っぽい」っていう通行手形を再発行出来るような、そういう過去の記憶に安堵して定着してしまう生き物、綾子。
なんやかんや出来ていた家事が出来ない状態に陥れば「人として終わり」になってしまう手厳しい判断基準を大事に懐に持っている生き物、綾子。
途中でまた画面の向こうで「何かが何かを喋っているようだ」(正:[あらじん]が[ラポールらへん]を喋っている)くらいに講義の内容を理解するのが難しくなってきて、人が人の話を聴けるという能力は神がかった所業なのだとぼんやりと感じていた。
今回は、「自叙伝的」というワードがとてもヒットした。「自分の場合に当て嵌めて聴くのを辞める」というのを突き詰めていったら、どうなってしまうんだ。相手の「悲しいつらい」に対して、相手の目線で、新鮮に、それを初めて見聞きしたようにとらえるような感覚に至るのではないかと、そうなったら「共感的」ってどこからくるのかと。どこかに全人類共通の「共感的ななんかの泉」みたいなもんがあって、そこは全人類共通使用が認めれてて、そこにアクセスして、「共感的理解」をするのかなと。集合意識かもしれないし、ワンネスかもしれないし、魂の還る場所かもしれないし、サムシンググレートとか、そういうのかもしれない。
それは人が(多くの人が)持たされて生まれてくる喜怒哀楽やら、仏教でいうところの何でもかんでも感受してしまう「苦」みたいなものなのかもしれないなと思った。言わば人間としてぷりんっと生まれる時にデフォルトで搭載されているので死ぬまでもはやアンインストール出来ない一生感度を磨き続けられる受信装置みたいな感じ。宇宙的規模の共同体感覚に想いを馳せつつ、それすらも「無」なのかと、安心するような、残念なような変な気持ちが湧いた。
アクティブリスニングで「相手の言っていることを自分の言葉で言い換える」というのを「言いかえ間違える、しかも致命的に」というのを思っていた。
言語にはバーバル(いわゆる言語)とノンバーバル(非言語)があるけれど、相手が口で表現している事柄と、身振り手振りや気配の要素があまりに乖離しているときに、どっちがどっちなのかが頻繁に分からなくなってしまう。相手が「好き」って言ってるのに「嫌い」って気配がガンガン出ていると、「あれ?????どっちなんだっけ?なんで??あれ?」となって「嫌いなんだね~」とか文字面で見たら完全にコミュニケーションがポンコツなやり取りをしてしまってすごい険悪になってしまった経験を思い出していた。
「それは霊感だ!!」とか「波動を読んでいるのだ!」とかソッチ系の形容にもたくさん出逢ったけど、ただ単に相手の「そこは触らないで察して」が許せなかったり鈍感クイーンであるとも言えると思う。相手の触れて欲しくないところを「どがーん!!(図星)」ってドついて陥落寸前大洪水みたいにしてしまったのに綾子は「え?なんで?なんで怒ったの?」となっている。
本当は「大嫌い」なのに「好き」って対外的に表出しなくてはいけない状態の相手をガン無視してしまう時がある。身口意の一致をどの層で見るのかはとても大切だと思った。自分にだって触れられたくない部分や表現し難い内容物がある。
今、表層に表現してくれた表現をその人の100%を受け取る勇気の実践は自分にも優しくいられるなと思った。
(原綾子さん)

夫婦の映像はめちゃくちゃ考えさせられました。起きている現状は同じ。夫の立場、妻の立場からの1番目と2番目は見ていて苦しかったです。
自分のことをわかってもらおうとし、相手をわかろうとしない。心に響いたのは、相手を責めるのではなくアイメッセージを伝える。そしてあらじんさんの心の窓の説明がとてもわかりやすかったです。アイメッセージを伝えると、聴くスペースができる。ぐ~んと受容ラインが広がると穏やかでいられる。ここでも、穏やかでいられることがポイント❣️アイメッセージを伝えることは、夫婦間だけでなく、親子でも職場でも置き換えれると思いました。
何のためにきくの?
相手を理解するため。相手のことをわかりたい❗️知りたい❗️仲良くなりたい❗️という気持ちがあれば、テクニックがなくても共感はできる。そして、それは自分に余裕がないとできないは、なるほどでした。確かに自分がいっぱいいっぱいだと相手のことまで考えられない。心の余裕はやはり心が穏やかでいることで生まれると思いました。
『傾聴』はとても大切だけど、なかなか実践が難しいです。ポイントは『受容と共感』そして、穏やかな心の状態だと思いました。まだ修行中です
あらじんさん、みなさんありがとうございます。
(三吉順子さん)

人の話を聴く時に、相手目線で話を聴く。「口一つ、耳二つ」は、相手の話を倍聴くため。私は人の話を聴く時に、つい自分の主観等で聞いていた事に気付きました。そして、親しい仲間との楽しい時間の時こそ、雰囲気につられ、黙って聴く事が出来てなかった気がします。人と話す時や、話を聴く時、微笑んで聴くようにしてますが、マスク生活で、そういう表情が分かりにくいのが、ネックですが、せめて、あいづちや、相手の心の扉を開くような言葉かけを心掛け、ラポールをつくり、深めていけたらと思いました。自分目線でなく、相手の事、相手の思い等を理解する事を心掛けて接していこうと思いました。
(南部とも子さん)

人の話を聴く。何度も何度も知識に入れていたのに、聴けなかった私。今、あらじんさんから、ありのままに生きる学校に入学して、再度学んでみると、全部の学びが私には必要で、それを実践できてない自分に、やっと気づくことができました。認めたくないけど、自分が不安を抱えていて、ただただきいて欲しくて、そのためだけに相手の話を聴いてなかったのかもしれません。
ラポール、信頼関係を築く。
自分発信が多かった。でも、今回の講座で、初めて実践したくなりました。自分なんてどうでもいい、なんかみんなの話を聴くことで、一人でいても、みんなの会話が、心にスッと入ってくる感覚。
周りの声が聴こえなくて、子供の声を聴けなくて、自分のことばかり考えていた時間より、はるかに、楽しい。嬉しい。心が幸せな気持ちになりました。
動画でも沢山気付きがありました。自分が信頼関係築いて欲しいも、どうでもよくて、みんなが幸せに話しているそばで、そっと今は聴いていたいきぶんなのです。
辛いなら、そうなんですね。私もそう思います。なんて、簡単にできないけど、まずは意識していくと、楽しいことばかり。自分の今目の前にいる人に寄り添って話を聴けるようになりたいです。昨日より、今日。今日より明日。で、自分語りは、そっと、お花を見ては、綺麗な花やー綺麗な空やー綺麗な雲やーとぶつぶつ独り言言ったり。相手がいて、対話できる幸せな空間を、トラブルで悲しませるより、笑わせることばかり考えて、1日終えたいなぁなんて、結局自分語りをしたような気もします。
私にとって、聴くって大事で、実践していきます。深い学びをありがとうございました。
(畠山由香理さん)

昨日は、聴き方や傾聴、相手の関わり方を一日中学べたと感じました!!
講座前には、仕事での研修で認知症の方への関わり方(ユマニチュード)について、学んでいて、利用者さんの目を見て、相手が理解しているかを確認してお話する事、相手の気持ちに寄り添う事が大切っていうのを知って、人との関わり方は相手の事を知る、理解する、聴くのが良いんだなーと感じました。
そこからの講座だったので、ものすごく響いて、仕事では業務に追われたり、やりたい事が出来ないなどあって、相手の話をしっかり聴いてあげてない事が分かった。
最後の心の扉?のところでも、余裕がない時は素直にアイメッセージで伝えてあげるのが大切って聴いた時に、今出来てないなーと思えて…。自分がいっぱいいっぱいになっている時はイライラや話を聴かないとかがあったなと…。
相手を思いやる気持ちを大切にこれから関わっていきます!
(伊勢木浩樹さん)

傾聴するときに、おうむ返しのように繰り返し言うと相手が安心するみたいなことをこれまでも何回か聞いたことがあったんだけど。私はそれが、なんか苦手で。嘘っぽくなってしまう気がしてどうも苦手でした。でも、それは相手を正しく理解できてる?っていう確認作業だってわかって安心できたので、次からはできそうだなって思います。笑
研修なんかで、傾聴って言葉を聞くと ロールプレイとか含めて これまではテクニックっぽく受け止めてしまってたので、なんか苦手意識ありました。でも、「肯定的に受け止めながら」「あなたをもっと知りたい」と言う気持ちがベースにあるんだって理解できたので、これからは素直に自然にできそうな気がしました。
子どもたちの思いに寄り添って聴きたい。そんな力をつけたいなって思います。
あと久しぶりの詩。
言葉にならない思いを聴いてほしい。
み~んなそう思ってるんだねって、愛おしく思いました。

追伸:田中圭の初めのムービーがパートナーシップに意識がいって傾聴という視点より、深く見てしまった!あんな時代が懐かしい~
(山本由起さん)

第10回 「聴き方」理論編

「聴く力」って何なのだろうとしょっちゅう思う。傾聴について同じレベルと質の共通の知識を持っているコミュニティ同士ならつつがないことでも、一歩外に繰り出せば、ワケワカメな言葉の団子の投げ合いが起こっている。
病状の如何に深刻かで競い合うお年寄り、走りまくる息子を「止まれアホ!ばかじゃないの」と怒鳴りくるっているお母さん、お互いをほめちぎりあいまくる女子大学生の先輩後輩、どうやって客を錯覚させて勧誘してくるか営業方法レクチャーが繰り広げられるすごいグレーな空気満載の会社員。
今ここに書き記したような事柄は全部、ご丁寧に自分の記憶にとどめてしまっているから「覚えている」状態なのであって、それは「しっかり握って持っている」状態であって、なんでそれが起こるのかと言えば、それらを自分フィルターにかけて、「納得できない」と消化不良のような、エラー発生のビープ音を鳴らしてしまっているから。
①病気自慢して誰得なんだ?
②子どもにそんな言葉使うなんて外道?
③心にもないお世辞で相手のご機嫌とってるようでマウントかましてる女子トークってレベル低くね?
④売るとか売れないとかよりまずあり方よね?
みたいなものがもこもこ沸きあがってくる。イライラする。むかつく。その場から離れたくなる。殴りとばしたい気分になる。それらはそのまま
①病気自慢で生き抜いてきた綾子
②子どもに辛辣な目線しかない綾子
③相手の懐に入るためにいい子ちゃんする綾子(やんわり自分が上アピールを欠かさない)
④売った奴はなんだかんだこの世でキングと思っている綾子
という綾子の中にある綾子の許し難い醜態を垣間見てしまう。その自分を認めたくないから、イライラする。むかつく。その場から離れたくなる。殴りとばしたい気分になる。そんなものが自分の中に介在することなんか、認めたくない。いつだって自分は世界一清廉潔白であるはず。そういう世界観を遂行するためにはあってはならない感じ方が存在してしまう。
はて、するとどんどん自分の中に「受容」がなくなってしまう。
なんとか煙に巻くための優秀な防衛装置は常日頃フル稼働。エネルギーは全部持って行かれている。「持っていかれている」と自覚してただ在る。「そういう自分なのだ」という視点でただ在る。
目の前の人と話をしているようで、自分の奥深くと話をしている。自分でも未開な自分の中身と話をしている。目の前の人の表現に耳と目と心を穏やかに傾けることとは、自分自身の表現に耳と目と心を穏やかに傾け続けることなのだと思った。どこまでも受容と共感の姿勢で目の前に在るということはつまり、自身への受容と共感への挑戦なのだと思った。
自分がある話を聴き続ける道中にもやもやや憤りを感じるとき、それは自分が感じていけないと決定している何かに浸食されるような感覚を得たときに思う。その感覚に怯え、恐怖に対峙できなくなったとき、相手の話に口をはさみ、相手の言動を変えようと必死に自分を守っている気がする。
相手の話に寄り添えなくなったとき、自分の心にも寄り添えていない。
相手が話を最後の一字まで表現しきり、その表現を全うする責任に挑むとき、こちら側は相手の表現により自身に湧き上がるすべての感情の化学反応を見届ける責任に挑んでいる気がする。
なんか獣と獣のにらみ合い、みたいになってしまったけれど、そうではなくて、誰かの話を聴くというのは、自分の中に自分でも気づかなかった、時に気づきたくないような新しい筋目を齎してくれるものだと思った。
すべてがご縁であるならば、目の前に現れて聴かされるすべての話がご縁であり、それらはすべて自分自身を伝える宝であると思った。
(原綾子さん)

受講する前にテキストを読み「返事しようとして聴いている」にハッとさせられました。今までそんな風に思ったことがなかったので。でも聴く事が凄く大事な事が改めてわかりました。
ひたすら聴く、「肯定的に耳で聴きプラス目と心で聴く」を忘れないように気を付けようと思いました。 
そして「わかる~‼️」って行ってしまいがちな事が多々あるのがわかって、中々改められない自分にも気づきましたもう口癖になっちゃってるんでしょうね学んだ矢先にブレイクアウトで使ってました 。
受容と共感が自然に出来る人になりたいです。
(平田弥生さん)

傾聴
大切ですね。頭でわかっていても、とっさに反応している自分がいたりします。
今回講座を聞いて、肯定的関心大切だなーと感じました。肯定するわけではなく全て最善で起きている。相手の最善なんだ。いい悪いではなく。聴いた上で、冷静にアイメッセージでぶつけずに伝える。これも自分の中で成長していると思います。まだ伸びしろあるぞーと感じ。
頭において
話すより聴く 
家族が一番難しいのですが
聴く+肯定的に聴く意識したいです。
究極の承認
挨拶 承認の言葉を日常でも大切にしたいです。
今日夜楽しみに学びます。大切な学びに感謝です。
(野澤かなえさん)

まさしく、人の話を聞く時お仕事の時、返事をしようと思って聞いていますびっくりしました‼️してることを言葉にされて
最初にしたヒーローインタビュー‍。
ただ相手に興味を持って聞きたいことを聴く,そして答える。お互い笑顔になって楽しかった。
『傾聴』について,先日お仕事仲間と話しました。商品,物は溢れている時代、,信頼関係、寄り添う事、自分を売ることが大切。その前に相手のことを知らないと,寄り添うこともできない。でも原さんが仰ったように,テクニックでは,寂しい傾聴は,愛❤️なんだなぁって感じました。
一昨日,長女が勤め先歯科で,先生‍にミスを自分のせいにされたらしく元気なかった。洗い物してる私にその様子を話してくれました。『先生のことを信頼できない』と不平不満を言い始めました。『起きた事実は,人間だもん仕方ないこともあるよね。でもそれに対して悪口が絢子の口から出ることがお母さんは,嫌だなぁ、。言ってる絢子が損してる』といったら『じゃあやめる!』って部屋にいきました。私は,その後ズームがあり,話できず、ラインで私の思いを伝えました。次の朝、いつものようにお弁当を作り,いつものように起こして,朝食を食べて出勤して行きました。
自分の言動に学びがぐるぐるぐるぐるしてました笑
少しずつ少しずつ学びが日常に活かされてきている気がしてます。
この「聴き方」は、私のこれからの人生を益々楽しくしてくれる気がしてまーす✨✨✨ありがとうございます✨
(田中高子さん)

講座を受けて、次週の水曜に投稿する派のメグです
言いたいことはさほど変わらないのですが、 受講後、 次の講座までにいろんな気づきや想いが生まれるので、それまでためて出すというスタイルでいってる感じです (なんのこっちゃ)
しかも今日の朝は慈悲瞑想して、 少し朝外を散歩レベルじゃない、俳回してみました(笑)清々しい気持ちでタイピングしています (いやだからなんのこっちゃ)
受容・傾聴・共感 
この3つは看護で学ぶときにめちゃくちゃ出てきます。講座にあったように、確かに自分が返答するためにきいている現状です。しかも看護師のときはひどかったと思います。一刻を争うこともあるので時間に迫られていることもあり、相手も医療を必要としている人たちなので、こちらへの受け入れ度も高い。傾聴しますとキレイゴトを上っ面にして主訴をキャッチすることの優先度が高い感じでした。 保健師になってからは、相手がこちらを必要と感じていない場合の人も多いので、本当にこの相手を理解するという姿勢を学ばせてもらったように感じます。傾聴アイメッセージと受容ラインは人それぞれ違うということもすごく印象に残りました。
あと、順子さんと清水さんのシェア&質問にシビレました~✨✨✨やっぱああいうところからもめちゃくちゃ学ばせてもらってる感満載です!!ありのままに生きる学校はマジでプライスレスです✨✨

お金のブロックについても話が出ていたので話題にしたいと思います。私もかなりあります。
特にもらうことに関してかなり抵抗があります。自分もよく出前講座的な話をしに行きますが自分のこの立場で公務として行くから無料です。だからこそ自分が行くことに価値があるとも思っています。ですがあらじん塾をはじめとしてオンラインで多くの人と交流できるようになり、個人事業主の方とも多く知り合えたことで、いろんな形態があるということも知り、衝撃でした。中庸思考に合わせて今まで知らないジャンルの資産のことも学びたくてJDSに入った理由のひとうです。いまだにわからないことも多いですが、すごく刺激的です。もしかしたら私も今後変容していくのかな~。
もらうことに抵抗があると言いましたが12月眼科医会で論文発表があり、講演料としてかなりの金額を提示されました。もちろん公務で行くので講演料はお断りしたのですが、さすがに喉から手が出そうになったのが本音です。(笑)テヘ❤️

あと、高校生にお話ししてきました~!!テーマとしては子育てや保育を自分ゴトで考えるってことだったんですが、私は今あらじんさんやみなさんから学んだことに対して、自分がお話しをするときにいかにそのエキスを注入するか、わずかでもねじこんでいきたいというパッションが強めです(笑)
エリクソンの発達課題から入って共同体感覚の話をしました。いろんな共同体の中の顔が自分だよね、そのどれも自分。その中でアイデンティティが育まれていくよね。自分の好きな出現率を増やして…みたいなことを話しました。高校生の単元でお話しするってことで自分の中でかなり気負っていました。なので講座を見返しました。笑ああちゃんのコラボ講演の動画もリピ再生しまくりました。(笑)
そこで気づいたんです!!!私は共同体感覚マニアになると!!!(笑)(いやだから3回目)
長年保健師をしながら悩んでいた愛着の課題も、共同体感覚でとらえるとなんか糸口が見えてきた気がします。
長くなってすみません。ありのままに生きる学校はやっぱりヤバイッッ!!
(伊藤恵さん)

タカさんのシェアは有り難かったです解説聞けて余計腑に落ちました!
使い分け。
トラブルが多いなぁ~と感じた時こそ、傾聴。傾聴しなくてもいい時、介入を使う。俊仁けーたい(携帯)カムバックのお話。聴き方5段階にしても、、、
来談者心理療法って聴けばいいってもんでもないし、相手の話を聴こうとすることって本当大切だなって思いました。
さいごのあらじんさんのお話と重なるけど子供の話はゆっくり聴ける。言い訳も、お話も面白いから笑笑 でも、スタッフの話は聴けない笑、苦手だから笑 私の感情にも入ってほしくないし、本音で話したいとは、今の所思えない、、、でも、どうしたいんだろうか?だからといってどうしたいんだろうか?と考えると、こうなってほしいこう分かってくれたら嬉しいなという感情はある。ということは、良好な関係を築きたいのか、、、と。
と、朝のランニング中復習で聴きながら、結局自分も傾聴ができる心のポジョン?に達せてないな。と笑笑 感じれましたようは、分かり合えるかどうかも、相手ではなく、やっぱり自分次第なんだなーと。思いました笑
(櫻井千尋さん)

あらじんさんから傾聴のお話を聴くまでは、『わかる、わかる』は相手を共感し、相手を理解する言葉だと思い深く考えずによく使っていました。
でも今は、『わかる、わかる』を使うときに、本当にわかってる?本当の気持ちはわからんのやない?と考えるときがあります。全く同じ経験をしていないとその人の気持ちはわかることはできない。できることは、わかろうとすること。それでも、ほんとにそう思うときには『わかる、わかる』って使っちゃうこともありますが、わかるの見方を知ることができてよかったです。
〈理解しようと聴いてるのではなく、返事をしようとして聴いている〉
たしかに、相手の話をききながら私だったらこう思うと、自分のフィルターを通して返事をしているなと思いました。だから、「でもね」「だけど」などになってる~
「なんて返事しようかな」から「相手を理解しよう」を意識したいと思いました。
〈人が心から求めてるのは理解されること〉
私も理解されたいと思ってるということは、相手もそう思ってるんだと気づかせてもらいました。  それと私は娘に「お母さんは自分のことばっかり話すやん!」とよく言われるので、『自分が話す前に相手の話を聴く』は私の課題だと思いました。でもついつい話しちゃうなあ~
〈聴くの意味〉
耳できいて目で見て心できく。そしてプラスの思いできく。同じきくでも、プラスの思いできくか、マイナスの思いできくかで受け取りが変わってくると思いました。意味を知ると『聴く』の漢字が好きになりました。
傾聴は学んでもなかなか実践が難しいけど、まず大切なことを知れたことがはじめの一歩なので、少しずつ「聞く」から「聴ける」人になりたいです。あらじんさん、みなさんありがとうございました。
(三吉順子さん)

久しぶりにリアル参加ができました!
『聞く』と『聴く』のお話はやはり考えさせられます。
受容と共感… 共同体感覚のお話もそうですが、基本に絶対的信頼がないと、全て小手先で上っ面になりますねー。
私は、人はみんな100パーセントで生きている、という考えが好きです。教わって、ああ!となった『肝』だなー。
自分の狭い視野のなかでは、人間関係で???とおもう行為や会話が結構あります。 ですが、みんな100パーセントで生きているんだ、という目線で観たら、全然違ってみえてくる。
勝手につくるジャッジがかなりへりますね。
このジャッジでいっぱい失敗したからージャッジしていっぱい怒ってたのは、相手がどうこうではなくて、実は自分が小物だった!っていうオチがまたいいですよねー!のびしろ、バンザイ!
(梶野和美さん)

聴く
聞く
改めてなるほどと思いました。相手の意見を耳、目心で相手を理解してあげる。
これがコミニュケーションを取る上で重要。
相手を理解を理解すればするほど、相手を大切に思う気持ちが生まれ、信頼関係に繋がっていく。
私はここ数年これが出来なかった為、今この課題が与えられていると思います。
取り組んで行きたいと思います。
(松田千鶴さん)

1番の衝撃は、「理解しようとして聞いているのではなく、返事をしようとして聞いている」でした。確かに、自分が話すためにしか相手の話を聞いていませんでした。もちろん、相手のために返事をしようとしている点もあります。それよりも、相手を理解する。それも、自分を理解されようとするのではなく、相手を理解しようとすることが大事と意識していきます。が、すぐに忘れてしまっているので、これからまず相手の話を聴くを毎日思い出す習慣をつけていきます。
それと、理解しようとする事は自分でコントロールできる。理解される事は、自分ではコントロールできない。こちらにも気づかされました。
カールロジャーズの傾聴も、結局は人間が本来持っている成長や可能性や人間は誰もが必ず良い方向へ向かおうとしている、相手への信頼なんだなあと感じました
受容とは肯定的関心、信頼
現状は100点満点、未来の可能性は無限大。すごくいい言葉。そうはなれていませんが、近づいていきます。
共感とは共感的理解
相手>自分 これは気づいていなかったのですが全然できていない。発見できたことは大きな一歩です。
「もし私があなただったら私もそう感じると思います」受容、共感魔法の言葉。ありがとうございます。
よくやりがちな対応は、本当によくやっていると気が付きました。評価、分析、アドバイス、昨日もやってしまいましたが、こちらも気づけてよかったです。
最後のロジャーズから学ぶカウンセリングの心得はすごく教訓になる自分の中に入れておく名言です。
ワクワクの行方、楽しみにしています。
斎藤ひとりさんの
夢は将来のためではなく今を楽しむためにある
というような言葉を聞いたことがあり、今をワクワクするために未来を使うのもありかなぁと思ったりします。
人間の本能の中に成長したい気持ちもあると思うので、未来にワクワクして、辛くてワクワクできない時は、皆苦使い分けできたらいいのかなぁと思ったりしています。
(清水大輔さん)

相手の話を聞くときの癖として、相手のいうことを批判する姿勢まではないとしても、「わかる」と同意してしまう時が多いです。「わからない」が基本であるということを再確認したいと思いました。
話を聞いているときに、相手の話の中身を正しく理解しようとして、怖い顔になって聞いてしまう時もあれば、話の中身より、その人の表情や声の色に意識を向けて感じることに重きを置いてて、中身がよく理解できてない時もあります。
その人はいつも100%であること
その人の関心に関心を寄せること
それをわかってさえいれば、なんとかなるなという気もします。
今日はジュンちゃんが学んだことを仕事の中で生かしておられるお話に感動でした!おはよう、おやすみなさい、いってきます、おかえり~これが究極のアイメッセージだって学んだときのこと。シェアしてもらえて嬉しかったです、ありがとう!
「おかえり」って子どもたちに言いたいから、学校の先生辞めたことを思い出しました。「おかえり」言うことも言われることも、大好きです。
(山本由起さん)

コミュニケーションをとる時に、ついつい自分の想いを喋りたくなるけど、まずは相手の話をとにかく聴くこと。こう書くと「聴く」がさらっとした感じになるけど、耳に目と心を足して真摯に相手のことを理解しようと聴くことが、強いては影響の輪を大きくすることに繋がるっていうのが、凄くハッとしました。普段、どれだけ相手の気持ちになって真摯に聴けているか…意識してみたいと思います。
よくやりがちな対応は、自分の母が正にこういう人だったので、私が次第に色々を喋らなくなった経験とすごくリンクしました。
誰もが100%で生きていて、相手のことを理解しようと努めるけど、100%相手の気持ちになれることはなくて…。だから、自分の気持ちを100%理解出来る人は他にはいないのだから、自分は自分の気持ちを一番大事にしてあげるそれができるのは自分しかいないんだって思ったり…。それが出来るようになるには絶対的な安心感である共同体感覚が必要なんだろうと思ったり…。でも自分という存在ですら諸法無我で諸行無常だから…って考えてたら、深い~~✨✨と思ってどこかへ意識が飛んでいきそうな感覚でしたぁ~。
(清家奈緒さん)

まず、最初から、衝撃だったのは、多くの人は、理解して欲しい。でも、ほとんどの人は、相手を理解しようとしているのではなく、返事をしようとして聴いている。
私は、とにかく、聴いて欲しいがめちゃくちゃ、強くて、やはり、コミュニケーションどころか、共有どころか、勝手気ままに、自分のことばかりを語ってきた様な気がします。しかも、誤解言葉多かったです。やっぱり自分を主張するのではなく、やはり、相手の話を聴くことに、少しチャレンジすると、何だか、もっと相手に寄り添いたくなり、幸せな気持ちも生まれている感覚もあります。
理解されるのは、関心の輪。
理解することは、影響の輪。
少し、周りの仲間に耳を傾けて聴かせてもらうを意識したら、周りの人の思ったこと感じたことに、近づくことができる気がして、まだ実践は程遠いかもですが、今は、周りの方のことが知りたい、聴きたいなに変わってきています。
ただ何となく聞くのではなく、
相手の目で見て、耳で聴いて、心で感じる、聴き方を、自然にできたなら、共同体が、近くなれる様な気がしています。
相手の抵抗を招く言葉は、避けたい。トラブルはやっぱり悲しいです。
ありのままの自分でいながら、相手の話を、分かるわ~と聴いてくれる、友人もいますが、やはりケンカも絶えないですね。
子供の話も、明日にでも、耳を傾けて、聴いてみようと思います。
今回も深い、深い学びでした。あらじんさん、いつも、ありがとうございます。
(畠山由香理さん)

昨日夜勤明け→夕方から仕事の研修→ありのままの学校で、かなりの眠気に教わりつつ、学ばせて頂きました。
聴き方に関しては、昔はシェア会とかで、自分の事を伝えなきゃが強くて、人が話している事をあまり聞いてなくて共感していた事だったり、興味がないことには話を聞かないなどしてました!!
今は沢山の学びをしていて、朝礼やシェア会、仕事での高齢の利用者さんとのコミュニケーションも、相手の気持ちを聞いて、感じて、相手の事を知りたいって感じる事が出来ているなーって思いました。
また魔法の言葉で、あなたはそう感じているですねと言うのは良く、仕事では利用者さんに伝えているし、話を聴かせて欲しいって気持ちになってます!!
自分ってすごーいって今日の話を聞いていて思いました。
これからも聴く事をとても大事にしていきます!!ありがとうございました~!!
(伊勢木浩樹さん)

第9回 アドラー心理学 Ⅴ 「課題の分離 子育て編」

「私には能力がある!!この人ナカーマ!」って思えるような話か方なんて今まで生きてきて一ミリも意識したことはない。「あらじん塾」の時にも聴いたはずの話なのに、確かに聴けは「うんうん聴いたねこの話」となるのに、全く浸透していない。皮膚の上から塗っても真皮を通れないコラーゲンのごとく。
テーラワーダ仏教の「心の中に喜びがない状態」がすでに「怒りの始まり」というのがとてもヒットした。自分の人生が「怒りの始まり」を起点にして成り立っているような感覚を覚えた。
今の生活は、超ミニマル仕事オールストップなので、ある日断捨離を始めた。今までの人生で一度だって「すっきり片付いたー!」って思ったことがない。まぁいっかってそのまま置いておいたものは遅かれ早かれ重たく感じてしまって苦しい。すっきり感がないから家に居ても気持ち悪い。居つきたくない。全部ひっくりかえして、どこぞのライフスタイル提案のCMかなんか撮影なのかお前ってくらい気色悪く、それはそれは気色悪くゆっくり丁寧な挙動で家中のものを一個一個手にとり断捨離を始めてみた。服は一枚一枚撮影して名付けた。
進めてゆくと間髪入れずに「捨!」「要!」となるものと「・・んんんんn・」と一週間以上経っても決められないものがあるのに気づく。「もの」そのものよりもものに付随している「想い」が重く自分をひっぱっていることに気づく。
その重みを家族に転写して喚き散らしていることもあるな、と思った。それらを「重い」と感じてそれを見たくなくて家に居たくない。実際は家の外に居ても心の奥底で四六時中気になっている。これらは自分の課題だった。未消化の課題が家の中にいっぱい転がっていた。
それから自分の所有物じゃない箇所ばっかりが気になり始めた。妖怪・介入道が出てくる。自分のエリアはとっちらかったまんまなのに。あかんあかんと自分のエリアに戻ろうとしたとき一瞬、「ああ疲れた」って思った。その瞬間に「ああ憑かれた」に文字が置き換わって「今日はもうやめよう」と思った。
これは綾子の人生的にとても大きい。人生初くらい「自分のご機嫌が悪くなるきっかけを捕らえた」事案だった。
「(自分の課題がこじれる瞬間に)気づいた」のでその日は気を変に消耗しなかった。その日の断捨離目標値には達していなかったけれど嫌な気分にはならなかった。旦那さんが帰ってきたときに気疲れしてないので「(無い)気を使う」ことがなく「(充足している)気を配る」という感じを体験できた。
その日のその後は旦那さんのエリアのモノは気にならなかった。
ちょっとだけ「綾子には能力がある!!綾子は綾子の味方!ナカーマ!」って思えた。物理的に成しえた量は「こんだけ?」と突っ込みを入れたくなるような分量だったのに、外の誰にも見えやしない「疲れた」っていう気持ちに気づいただけでとても満足した。
(原綾子さん)

課題の分離
私は保健師をしていて、一応健診に来られるお母さんや子どもを対応している先生にアドバイスをしたりする立場です。そんなキャラじゃないのに外では結構取り繕っていました。
ちゃんとしたお母さんしなくちゃ…的な。なので近くの公園は知っているお母さんがたくさんおられて、見られていないのに見られている気持ちになったりして。あえて実家近くの公園で遊んだりしていました。子どもに対してもきちんとしていないと…的な気持ちが多く、メディア時間を決めたり寝る時間を決めてできるだけ規則正しい生活をしないと~!!って囚われていたと思います。
課題の分離を学んでからは、特に中性行動という言葉を知ってから随分楽になりました。子どももその方がノビノビしているし、大した問題じゃなかったんだなぁと思っています。
介入と協力を履き違えないようにして、やっぱり笑顔。そこにつきるなって思っています。
それと、仕事が発達関係のことが多いから、アドラー心理学は年齢層は関係ないっていうところも衝撃で、おもしろいな~って思っています。はたまた仏教学もそうなのかもですよね。
佐々木閑先生のyoutubeの言葉にもハマっています。
しゃべるとちょっとアツくなっちゃってハッと我に返ったりするところにもキュンとします❤️「この身体を瓶のようにもろいものと知り、この心を都市のように堅固なものとして打ち立て、智慧という武器で悪魔と戦え。そして勝ち取ったものは、それに執着することなく護っていけ。」ここに全てが網羅されている気がします。囚われず、護っていく。
慈悲瞑想もカーテンをあけてサミットから朝毎日続けています。
サミットのときもでしたが、ほぼ毎回、ジワっと涙が。感動してる?悲しい?慈しみ?この涙は何かよくわからないのですが、意味を明確にしようとも思わず、涙を止めたいとも思わず、ただただやっていこうと思います。
以上です。ごきげんよう。
(伊藤恵さん)

課題の分離 あーやってる~ 言ってる~
まだ伸び代たっぷりです。でも自分に成長も感じています。
不登校になった時には課題の分離ができずに、一体化して一緒に荒波にのまれていました。そこから何年もかかりましたが学校に行く行かない、勉強するしない、行事への参加、ゲームなどは口出ししなくなりましたが。
朝起きるに関して、前回の洗心塾の時に話し合いをして自分たちで起きる、目覚まし時計を準備して、子供達を信じ、任せていましたが。いつの頃からか、勝手に声がけをして子供達の自立を奪っていました。
課題の分離。なんのためにするのか、私には能力がある、親子が共同体となる。協力の経験を1番大切な親子でできることが、今後生きていく上で人を信じたり、甘えたり、助け合ったりの基盤になりますね。
長男が来年から中学生。
野球部に入りたい⚾️ 私にとっては大丈夫~?の不安が1番に出てきますが、息子の人生 話し合って学校に協力してもらえることは依頼して、決めていきたいと思います♪
今日から初の入院生活が始まりました。
夫と子供達が家事を分担したり、昨日の買い出しは子供達も一緒に手伝うよーと声かけてくれたり、泣けるくらい感謝です。子供達が不登校になったことで、話し合いを大切にできるようになり、自分で決めるを大切にできるようになりました。まだ成長段階ですが、こうして助けてもらえる関係が感謝です。入院して家族のありがたさ感じてます。
たての関係ではなく、横の対話を大切にしたいです。
学校に行ってませんが、ご飯作りはみんなできるので、安心していますあとは、散らかろうと、元気に生きていてくれたらいいです。
課題の分離。こうして繰り返し繰り返し学べることが大切だなーと思います。完璧は目指さず 3割で。
(野澤かなえさん)

これまで、いかに自分が中性の行動に対して口をだしていたか…「私の問題じゃないから、知~らない!」と思ってみても、結局気になるから口を出す…どんどん本人の能力を奪っていました。
自立は自分で朝、起きることから!を学んで、ステップ1のように子どもに投げかけてみたら、アッサリ嫌だと言われる始末また、折をみて投げかけてみたいと思います。
ブレイクアウトルームで話をさせてもらってましたが、親が子どもの宿題や忘れ物に介入してしまうのは、学校から「ご家庭でも宿題や忘れ物がないように確認してください」みたいな依頼が来るから、親は介入することが自分の課題になってしまっているんだなと思いました。ビリギャルのあーちゃんみたいに、先生に何と言われようと我が子を信じる強さが親には必要ですね。
話は違いますが、先日の朝活部のチャレンジ講演の一色さんの話しを聴きながら、まさに共同体感覚だなぁ~ってここでの学びを思い返してました❣️
(清家奈緒さん)

まずは、課題の分離と介入と協力
切っても切り離せないこの3つ。課題の分離をしたと思っていても、介入を協力に入れ替えてしまっている、、、とグサッと来ました。
問題児は、主観で作られるの話。
椅子ではなく、テーブルに座る例え話。
等しく対等に接することが、これからの自分の課題だなと感じました‍♀️
一度、もし、〇〇さんにだったらどう伝える?この言葉を使ったほうが、勇気付けになるんではないか?などなど、、、一呼吸置いて、お話ししようと思います!
そして、想大さん
「児童館でよく、中指を立てるのですが、おウチでもやってますか?」と、、、家では全くやりません。
次は学校からもお電話「児童館に行く途中、お友達の傘を折ったそうなんです、、、相手方のお母さんが、連絡帳の方に『想大君のお母さんは知っているんでしょうか?』と書かれていらっしゃいまして、、、」と、
想大に「どうして折ったの?(傘をどんな気持ちになったから折ったの?)」と聞いても「手で」としか応えてくれません(たらりー)
中指を立てるのは、特別支援学級でもやっていないそうなので、、、中性行動でも無いような、、、なので、やらないでほしいと伝えました。でも、児童館の先生の決めつけに不満があって、お友達や先生に中指を立てる方が早くて簡単に意志が伝わるので、使ってしまうんだと思います。
子ども同士の喧嘩の傘問題は、、、相手の親が謝罪や傘の弁償を望むならそうしようと思います、、、
面識がないのもそうですが、何故態々学校へ連絡するのだろう、我が家が、傘を折られた事はあるが、連絡したことも無いので、子ども同士事なので、、、ため息混じりの週末となりました。
課題の分離を聴けて心穏やかになった今日この頃です有難う御座いました!
(櫻井千尋さん)

私が、アドラー心理学を学びたいと思った理由はまさに、今思えば、課題の分離ができていなくて、親子トラブルが絶えない。まさに、なんとかしたい。がきっかけでした。子どもの課題に、首を突っ込みすぎて、親子でイライラが絶えなかったなあと思います。
今回の講座でも、中性の行動には、本人の意思を尊重し、頼まれないのに、介入する権利はないと。
だいぶん最初に教わってから減ってはきているのかなあと、思います。
実際、車の免許を取得した子どもは、もう20歳。学校に行かないと泣いて心理学を学び始めた私。親子の課題をゆっくり、分離しながら、笑い、見届けてきた、子どもの口から、自由って楽しいと言いながら、なんでも自分で楽しいを見つけて、ゆっくり前を向いているようです。運転をすると、自信がつくみたいです。
衝撃でした。私には、能力がある。親は私の仲間である。
私は、子どもを自分の思うように育てて、自分の力でやりたいことを奪ってきたのかな?自信がつきはじめた我が子は、ゆっくり自分の思う通りに人生を歩んでいます。困った時は、協力するね。あとは自分で解決できるように見守ろうと。
子どもの権利を、奪わない。困った事があれば、ちゃんと言ってくるようになりました。大人、自分もそうだよなぁと、思う今日この頃。日々修行ですね。
今回も、共同体感覚がとっても必要だなあと感じております。子どもを、信頼し、1人の人間として、横の関係性。
今回も深い大切なお話でした。ありがとうございました。
(畠山由香理さん)

誰の課題かどうかはわかるようになってきました。
子どもが なのか 子どもに なのか?
子どもにさせたい。これ子どもの課題じゃないよなぁとわかった後にどうしたらいいのかなぁと機嫌が悪くなって雰囲気が悪くなるのが嫌で黙っている、その場から離れるという対応が多くなっています。
まず課題を分離して、協力依頼をIメッセージで伝える。傾聴する。方法を知ることができました。
まだまだ心の中に怒りが出ているなぁ。そのイライラで傾聴出来なくなる。喜びがない時点で怒りのスタートだと聞いて、ハッとしました。まず穏やかな心を手に入れたいと感じました。そのためにまずは瞑想を続けます。

本人が私には能力がある
親は仲間である
子育てにとって大切な目的だと感じました。親がすごく子どもの世話をやきたがる時代になっている気がしていますが、それが結果、自己肯定感が下がってしまうことにつながっているのかもしれないと思いました。

責任はその子の権利
奪わない
いい考えなので広まって欲しいです。

イライラの元は期待。それが不安からきている。確かにそうです。もしどこかで気づいたらやる。そう信頼できていないことに気がつきました。
失敗の体験、例えば自分で起きずに遅刻する。できればもっと早いうちにさせておいたらよかったと思いました。大きくなればなるほど、遅刻の代償が大きいですね。
先回りして失敗させないようにする。せっかくの成長のチャンスを逃してしまう。そのとおりですね。失敗がダメというメッセージも送ってしまうし、失敗から学べることも体験できなくなってしまいますね。
(清水大輔さん)

子育ての目標=共同体感覚の育成
行動面の目標で
♡自立
♡社会と調和して暮らしていけること
心理面の目標
☆私には能力がある
☆人々は、私の仲間である
すごい。こんな事を考えて子育てしてなかったなぁって思いました
それを今お仕事に置き換えてみるとすごくスッキリしました所属感、貢献感を感じてもらえることで、自己受容感に繋がる。メンバー教育も同じなんだと感じました❤️何の為に課題を分けるのか?共同の課題として取り組めたら楽しくなるなって思いました
三業=身口意寄り添い、想いを伝える心穏やかにお仕事できるイメージに溢れました❤️有難うございます。
(田中高子さん)

中2のあかりがいるものの、3分の2くらい私の第1次子育て終わってると思っている 笑
本当に昔は「中性の行動」に介入してたなあと振り返っていました。
なおさんが先生に言われているように、私も学校の先生だったときは、先輩の先生の価値観の中で「親がもうすこし見てあげるべきでしょ」とか思ってた時あるし、だから親としても「こんなふうに親としてやるべきだな」と思っていたことも大きく、周りの人や学校の先生に「いい親に思われること」を頑張ってた時期もあったなぁ~
「なんで学校って全てのことが決まってるの」
普段は口数の少ない、絶賛不登校中のあかりのことばを思い出していました。
「喜んでください、お子さんは順調に成長しています」
きっと、協力して欲しいときは自分から言ってくると思うのでそれをそばで待っていたいな。
自分の想いに正直に生きてる。これでいいんだな~ってゆる~くなんとな~く、安心しています。
(山本由起さん)

第8回 アドラー心理学 Ⅳ 「課題の分離」

「課題の分離」の話を聴いていると「人の心の分離」のように感じてしまって只管悲しい気分になってきてしまう。人の挙動すべてに対して「あっそ、だから?」って言ってるような感覚に陥ってしまう。そんなことは無いんだろうけどそういう風に感じてしまう。自分は「健全な(?)課題の分離」状態が全然わからないのではないだろうか、と不安になった。
生きてきた中で「言ってくれたらよかったのに~何とかしたのにー」というのがよくあり、それに対して綾子がいつも思うのは「いや、言ったし何回も」というのがある。「気になることは言ってね」というのがあり、「これが気になる」というと、「そんなの気のせい!気にしすぎ!細かすぎ!」というのがある。
周りがほとんどストレスに感じずにやっている日常の一コマ、例えば〇〇が難解である、というのはいくら説明しても通じない。言ってねと言うので言ってみるけども通じない。正確に言うと字面は通じるけど、困り感は通じない。誰も言い出したことのない困りごとにどのように打開策を講じればいいのか、正直自分でも分からないので事態はただただ混乱して、結果「めんどくさい人☆綾子」が出来上がってしまう。あれこれ試すと今度は逆切れ咆哮を浴びる。言わないほうが良い、となる。そしてある日倒れる。そしてまた怒りの鉄拳を喰らう。「なんで言わないの!」と。だから言ってるやん!!
夫婦の中でもよくあって、長年かけてたどり着いたのはどうやら「純粋に綾子の表現の仕方だと、てんで全く通じていない。ほとんど外国語」というのと「綾子の感じていることの深刻具合(時に卒倒して救急車で運ばれるくらいの心身負荷)が世の中の平均値からするとたいしたことないようにしか感じない。考えたこともないからそんなの想像できない」みたいなところだった。
多くの人には気にならないことが気になっているんだということを知った。感じ方には差異があり、自分はそれが少し偏っているのだと知った。綾子は周り人々の感じ方をもっと知ることが大切なのだということを知った。もちろんそれは「周りの人々」っていうざっくりなくくりではなく「関わっている一人ひとり」。そうやって自分を知ってゆくことにより「ここから先は入ってきて欲しくない。困る」というラインと「これは助けが必要だ。〇〇さんにお願いしよう。ただし、ここからここまで。正確に。」というラインがちょっとずつわかるようになってきた。
そして、この人にはどのようにどこまで話したら気持ちよく相互の理解が成立するのだろう、ということを考えるようになった。すると、一挙手一同全部を説明するより、ポイントを絞って話したほうがよいシチュエーションがあることを知った(仕事の打ち合わせとか。ほぼ不可能なので代理を立てます)
ポイントを絞って話す、というのは全部を話していないので、なんだか嘘を言っているような気持ちになってしまって苦しく寂しくなってしまう自分を発見した。
これは「課題の分離」に対して綾子がモヤっとする理由のきっかけの一つなのではないかと思った。
全部を文字に起こして洗い浚い共有しつくすことだけが愛あるコミュニケーションではないらしい。
これは、「この部分は信頼しきってお任せします。全部の姿は見えてなくてもお任せします」という勇気の要る姿勢に思えて、ちょっとぷるぷると感動した。
でもやっぱり「課題の分離」の話を聴くと寂しい、悲しい、見捨てないでって感じることも多い。
(原綾子さん)

早朝ランニングを再開したので、夜が中々遅くまで起きていられず、眠たくなってしまい、runningしながら、アーカイブを聴いています!
すると、ランニング前の起床後の慈悲の瞑想で、これまでは素直に「嫌いな人が、、、自分を嫌っている人が、、、」ということがイメージ出来なくて、いや、、、やっぱり嫌いだーー!とドンドン考えすぎて、負のスパイラルになっていたのですが、なおさんのシェアも聴いて、子どもたちへの影響の輪を聴いて、、、はっ!!!と振り返りました。
私は、何を変えようとしていたのだろう?
私は、何をどうしようとしていたのだろう?
ランニングしながら、アーカイブを聴きながら、、、振り返りながら、慈悲の瞑想の言葉がまた頭の中で流れ出して、、、そして、この2日間の慈悲の瞑想が本当に、空の境地。もちろん、幸せになりますように。というイメージかと言われると、そうではなくて、上手く言葉にできないのですが、悩み苦しみが無くなりますように。という言葉が、嫌いな人であれ、自分がどうであれ、心穏やかでいれるなら、それ以上の幸せはないな。と、、、なんというか、そう唱えることで貢献感?が芽生えているのだろうか、、、
「自立」といういっちゃんのシェアも、動画拝見しました!まさに、私の苦しみとはこれで、信じて頼れる場所が、、、考えれば、、、辛うじて主人、、、くらいしか浮かばなかったです。頼れる場所を増やす。ただ、無理に頼るのではなく、貢献感や所属感を感じながら、人と比べることなく、自分のペースで信じるを増やしていければ、と感じました有難う御座います。

あらじんさんのアウトプット会
まさかの阿含宗出てきてびっくりでした。
主人の父→日蓮宗 主人母→阿含宗
主人のお母さんに、神頼みというものはない、私達は先祖様達のお陰で今存在出来ている。と、言われたことを思い出しました。御釈迦様が、神々しいという話。それと真逆の御釈迦様は薄情者だという話し。まさに表裏一体。蓮の花の話もそうでしたが、本当に、今こうやって仏教とアドラーが繋がっていくところも、この学びも思考も、本当に面白くて感謝だらけです!
あらじんさんのアウトプットを毎日配信してもらって、ランニング中本当に聴き続けたい、、、です!笑話聴いて納得しすぎてランニングのベストスコア出まくりです!アーカイブ万歳有難う御座います。
(櫻井千尋さん)

自分の課題と他者の課題を分離する。
他者の課題にどうしても介入したがる自分がいる。コントロールできない他者をコントロールしようとしている。
コントロールできる今、ここ、自分の影響の輪を広げ続けて変えられないものまでに、影響を与えられるようになりたいと感じましたそれにはもっと学びそれを実践でき、応用できるようになることですね!まずは、今をプレゼント、笑顔をプレゼント。
現実は、講座の中の相談1.2.3.二も対応できない私です。
Q.1の相手のことをわかろうとする❤️
共通の課題、傾聴と共感。
いつも不平不満、愚痴、悪口いっぱいのメンバーさん。聞いているだけで、お部屋の空気も澱んでくる、気分も悪くなる。わたしの介入スタート先日一人でお会いできて彼女の好きなこと、ライフスタイルを聞かせてもらった時の彼女の笑顔は、めっちゃ可愛い❤️いつものキツい顔とかは別人私が発する波動が変わっているのか(?)
今回の島根サミットで、わたしの固定観念、決めつけ!!が少し崩してもらえた気がしてます
皆全力で生きていて、幸せにはいろんな幸せがあって、今、ここ、自分が幸せと思えたら幸せ❤️
笑顔溢れる女性いっぱいの世界にしたいこれも介入笑笑 今、ここ私は幸せです。
(田中高子さん)

課題の分離‼️
「共同体感覚」同様この言葉もよく聞いてました。
学んで、言葉では「そうだよな~、自分の課題と他人の課題は別物」とわかるけど、現実生きていく上で中々分離出来てないし出来ない自分がもどかしいです
特に他人の課題には介入はしないけど放置せずいかに支援するか、いかに愛と感謝に持っていけるか!?みたいなのが難しいなって思いました。どこまで支援したら介入にならないのか?他人の課題が自分が原因のものならそれは踏み込まなくていいのか?すごい線引き(?)が難しいなと思いました。
でも自分の今ここに集中することで過去は変えられなくても見方は変わってくる、変えられないものにも影響があるのは目から鱗でした。
(平田弥生さん)

こんにちは。愛欲にまみれた悪魔です❤️
今 ここ 自分 刹那 present
いまここに笑顔をpresent
今思えば、課題の分離がなかなかできず、あらじん塾に入りました。
課題の分離を学んだ今は、あの頃悩んだ自分にめちゃくちゃ感謝しています。学びを共にできるみんなに出会えました。
影響の輪が広がる実感・体験を増やしていく。そのときは広がらないと実感しても、実は遠くを見据えたものへつながっていると感じられる。この体験は大きかったです✨あらじんさん、みなさん本当にありがとうございます❤️
課題の分離
小児慢性特定疾患をもつ赤ちゃんの訪問へ行きました。そのお母さんは出生届の際、窓口で涙していました。
訪問したとき、お母さんより「私の幸せで考えたらこの子は不幸って思うこともあるけど、この子の幸せはこの子の中にあるんだなって、それを大切にしたいと思えるようになりました」と話をしてくださいました。
お母さんは、子どもさんの幸せをきちんと分離されている、尊重されていると思うと、めちゃくちゃこみあげるものがありました。ありのままに生きる学校に入っていなければ、こんな尊さを感じていなかったかもしれません。疾患をもったかわいそうな家族と勝手に自分でジャッジしていたかもしれません。自分と相手の課題を分離する大切さを実際の姿や言葉で学ばせていただいた感覚になりました。
あらじんさん、阿羅漢(荒巻)さん、みなさんいつも本当にありがとうございます❤️
(伊藤恵さん)

影響の輪を広くしていくと、関心の輪が小さくなるというのが新鮮でした!他人はコントロール出来ないから、自分が変わるしかないという言葉をよく聞いていて、それが影響の輪の話で腑に落ちました。
だから「今・ココ・自分」しかやっぱりないんだ!と感動してたら、次の日の日めくりカレンダーの言葉が「今・ここ・自分」って書いてあってびっくりでした(すみません講座に関係ないです)
課題に向き合うポイントで、
★他者を自分の課題に介入させない
というのと
★相手の選択を信じる
自分の課題を自分で解決する権利が誰にでもあるというのは刺さりました。自分が介入することで解決する権利を奪っていると思うと、それは良くない!と思ったので、そこに意識を持っていれば今よりは介入する頻度を減らせるのでは??と思いました。
子育てをする中での課題の分離、わかっていてもついつい介入してしまう自分がいることに、なかなかだなぁ。と思う今日この頃です。
(清家奈緒さん)

講座の前夜に、中2の女子と話をしていて、カウンセリングの先生に命を大切にしないさいと、いつも言われるが、意味が分からない。命を大切にしなさいは、介入じゃないですかと、いう言葉を投げかけられました。
まさに、講座の内容でした。
個々に、言われる言葉も受け取り手により、変わるし、出来事に、色をつけ、それに、人は、善悪もつけていくと思いました。課題の分離や、あらじんさんに、教えて頂いた、目の前の方が、心穏やかに過ごせるよう、自分ができる事は何か←協力依頼を意識したい。

【サミットの振り返り】
静岡サミット、島根サミットと、参加させて頂きました。
サミットが、本当に大好きです✨✨静岡も、島根も、自分に戻れる居場所であり、本来の自分に気づける場所でもあります。皆さんと、リアルでお話をさせて頂き、今が、どんどん膨れ上がる感覚で、愛しさがたまらなかったです。一年弱ぶりの仲間の姿も、感動というか、ありがたいというか、言葉にならないものでした。ホントたまらんです。あらじんさん、皆さん‼︎ありがとうございました。
(森直子さん)

島根サミットで体験した学びについてのシェアを、させていただきます。
私は、今回で3回目のサミットを体験して、3回目は、ありのままに生きる学校に入学後のサミットでした。
そこで、今までに感じたことの無い体験ができました。
サミット前から、愛と感謝の中で、すでにサミットは始まっていた。と言うことです。すでにどんなことが起きても、大丈夫。そこからのスタート。
般若心経を教わり、瞑想を学んだり、アドラー心理学の復習をしていく中で、今回の3回目のサミットは、今までにない穏やかな気持ちで望めたのです。ありのままに生きる学校で習った、慈悲の瞑想と、般若心経の学びです。
私は、ある時から般若心経に、あらじんさんと、愉快な仲間に感謝と書き続けたり、慈悲の瞑想では、毎日毎日、生きとし生きるものがしあわせでありますように。と唱えるたびに、だんだん、今まで、私が周りの仲間に対して、我が我が、自分のことばかり言って、困らせたり自分が愛と感謝が足りてないことに気づきはじめたのです。
できなくて当たり前、想定内、もう、サミットに行きたくてたまらない。すでに、沢山の仲間に支えられたサミットだったのです。笑顔は、本当に幸せな気持ちになり、みんなとにかく笑ってました。穏やかに、愛と感謝で満たされたサミット。
私には、分離しないといけない課題が、沢山あります。でも、今回教わった中で、共通の課題で取り組みたい課題と、一人で乗り越えたい課題に向き合う覚悟ができました。それが、みんなの幸せになるからです。甘えてばかりはいられない。もう大丈夫、と意地を張る自分がいたり、でも、瞑想をすればするほど、何かわからないけど、悲しいくらい分離して、手放さねばいけないものに気づくのです。私は、このままでいたいと、でも苦しいと、助けてほしい二人の自分がいます。そんな中、自分の中で、穏やかな共同体も見つかった気がします。
お釈迦様の教えと、アドラー心理学の学びを、あらじんさんから学べたことは、感謝の気持ちで一杯です。
自分の、ありのままが出てきた?今は、まだわからないけど、毎日涙が出る自分に向き合いながら、幸せの中にいる、執着をなくし、もっともっと欲しいを、減らす。難しいことではない。
生きとし、行けるものが幸せでありますように。ただ、それを唱える、般若心経に取り組み、幸せの言葉を仲間にプレゼントするだけ。ありがとうございます。
(畠山由香理さん)

課題の分離で、ただ区別するだととても冷たく感じることがあるが
俺のものは俺のもの お前のものは俺のもの
ジャイアンのあり方が土台にあると、とても見守っているよー、あなたの決めたことを応援するよ。信じてもらってる愛が感じられて、土台にあるあり方の重要性を感じました。
いつでも協力できるからね。いつでも力になるからね。
話しやすい戻れる港のあり方。やっぱりこれだーと感じました。
荒波に一緒にのまれてしまえのだはなく、帰れる場でいる。私の大切にする軸です。母は港。
影響の輪
コントロールできるものを知ることで、今大切にできることがみえてくる。
自分 今 ここ 
今を最高の時間にすることで、自分を大切にすることで、相手に笑顔・言葉をプレゼントできる。
今を最高にハッピーに、10分後の成功 出来ること小さなステップから行動したいなと思いました。
少人数だったので、みんなでひとつになれたような、また違った良き時間でした~
じゅんちゃんのサミットの涙の話を聞き、共同体感覚 素敵だなーと感じました。
課題の分離、温かく感じました。
(野澤かなえさん)

今回は、初めてサミットに参加して、今までの学びを体験してからの今の気持ちをシェアさせていただきます。
初サミットin島根を終えて、学ぶというより感じるという感覚で、感動体験の連続でした。
五感を使って身体のいろんなところで感じながら、みんなとつながると3日間でこんなに心が震え、最後は穏やかになれるんだなと感じました。
自問自答してみました。
○なぜ、私はあらじん流アドラー心理学や仏教を学んでるんだろう?
心穏やかに過ごせるためかな。自分もまわりも幸せでいられるためかな。
○何を大切に思ってる?
・共同体感覚(つながり感覚)
・尊敬、信頼、共感、協力
・笑顔と言葉(どういう表情でどんな言葉をかけるの?)
・慈悲の瞑想(慈・悲・喜・捨)生きとし生けるものが幸せでありますように
○なぜ、あらじんさんとあらじんさんのまわりの仲間が好きなの?
きっとそれは、あらじんさんやみなさんとつながってると自分が穏やかでいられるから。
私にとって安心する居心地がいい場所だから。そして、そんなみんなといると自分を好きになれるから。
○なぜそんなに涙が出るんだろう?
自分ことしか考えず、人のせいにして自分を責め、前に進めなかった嫌だった自分が、少しずつ目の前のことを乗り越えていってるからかなー。みんなの愛と感謝にふれると心があったかくなるんだと思う。

これからもいろんな感情が行ったりきたりすると思うけど、3割バッターをめざし穏やかな時間を過ごせるといいなと思います。ここにいられるこの瞬間が愛おしいです。
今、息ができている。お腹がすいたら食べることができる。お風呂に入れる。お布団で眠れる。また朝を迎えられる。ありがたいなあ。あらじんさん、みなさんありがとうございます。
(三吉順子さん)

特に印象に残ったところは、「自分の信じる最善の道を選ぶ」
というところで、そもそも最善の道とはいったい何だろう?とちょっと考えました。
そもそも自分が選べるのは一つで、ほかの選択をした場合と比較のしようがないから、最善の道というのはなくて、結局は自分が選びたいと思った道なら何が起きてもしょうがないと腹をくくれるような道なんだろうと思います。逆に他人の介入やほかの理由で自分が不本に選んでしまったら、うまくいかなかったときにその外部の要因のせいにしたり、それを言い訳にしてしまうようなことが(自分の経験からも)起きるなあと思いました。
それから、課題の分離は、自分と他人で共通の目的や課題があるときには難しそうだなあと感じましたが、大前提としてその相手との間での何らかの信頼関係の構築が重要なんだろうと自分の中では理解しました。(それも簡単に構築できることではないのですが…)
(原貴洋さん)

メンタルトレーニングのワクワクとのギャップをどう埋めるのか?気になっていたので、ワクワクで行けるときはワクワクで、でもいつか来る思い通りにならない、苦のときは仏教で、そう使い分ければいいと疑問が晴れたのがよかったです。
影響の輪と関心の輪、一度7つの習慣を読んだので知っているはずですが、忘れていました。とにかく自分のコントロール出来ること、今、ここ、自分を大切にする。特に今を未来の手段にするのではなく、今を目的にする。思い通りにならない他人、過去に思い悩むのはもったいない。その通りだなと感じました。コントロールできる今、ここ、自分に注力して、影響の輪をどんどん広げ、過去も未来も他人も結果的に変わる。そういう生き方をしたい。
人生を成功させるのではなく、今この1秒の成功者になる。一瞬一瞬プレゼントできるのは笑顔と言葉。めっちゃ心に残りました。
2対6対2の法則では、チーム作りをしているときに下位2割が雰囲気を壊している気がして、そこに注意すべきと思っていましたが、6割の方が大事なんですね。たしかに数が多いので、結局は多数派が雰囲気を作るということかと思いました。2割の人は変わらない。たしかにそうかもしれません。
課題の分離。たしかに子どもの問題。わかっているし、あまり言いたくない。だけど、けっして安くない金額も払っていると、なかなか子どもだけの課題と思えないのが現実です。そこの葛藤と戦っている感じです。
それはあなたの課題、だから私は知らない。この方向に行こうとしていました。だから気づかせてくれてありがとうございます。
win-winは80-80。100-100だと思っていたので、いい妥協点が見つけられる考え方、ありがとうございました。
多数決ではなく、誰もが納得する話し合い。私こんなことしたくなかったのにを無くす。ここまで行けたらすごいなと。
1/3でも3割バッター 少しずつできるようにしていく。楽な考え方、ありがとうございました。
(清水大輔さん)

今まで、自分の課題解決できず、いつまで他人にコントロールしてもらっていました、今もそのように思います。
自分に自信がないためです。自分を好きにらないといけないなぁ。
影響の輪
今、ここ、自分をコントロールする。
それは、笑顔、五福言葉。できるようになりたいです。
(松田千鶴さん)

今日は、ポケ〜っとしていて終わった気がします 笑
みんなの顔を見てサミットの時のことを思い出して、あんまり内容に集中できなかったです、すいません!
ブレイクアウトルームに行ってもニタニタして終わりました!
講座を通して思ったことは、影響の輪を今ここに引き続き集中し広げていきたいっていうことと、課題の分離とは、介入ではなく協力の仕方を学ぶことというイメージ。それは個人で解決するようにという放置の意味合いではなく、いつでも協力できるように待ってるからねっていう暖かいイメージにしたいと思ったかな。信じて待つ。実践の中でイメージがあったかいものになっていくといいな。
慈悲瞑想してるから、いけると思う〜〜。
(山本由起さん)

第7回 アドラー心理学 Ⅲ 「共同体感覚と慈悲の心」

慈悲が分からない。慈悲そのものになったときに人は人ではなくなるような気がしてきてしまって「ただただ虚無」のようになってきてしまった。
究極の理想像とそこに至るまでのハウツー(瞑想方法とか)が同じ机の上に広がっているような感じがして「ここで言われているようなこてゃ全然出来ていない自分」と対話していた。心の中は「出来るかいそんなこと」「よく言うよね~」「机上の空論よね~」というちくちくした突っ込みが駆け回っていた。人類の「悟りたい!!」の集合意識が「悟れない!!」を強固にして、「悟りたいけど悟れないのが人というもの!」というドラマにしたらすごくスリリングで面白くなってきそうな箇所を、意識的に好んで選んで生を謳歌しているような感じがしてきて途中から面白くなってしまった。
今日はとてもテキストの文字が多くて読めなくて、またも「なんだか講義こわくて不安症」みたいなのが襲ってきていた。「極めて厚みのないふにゃふにゃしたものに、いっぱい黒い粒粒が並んでいるだけ。人はそれを’’文字’と呼ぶ」という類の呟きでなんとかやりすごしたりした。そのものずばりを言わずしてモノを描写するのはとても楽しい。決して頭の理解力が戻ったわけでも何でもないのだけれど、少しシャキッとして安心する。白檀なんかの素敵な香りの部屋なのに、そこに居すぎて鼻が馬鹿になってしまっているような「飽き」をレモンの香りで締めるような「新鮮」とか「発見」とか「発明」のような感じがする。
慈悲を。慈悲を。外からもらうんじゃなくて自分でおやり。
四無量心の話をぼんやり聴きながら、どうして今年はこんなに体調を崩してしまったかなぁとぼんやりしていた。そんなことを探っていた一週間で、ふと自分のプロフィールづくりのことを思い出した。綾子史を時系列で掘り起こしまくる作業をしていて、思い起こされることもたくさんあってとても有意義だった。それと同時に、膿の海みたいな腐臭ただようものもたくさん見た。門出の泉を堀っていたはずが、墓場の穴を掘ってしまっているようなおどろおどろしい空気になってしまった。
思い出したくないんだなぁ。どっかに隠しておきたいんだなぁ。こんなのとうに克服したのになぁ。
なぜ「克服」なのだろうと思った。これは「克服」という単語の定義をどのように持っているかにもよるかもしれないけれど。「克」は「力を尽くして相手に打ち勝つ」だそうだ。「服」はもともと「舟べりにぴたりと付ける横板」が語源らしく「したがわせる。屈伏させる。服従させる。」なんて意味があるそうだ。
少なくとも綾子の思う「克服」は「完全に制御下に置いた!見えるぞ!コントロールできるぞ!強い!勝った!もうおまえの自由は許さないぞー!」みたいなイメージがある。
どうして綾子の綾子だけが通ってきた唯一無二の貴重で膨大な風景に「力を尽くして屈伏させて勝つ!」なんてことをしなくてはならないんだろうか。
そうまでして目を覆いたい何かがある。隠しておきたい何かがある。偽ることが救いだと信じている自分がいる。それをしている自分を認めたくない自分が居る。それをしている自分を甘んじて受け入れてくれと、どっか外側の何かに懇願している自分がいる。知らないふりをしておいてくれと思っている。同時に、早く知ってくれと必死な想いもある。
自分に対する嘘が見えてしまう
この生への冒涜のように感じている
綾子は勝ったはずなのだ。諸々の理不尽に反旗を翻して罵倒し圧倒し捻りつぶして、それらを生きたまま煉獄の中に放り込んで牛耳っている。決して目を離さず、自由にもさせず殺しもせず生かしもしない。これって何に勝ったんだろうか。心が苦しい自分自身の実況中継にしかなっていない。
自分の中に分断されてしまった箇所があるのがわかる。どれだけ忘れようとしてもやっぱりわかる。分断を決めたのは自分で、分断する前も自分で、そのどちらも知っているはずなので、忘れようとしても決して忘れはしないし、消そうと思っても消えるものでもない。リカバリー機能とかは付いていない。虚偽も隠蔽も自分の中の出来事で自分の力で行っているのだから、それをどうするしないも自分で決められるのだと思う。
そもそも「克服」しなくてよかったんじゃなかろうか。「克服」に勤しんできた日々が不毛だったわけではなくその過程がないと今このようにはきっと感じない。梃子でも動かなさそうなので、もうそこに居てください好きなだけ、というような「どうでもいい」が出てきている。「世界なんて知らない!けっ!どうでもいい!」という投げやりマンの「どうでもいい」というより「何を感じても大丈夫です道中どうでもいいです綾子の真の姿は常に潤っているのでどうでもいいんです」みたいな「どうでもいい」みたいな感じ。
(原綾子さん)

◎共同体感覚
他者とのつながり: 人間だけでなく他の生物など全てとのつながり
他者への関心=共感
他者の目で見、他者の耳で聴き、他者の心で感じる。慈悲と繋がるなと思いました。とても大切なことですが、ついつい自分の目で見たりしてしまいます。
迷いながらも時間をかけて少しずつ理想の共同体(北極星)を目指して「進化」していく。と言うお話を聴き、出来なくても少しずつ進化していけばいいと感じました。
◎四無量心 慈悲喜捨
「生きとし生けるものが幸せでありますように」
慈悲の瞑想をやりたいと思い、続けています。この瞑想をすると、心が落ち着き満たされた感じになるのが本当に不思議です。これからも続けていきます。慈悲の瞑想が知れて本当によかったです!ありがとうございます。
六方拝は去年の終わりごろからだったか?やり始めていました。
離婚した元夫を私は本当に嫌いで、顔も見たくないし声も聞きたくない、名前も言いたくない!と、本当に嫌でした。六方拝をやるときに、元夫にも感謝の気持ちを言ったほうがいいと思い、やるようにしましたが、感謝なんてない!と言う思いが強く大変でしだが、今の子供たちがいるのはこの元夫のおかげだといことで、感謝の言葉を言うようにしました。違和感もあるし、心では全く感謝なんてしてなくて、ただ言うだけでしたが数ヶ月して違和感なく言えるようになり、今では心から感謝の気持ちと幸せでありますようにと思えるようになりました。
プリントには3週間もすればとありましたが、私は数ヶ月かかりました!σ(^_^;)
まだまだ自分というものがあるので、これからも慈悲の瞑想などを行い、四無量心を意識していきたいと思いました。ありがとうございました!
(山谷真予さん)

慈悲喜捨の考え方は、最終的なところは自我をなくす方向だとすると「もしこれができたらそもそも人間として存在する意味がなくなるのではないか」とちょっと思ってしまいました。が、最終的な状態を「北極星」と考えると、そこを目標として行動することでうまれることに意味があるのかな、となんとなく受け止められました。
また、「慈悲と智慧は仏教の二本柱」という話もでてきましたが、「智慧」は知性(頭を使うこと)であり、「慈悲」は慈悲の言葉を繰り返し唱えて心を満たすこと(余計なことを考えないこと)、とすると、「余計なことは考えずに本質的な叡智は身に着ける」ということになるのかなと理解しています。
これはとてつもなく難しいことだなあと思いつつ、やっぱりこれも「北極星」なんだろうと思いました。
(原貴洋さん)

共同体感覚
自分が好き❤️人が好き❤️お役に立てる
『他社信頼』信頼する❗️信頼される❗️どんな時にそう思えるのだろうと思っています。
共同体感覚を育む既存のは、『慈悲の心』を育てること。
四無量心
慈♡友情のような優しさ
悲♡他者の苦しみをなくしてあげたいという優しさ
喜♡他者の幸福を共に喜ぶ優しさ
捨♡差別のない広々とした平等な心でいる優しさ
すごい優しさ❤️
友達が鬱になって離れていった。その子を悲の思いで慈悲瞑想しようと今、思いました。慈悲の心を育む事で、「信頼」無条件の信頼ができる人になっていけるのかなって思いました。ありがとうございます。
(田中高子さん)

1回目はなかなか頭に内容が入らず、2回目の方が素直に聴けました
まず「仏教の特色は明確に微細に分析して定義する」ということに驚きました。むしろ仏教って抽象的じゃないの!?と思っていたからです。
四無量心のテキストを読んでいると、素直に受け容れようよ~素直になろうよ~ありのままでいいんだよ~と言われている気持ちになります。これも自分で色をつけているのだと思うのですが…自分の経験や思考グセ煩悩で、心の中にピーンと張った糸が絡み合ってほどけない状態だったのが、少しずつ解れて緩んできている感覚です。四無量心は優しい。言語化出来ませんがその優しさが心に沁みました。
テキストの智慧の言葉の説明を逆にすれば、思い込み幻想に囚われて妄想状態。ありのままにとらえてない方向性のまま共同体感覚を目指してたんだと、ハッとしました。じゃあ向きを変えて行けばいい、軌道修正するだけのことだったのを複雑に考えすぎてしまったんだと気づきました。宇宙も膨張しているのだから共同体感覚もどんどん深まる。5~7講座で共同体感覚を振り返って自分の中にわき出た感情も思いも私を認識しているからであって、周りにいる方々がいるから存在するし、私一人では存在しない。すでに愛と感謝の中にいると信じていいんだなぁと気持ちが軽くなりました✨
慈悲の瞑想を実践すれば誰もが幸せになる。これも、そう言っているのだからただ信じてやるだけなのに、どうしても複雑に考えてしまって、本当に幸せになれるの?と何かしら疑ってしまうんだなぁと思いました。
慈悲の瞑想は、姿勢が辛くて身体の痛みに意識が向いたり、唱えた言葉から連想してしまうのが半分以上で「復唱せねば」にいつの間にかなっています終わった後には穏やかな何かに包まれたようになれていて心地よいです。
(阿部あさひさん)

「無量心」
実家の仏壇の上の額に、書いてあるのをハッと思い出しました。この講座で初めてそういう意味だったことを知りました。またパラダイムシフト出現です。
これまでのことやはたまた輪廻転生に想いを馳せて、私は慈悲深いお言葉に見守られていたんだ。育ってきたんだな~と思うと、涙がジョワジョワ~っと出てきました。共同体感覚の基盤を感じました。
慈悲の心を学んだ今は、本当に不思議なんですが心が穏やかです。先週あんなに子どもの対応に自分でしんどくなっていた自分にビックリです。今だけかもしれませんが!!笑 囚われていたんだな~と。
瞑想も涙がジワります。こんなに穏やかになれるんだ。この学びはヤバイです。進化がやばたにえんです。
あらじんさん、みなさん、本当にありがとうございます。
(伊藤恵さん)

先週の講座終わり、木曜日から毎日慈悲の瞑想を続けています‍。
慈悲喜捨
諸法無我
という、私が存在しないという形。
不思議なもので、私の嫌いな...私を嫌っている...と言う慈悲の瞑想をやると、嫌いって、なんやろ?ってなったり、好きとか嫌いとかそんなのどーでもいいやって、不思議な感情になる自分がいます。かなえちゃんの読みながら更に、さらに、、、最近スタッフの顔を見るだけで、お腹が下ります。かれこれ2週間、、、自分の中では感じて居なかった部分なのに身体の臓器が反応を起こす。
慈悲の瞑想を取り入れてからは、言葉がまず、頭に過って一呼吸置いて、話すことが出来ている。
スタッフもスタッフなりに生きている。彼が生かされていることも、私というものが存在していることも、一人ではなし得ないものであり、形無いものなんだ。物差しで人を良し悪しで表すものでもなんでもない(ない)と考えられるようになっている自分に感動です
だけど、身体は条件反射笑笑
彼=ストレスという臓器のアウトプットを完全に空に出来るよう、、、味わいます!笑笑
そして、生きとし生けるもの。という言葉を聴くと森山直太朗の生きとし生けるもの。を思い浮かべてしまいます。「そうさ、僕は人間じゃない」という、歌詞はそう言うことか?と、仏教と関連付けてしまう自分笑笑私生活の中には仏教の教えがゴロゴロ転がっていますねまた明日も楽しみですっ!
(櫻井千尋さん)

私は人の好き嫌いが凄く、特に職場では、嫌いな人とは、必要な事しか話さない、それ以外は、自分からは話しかけない。その時もぎこちない笑顔で接していました。そんな自分がなんか嫌で、反面、誰とでも明るく話せる人が羨ましく思ってもいました。嫌いな人なんてどうでもいいわ位に思っていた私には、慈悲の瞑想の中の「嫌いな人の生命が幸せでありますように」の言葉が、とても衝撃的でした。本当は、誰とでも明るく話せる自分になりたいって、心の奥では思っていた事に気づき、自分にも、他人にも穏やかに、愛と感謝の気持ちで向き合っていきたいと思います。瞑想には興味がありましたが、どうやったらいいかよく分からなかったんですが、慈悲の瞑想とても分かりやすかったので、取り入れていこうとおもいました。
因みに今、夜寝る前にあらじんさんが送ってくれた音声を聞きながらやっていますが、あらじんさんの優しい声につられて、聞いてる間は穏やかでいられます。
(南部とも子さん)

慈悲の心についての学びから
慈悲の瞑想唱えています。唱えている時間 穏やかな中にいるのを感じています。日々の暮らしの中で相手への怒り 関わりたくない気持ちがあるんです。その時間だけ空になり、唱えて穏やかな時間感じ、きっとそのエネルギーは広がっているのではと感じます。
朝、又は夜も実践しています。自分さえいればできる。習慣になれるよう続けます。淡々と続けます。
(野澤かなえさん)

今回の学びで、一番の学びだと感じた事は、慈悲の瞑想です。心穏やかに生きていくためには、私にはとても大切な瞑想です。 生きとし、いけるものが幸せでありますように。
私が、私がの人生では無く、相手を思いやる心が、やっぱり大事なので、この瞑想を身につけて、やはり慈悲の心を持ちながら、穏やかな人生を過ごしていきたいです。ありがとうございました。
(畠山由香理さん)

アドラーは、子ども時代と大人と区別しない。ずっと子育ての話ばっかりだと気になっていましたが、そういえば全部今の自分にもすごく役に立つ、部下を育てるのにも役にたつ話だと改めて思いました。
バレーボールの先生の話は、すごく気になりました。中学までは練習だけ。試合はしない。練習好きに育てる。めちゃくちゃいいなと思いました。考えてみれば、仕事の試合というか本番はなかなかない。準備、練習をやっていれば、必ず実力が上がる。
想像を超えるためにはチームにならないといけない。グループでは最高でも100%仲良しから、トラブルがあって、初めてチームになれる。だから、自己主張の強い人が必要。トラブルメーカーも、やっぱり大事なんだな。そう思うと温かい目でみれるかもしれません。
共同体感覚にはわたしが邪魔。理屈はすごく納得しましたが、なかなかわたしはすてられそうにありません。
仏教では本当に心が穏やかになるとのが1番だというのを感じてきました。特に、願い事が叶えられますようにと言うのは、皆穏やかで、落ち着いて、ストレスなく生きていてほしいと言う気持ち。そこがふに落ちたところです。また、大金持ちになりたいなどそんな事は別に実現できなくても大したことがない。生きるのに必要な願い事が1日分ごとにあって、それが1秒ごとに叶っている。すごい発見でした。そう思えれば心も穏やかになると感じました。
夢に向かってワクワクしている。その時はそれでいい。あらじんさんの言葉があって、成長との矛盾、相容れないところの整理ができてよかったです。
お釈迦様は瞑想をしていたと聞いていたのですが、どんなことをしていたのか、少しわかって、やっぱり心穏やかになるような言葉で、瞑想していたんだなぁと感じました。
私も、私の親しい生命も、生きとし生けるもの、私の嫌いな生命、私を嫌っている生命、すべてに心を向ける。特に言葉に出すと癒される感じがします。心では、嫌いなものに感謝を感じたりするのは難しいと思うのですが、嘘でもいいので、言葉にすると、そういう気持ちになれるかもしれません。
今のところ2日唱えてみました。言葉自体は出てきます。感覚としてまだ変化はないので続けてみます。
(清水大輔さん)

今回もやはり「優しいなぁ」が心に残りました。あと、マザーテレサが頭に浮かんだり…。
慈悲の瞑想を続けていくと、確かに「私」という個体に執着しなくなるのかもと思いました。そうなれば私が感じる感情はあくまでも過去の経験から来てるただの妄想でしかなく…。「生きとし生けるものの一員」であり、お陰様で存在できていること、そうやっていく中で共同体感覚を身につけられるのかもと思いました。それが、おのずと自己受容に繋がっていくんだ!と最初の学びのとこにたどり着きました。
放課後タイム、家の色々をしながら耳だけ参加させて頂いていましたが、すごく深い話をされていて、一緒になって色々考えてましたが…なんか、こういう話をみんなでし合えるこの環境がありがたいなぁと嬉しかったですありがとうございました
そして、今2日間慈悲瞑想の結果、なんか色々うまくいっててびっくりしてます。
(清家奈緒さん)

平田弥生、第7講座の感想です
今回はテキストの文字の多さに圧倒されましたあっ、これは眠くなるな、危険だなと思いましたでもシェアタイムが長くて安心しました。
ただシェアできたのか、読むだけで終わったような…でも私は私ですとは思わない⁉️とか嫌いなものも幸せでありますようにと願う⁉️とか…何か不思議な感覚でした。
そして私も人も一瞬一瞬進化しているというのが新しかったですさっきまでの私ではない‼️常に進化している‼️いつまででも進化していけるんだなって、この先どんな自分になるのかワクワクドキドキしました。
そして私の好きな言葉で天上天下唯我独尊ってのがあるんですが慈悲ってそれに似てるなと思いました❤️生きとし生けるものは尊いだったかな⁉️好きなくせに頭の片隅にあり過ぎて時々忘れちゃうんですよね
慈悲って言葉だけだと皆を幸せに願う心なんだなーってだけの感覚でしたが、学ぶと深いなぁーって改めて思いました‼️
瞑想はやってみたいと思ってるもののしたことがなく、やった後の心の状態がスッキリするとかパァーっと目の前が晴れたみたいになるとか聞きますが、どんな感覚になるのか想像がつかないです。
送っていただいた慈悲の瞑想の誘導音声を聞いて早く体験してみたいです

慈悲の瞑想は祈りのよう。美しいエネルギーを感じました。
誰かの幸せを祈ると、本当にその人に光が降り注ぐのだときいたことがあります。祈りを捧げた人自身にも。だから、誰かの幸せを祈ることは、自分自身の幸せを祈ること。今この瞬間の幸せに感謝すること。
全て繋がっている。ワンネスの世界。
そして、もう一つの気づき。やっぱり全てが愛と感謝の海なのだということ。
私は今まで、表面に現れる感情という波に溺れそうになっていたけれど、それはただ一瞬一瞬の波にすぎす、その元には穏やかな愛と感謝の海が広がっているのだということ。その波も全て、愛と感謝の海そのものなのだという気づき。
そうであれば、執着という苦しみも、生きとし生けるものの幸せを祈ることも、私という存在があるからだと、思いがあるから私という存在がそこにあるのだと思い込んでいるけれど、その思い自体が常に移り変わり、生まれては消えていく波のようなものだとしたら。
確かにあるのだけれど、実体として厳然とそこに存在するわけではない。思いというものが実体としてないのならば、それを抱いている私という存在を確固たるものとして、他と区別する必要もないような気がしました。そもそも元は愛と感謝の海なのだから。
一つひとつの個(波)という私ではなく、愛と感謝の海という全体として捉えられる気がしました。愛と感謝の海から、生きとし生けるもの全ての幸せを祈る。その全てもまた、同じく愛と感謝の海そのものなのだと。
共同体感覚や仏教学、これまでの学びが繋がっていくのが嬉しいです。
あらじんさんの優しい声に癒やされて、慈悲の瞑想を続けていきたいなと思います☺☺☺ありがとうございました✨✨✨
(岡山理恵さん)

今日の講義もありがとうございました。すごくすごくすご~くしあわせな気持ちです。
慈悲喜捨 四無量心
この言葉を初めて知りました。私はいつも相手に寄り添える心を持っていたいって思っています。できないことも多いけど、相手の苦しみには寄り添いたいし、相手の喜びは共に味わいたい。きちんとものを見て穏やかなきもちでいることも。
なんとなく、毎日の生活の中で大切にしたいと思っていることが、こうやって言葉として教えの中に存在していて、すごく嬉しかったです。
ありのままに生きる学校のテキストはほんとに宝物で何回も読みたいし、また前のを見返して後でわかることもたくさんあります。あらじん、いつもありがとう。
あと、今夜から瞑想をやってみたいと思いました。ブレイクアウトルームでご一緒したみんなと励まし合いながら挑戦します!まーちゃんの話にも感激して影響を受けました!
(山本由起さん)

第6回 アドラー心理学 II 「共同体感覚」

アドラー心理学用語
☆介入という言葉を聞くと、すごく反応する自分がいる。
すごくお節介だと思うことがある、自分のことを。あらじん塾で習ってからは、自分の行動をこれは完全なる介入だなあとかすごく意識して過ごすようにはなったものの、協力依頼することが下手なのかもしれない。照れ臭くてできないこともあるかもしれない。
ふと思い出したことがあった。次の日の朝、仕事で早く起きるって時に、母に「明日は朝早いからそっと出ていくけえね」って言ってるのに、必ず起きてきて、朝ごはんを作ってて、弁当まで食べきれないほど詰めてることがあって。はっきり言ってそんなに食べられない量だし、人とお昼ご飯食べるかもしれないし、朝ごはんも時間なくてギリギリまで寝てたいからいらないって思ってんのに「も~~~~~!」って腹立って「いらんって言ったじゃん!」って言って家を出るんだけど、涙がすごく出ちゃうんだよね。その母の介入が、すごく嫌なのに、それでも大好きなんだよなって気持ちがお腹の底にあるのかもしれんと思ったら泣けてきました。笑 私の「介入」のルーツに辿り着いた気がします。
☆信用と信頼
私が学校の先生してる時に、自習の前の日に「みんなだったら私が居なくても勉強できるって信じてるからね」っていった直後に「あ~私、ほんとに信じてたら『信じてるからね』なんて言わんやろ。」って自分が全然子供たちを信じてないことにハッと気づいて悲しくなったことを思い出した。「信じてる」時に、言葉はいるのか?ってなった。信頼は愛だと思ってる。話は変わって、人が自分にしてくれてることが「信頼」でなく「信用」だったとしても、その人の気持ちに応えることが条件なら、それに応えたいなってなる。もし、ありのままの自分がそれに応えられなかったとしても、次から依頼が来ないだけのことだから、今はあんまりしんどくならない。私は信用より、誰かを信頼できる人になってみたい!もしかしたらもうなってるのか、それはよくわからない。
☆距離感
大抵は自然に任せていたら、きっといい距離感でいられる。どの子とでも同じ距離でいたいとは思ってない。私の教室にいる子どもたちともみんな距離が違っていて、古くから知ってる子、入ったばかりの子、それに限らずともみな違う。そして、相手に興味が湧いたり、すごく好きになったりしたら、距離を縮めたいという気持ちになって、でも相手は私との距離をそう縮めたいとは思ってなくて困らせたりすることがある。誤解を招くことも時々ある。そうやって、摩擦を起こしながらも、少しずついい距離感を探して付き合ってく。距離感の持ち方が上手いとは思わないけど、自然に任せていくでいいなって思っています。
(山本由起さん)

昨日はありがとございました…皆さんと会えて嬉しかったです…幸せでした。
尊敬。信頼。共感。協力。
笑顔、感謝。
これほど人と人との繋がりで、大切なものはない。
自分を理解して欲しければ、まず相手の事を理解してあげる…相手の方の事を耳で聞いて目で見て、心で聞く。
これから、実践して行きたいとと思います。
ありがとございました。
(松田千鶴さん)

今回の講座では、「対等の関係」の「3つのきき方と3つの目線」の表が特に、自分の日常の中で結構できていないなあと考えさせられました。
自分が誰かと対話するときに、「相手のことを考えよう」という意識は持っているつもりでいつつも、「「相手」に関心をもつ」にとどまって、相手の言うことに対して、自分の考えと照らし合わせて分析・判断をしていることを無意識のうちにやってしまっていることに気づきました。
「「相手の関心」に関心をもつ」ということは「傾聴」の概念で、理解はしていたつもりですが、やっぱり癖でできていないので、今後、もう少し「共感的な関わり方」を意識してみたいと思います。
(原貴洋さん)

四諦をアドラー心理学に結びつけると仏教だけの学びよりわかりやすくて、より4つのつながりが発見できました。
最近、実生活に起きた出来事を講座にでてきたことに置き換えて、これってこういうことだったんだと振り返るのが面白いです。
協力のところでは、アドラーを知るまでは、依頼もされてないのにほとんど介入ばっかりしてたなと気付きました。娘の忘れ物を届けたり、学校まで車で送ったり、困らないためにと思ってやってたことが、かえって逆効果でした。それでもついやっちゃいますが・・
特に印象に残ったのは、自分を軸にした2種類の図の捉え方でした。円の図は『みんな命は対等だよ』と表しているけど、みんながみんな同じ距離や愛の量はありえない関係。ここを理想としてるけど、ここに囚われすぎると苦しくなる。自分の中で居心地のいい相手と苦手だなという相手がいたので、やっぱり同じ距離にはならないと思っていたので、円になろうなろうと思うと苦しかったです。もう一つの長さの違う縦の線の図は、ちょうどいい関係をとっているからそれぞれの関係性によって違う。心が穏やかな距離を知るときいて、それでいいんだと楽になりました。それが、自然に少しずつ縮み、共同体感覚の最大化になるのが理想ですね。
仏教を学ぶのは心穏やかになるため、アドラー心理学では心穏やかな距離を知る、2つの共通することは『心穏やかに』もっともっと深く学びたいと思いました。
(三吉順子さん)

今回の講座は、アドラー心理学の、私が大事にしなければならない、共同体感覚についてでした。尊敬、信頼、共感、協力です。あらじん塾で、当初習った頃は、全くわからなかった意味も、少しづつ、理解してきました。子供に対しては、子供をとにかく信じ抜くことができるようになってきました。最近、なんでそんなふうに言うの?もういいわって、怒ってイライラすることも、親子で減ってきました。
自分はどうなの?と思った時、やはり、自分で、世の中は、思い通りにはならないと、念頭におきながら、思えるようになったことによって、小さな感謝や、自分の心の奥にある気持ちを、少し出せるようになってきました。勇気が出てきたというか、一人では何も出来ない、でも、仲間の応援に気付くことができたり、誰かの役に立ちたい、気持ちが出てきたり。
一番耳が痛かったのは、共同体感覚の距離感です。自分は、他の人から見て、どのくらいの位置の関係性が、気持ちのいい穏やかな距離なのかとか、教わっても、共同体感覚に自信がない私はやはり、その距離感に乏しく、悲しい気持ちになります。
サミット研修などに、参加する事で、私に足りない何かが、実感できるような感覚が今少しあります。静かな穏やかな毎日を過ごしたい私に、必要な、何か大切な、ワクワクとは違う、安らぎを感じることができるような感覚。自分をもっと好きになれそうな不思議な感覚。近いうちにサミット研修があるので、そこで今回の講座については、めちゃくちゃ理解できる気がします。
今回も、深い深い、人生において大切な学びとなりました。ありがとうございました。
(畠山由香理さん)

いよいよ共同体感覚が始まりました。まだアドラーにそんなに触れてないので、たくさん出てくる共同体感覚が早く知りたいと思っていました。
尊敬、信頼、共感、協力
どれも人間関係においてすごく大事だなと感じました。
尊敬とは、ありのままで受け入れること。振り返る事から尊敬が生まれる。確かにそうだなぁと、ついつい、自分が思うようにならないと、そこを忘れてしまっています。
信頼とは無条件で信じること。自分の思うように行動してくれないとイライラすると言うのは、無条件で信じられていないと言うことだなぁと思いました。そういった意味ではこの信頼が特に大事だなぁと感じています。
自分の力で課題を克服できると信じる。苦境を乗り切れると信じる。どんな行動にも良いとか必ずあると信じる。何があっても全てうまくいっていると信じる。これは、セルフトークとしても、すごくいいなと思いました。
共感とは傾聴
聴くのプラスは肯定的関心= 受容 ここはすごく気づきになりました。。
協力と介入の違い
この言葉を聞いてから、何か言いたくなっても、ほとんどが介入だなぁと気づくようになりました。そうするとなかなか言いたいことも言えない言うよりも言わないほうがまだいいのかなと自分の中で我慢している以上状況が続いてます。
課題の分離
確かにこれは、自分の課題で、相手の課題ではないな。相手にとって良いことだなぁと思っても、それは自分がやってほしいこと、そこに気がつけるようにしています。ストレスではありますが、その場から離れる位しか今のところ方法が見つかっていません。
今まで、今でも、自分はコントロールしたいんだなぁと。逆に、コントロールされたくないんだなぁと気づきました。
勇気づけのポイントで、コントロールしないこと。自分で自ら克服できたと思わせる。みんなの役に立てるように、感謝を伝えていく。そうすると人が育っていくのかなと感じました。
(清水大輔さん)

・居心地のよい距離感をとることも他者信頼
・人間関係も諸行無常
・共同体感覚の4つの基礎は尊敬・信頼・共感・協力
・この4つで勇気づけを説明できる
・尊敬の元の意味は振り返るということ
・期待するのではなく信頼する
・共感とは聴くである
・相手の関心に関心を向ける
・肯定的関心、すなわち、受容!
・結末の体験を大切にする
◉二者択一の罠
講座の中で二者択一の罠という言葉がでてきていて、今回の講座ではここが非常にタイムリーだったように感じた。あらじんさんのFacebookの投稿でも書かれていたけど、どうしても思考の癖なのかAorBという思考を無意識でしてしまいがちだと感じる。前提条件が違えばとる選択も異なるし、対象の相手が違えば、選択が異なる。
最近は脱成長主義的な考えがめちゃめちゃ広がっているように思う。成長しなくていいんだよ、君のままでいいんだよ。この考えは大切だし、多くの現代人が求めている言葉だと感じます。でも、勇気を出せ!前に進め!と言いたい人もどうしてもいるなぁと思ってします。人生の面白さは夢中になれることに向かってがむしゃらに駆け抜ける中にあると思うので成長に飢えながら心を燃やすことの素晴らしさを肯定したい。
苦しくなったら立ち止まっていいし弱音や自己開示を受けとめる仲間と時間を過ごせばいい。
結局バランスだなー。と思うけど、ORという抑圧に身を委ねるのではなく、ANDの視点を常に持ち合わせたいと感じました!
◉共同体感覚は常に移り変わる
あらじんさんのサミットを重ねるごとに共同体感覚が変容しているという話に強く共感した。
メンタルトレーナーをして、2年目に入っていますが、2年目も継続サポートをさせていただいている監督との関係性は1年目のときよりもはるかに深く、さらに素晴らしいチームづくりができる手応えを感じている。
一方で新しくサポートに入ったチームの監督とはまだまだ完全に僕から理想の共有や、選手を見て思ったことの率直な意見をためらってしまうときもある。1年後にどんな関係にできているかは僕の主体性にかかっているので今日学んだ尊敬・信頼・共感・協力で高めていけることにワクワクしている。
基本スタンスは関係性を築く最初のステップはひたすらに徹底的に話を聴くを大切にしているので、相手の関心に関心を寄せて、話を聴く期間に徹したいと改めて感じました!
(増田篤紀さん)

習慣にしていたことが行動だったなーと。身口意 行動 言葉 心に思うこと。それぞれあることを知り、習慣にしたいこと考える時間になりました。
笑顔。私ばかりと損してしまうような気持ちになって、わかってくれないとか、相手への期待がある自分がいます。そんな時があるのも人間だー。10割狙わず、3割。笑顔を意識して、家庭のパワースポットでありたい
共同体感覚の図がとてもわかりやすくて、軽くなりました。それぞれが心地よい距離感でいい。うん
信頼 介入 協力
今正に、我が子が歩いて登校し始め、1時間歩いて通っています。これから寒くなるなー。真冬大丈夫?雨の日は?介入したくなるんです。困った時は相談してねと伝え、なんとか見守っています。この経験がこの子達にとって貴重な体験に学びになる。送迎が数年と長かったので、慣れてしまって、介入したいしたい病が出ています。でも、課題の分離が頭にあったから、なんとか見守るに踏ん張れています。
介入したい。なんか手伝いたい。私の課題があるんだと気づけて、ここに気づけることが大きいです。学びが日常につながり、なるほど~と深くなっています✨
見守ります。この子達なら大丈夫。だって私の子だもん。学校に行かないって言える強い子だから、自分で決められる心もある。大丈夫。また次回の学びが楽しみです。
(野澤かなえさん)

習慣のところでは、心・身体・言葉を一致することが大事っていう事に共感持ちました。言葉だけ発しても相手には伝わらないのがあるって感じて、本音や気持ちは伝わるんだなーと思いました。
共同体感覚では、人は対等な関係でいると感じていましたが、人それぞれの距離感や空気感があり、嫌な人や嫌いな人もいてもOKなんだって事が理解できた気がします。
尊敬は振り返る。ふと人生を振り返ってみると、家族や出会った人、関わってくれた友達や仕事仲間、先生などには助けてもらっているなーと思い、一つ一つの事を大切にしたいと感じる事が出来ました。
また仕事では上司と意見が合わないとか上司のイライラなどで、上手くいっていなくてと感じていますが、もし私が何かあった場合、命を救ってくれる人だと思うと、上司の事を信じてみようって思えました。
共感の部分では、相手の関心に関心を持つ事の難しさを感じました。競馬場の話で新たなあらじんさんの部分が見れて良かったです。
協力・介入の部分では、仕事で、してあげたい気持ちが出て、何も言わずにする事が多い自分で、それが介入になっているなーって思えたのと、相手に自分の想いを言葉にして聞いてもらう事が相手の気持ちになっていると思ったので、これからそのように伝えたいと感じました。
全体的に現在の仕事で役に立つ事ばかりで、とても勉強になりました。ありがとうございました✨
(伊勢木浩樹さん)

共同体感覚のスタートは「尊敬」「信頼」「共感」「協力」この4つが勇気づけにつながっていくこと。
自分自身娘の事を存在自体に有難さや、毎日よく頑張っている事はわかっていても、少しふてぶてしい一面があり、そこについフォーカスして、心配してしまい、信頼する気持ちが欠けていた事や、ゲームやスマホに夢中になってる事に不快感を抱き、本人が夢中になってる物に関心を寄せる気持ちが全くなかった事に気づき、心が痛くなりました。思春期で、大人との関わりも避けたい年頃ではありますが、無条件で信じてる気持ち、関心寄せてる事が少しづつでも分かって貰える様に関わっていこうと思いました。
協力と介入の違いに衝撃でした。親切のつもりでやっていた事がもしかしたら、相手が、望んでいない事もあったのかもと思うとこれも又心が痛くなりましたが、ここで、本当の意味が分かりこれから家族をはじめ色んな人との関わりの中で意識して関わりを持っていこうと思いました。
(南部とも子さん)

久しぶりにリアルに参加できて嬉しかった❤️だからなのか、めちゃくちゃブレイクアウトルームで喋りまくってしまいました。皆さんの聴き力が凄いので、ついつい話したくなっちゃうんだなぁと実感しました。ありがとうございました❤️
⭐︎共同体感覚
・命は平等
・自分と相手の距離感については、理想はみんな平等。でもそれはできないから自分を責めたり苦しくなったりする。それぞれの距離があって、それを学ぶのが共同体感覚。
・他者信頼:無条件に信頼しなくても良い
◎ちょうど良い距離感、あるあると思って聴いていました。そしてそれを学ぶのが共同体感覚。これは新しい発見!その時その時の状況や関わりで距離感が変化する。それを素早く感じられるようになりたいと思いました。そうしたら苦しくなる時間も少ないかなと思ったためです。でも、その距離感が相手と自分の感覚が違ったら違和感あったりして苦しくなるのかな?そこはまた関わりでお互いが気づくことなのかなと思いました。
⭐︎子供を尊敬しよう
◎あらじんさんが勇仁くんへの手紙を持って歩いていた話は前にも聞いていて、「そうだ!子供の生まれた時の写真を持って歩こう!」と思ったのにすっかり忘れてました。今度はちゃんとやろうと思いました。そして、生まれた時の感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思いました。✨
⭐︎子供を信頼しよう
◎これがまた難しい。信頼しようと思っている時点で信頼してないんだよなーと。「どんな行動にも必ず良い意図がある」と思って、それに気づいていくことから始めたいと思います。「何があっても全てうまくいってる」これっぽいことは言ってたかも!継続します!
⭐︎子供に協力しよう
・相手も自分で解決したい。依頼する事によって自分の力で解決できたと思える。
◎↑そうだよなーと、頷きまくりました。あらじんさんの雨降りの中のおばあちゃんの話から、先日の静岡サミットの話を思い出しました。
いつも玄関まで行って子供たちの登校を見送るのですが、勝手にハイタッチからのハグをしてました。子ども(特に次男)は嫌がっている気がしてたので、ちゃんと「あと1年半しか一緒に居れないから寂しいので、ハグやりたいけどやって良い?」と伝えようと思ったので早速次男に言ったら速攻「やだ」でした。悲しい~。でもそこで終わっていたけど、「肩タッチまでは良いかな?」と、交渉してみる事もありだなーと思いました。またチャレンジしてみます懲りない!
⭐︎勇気づけとは
・尊敬、信頼、共感、協力
・賞罰で子どもをコントロールしない
・子どものライフタスクの克服を支援(寄り添う)
・みんなの役に立てるよう勇気づけ
・子育ては自立と協力
◎勇気づける人はライフタスクが大きく感じられないと言っていた。捉え方がポイントだなと思いました。そして、自己肯定も自己否定も無く、自己受容をしていく。ついついジャッジしがちです自分のことを受け入れる事がまずは出来れば。少しずつできる量が増えてきているとはいえ…
でも、あらじんさんの「出来ていなくても気づけば反応を避けられる」という言葉があったので気づくところから。今回もありがとうございました❣️
(山谷真予さん)

平田弥生です
第6講座もありがとうございました❣️
人との距離の図にすごく安心感を得ました。仏教を学んだせいなのか人への愛と感謝は等しくないとダメだと勝手に思い込んでいたんですが、人との距離は人によってそれぞれでいいという事に何だかホッとしました。
そして協力と介入は言葉ではわかっていても頭の中、日常では介入がすごく多いのに痛いほど気づかされましたよかれと思ってもそれは介入‼️だから協力を依頼する…学んだのに中々出来ない自分にモヤモヤしてますでも少しでも子供の思いに寄り添う時間を増やそうと思いました‼️ 
あと、自分が好きって手を上げたものの仕事や家の事が出来てなかったり、子供に対してイライラして対応したりした時はすっごい自分が大嫌いになります。私は何をやってるんだ、何でこんな事も出来ないんだって落ち込んでメッチャ凹みますでもありのままの学校にいる時は皆がいてくれるからいつも心から笑顔になってて幸せにあふれています。本当に皆に感謝しています。ありがとうございますこの状態が常日頃も続けばいいんですが…中々ただそんな自分もありのまま受け入れる事ができるようになれればいいなと思いました❤️

共同体感覚の図に、衝撃を受けました!とても分かりやすく、左側の図のように、せねばならないと思い込んで、今まできたように思います。命の対等さは、そうだと!!右側の図を見て、これでいいんだと思えました。
今の、丁度いい距離感を大切に、これから先は考えず、丁度いいを保っていきたいと思います。
つくづく、出来事は自分の為におきているわけじゃないと、最近、感じています。
共同体感覚を学ぶ中で、自分の愛と感謝から、目の前の人の神性にふれたいと、思います。
(森直子さん)

「respect」の元の意味が「振り返る」という言葉だということを知り感動しました。振り返ることから尊敬が生まれる…✨
私は身内、特に子どもに対してはそれができてないなぁと日々感じています。特に息子が小学校に入ってからです。家庭での宿題などに対して、ほぼ毎日「近くにおって~( ノД`)」と宿題をそばにいてほしい言ってくることに対して苦を感じていました。そばにいるとかなり介入してしまう自分に対しても嫌悪感を抱いてしまっていて、こんな空気感嫌だな~と感じていました。子どもを無条件で信じきれてないんだな~と落ち込んでしまいます。挙句の果てには三毒まで出現しちゃいます。
そんな中、あーちゃんとあらじんさんのコラボ講演の動画がLINEでポンと投稿がありました。そして週末には純一さんのチャレンジタイムでした。私にとってはめちゃくちゃタイムリーで、かなり救われました。心が洗われたというか。まさに振り返ることができた出来事でした✨✨
子どもに対して自分の言動が完璧に信じきれたりと、共同体に有益なライフスタイルとは言えませんが、トンメグが出てきたときは、うわぁ今のめちゃくちゃトンだった、介入だったと客観的に認知するようにしました。そうして振り返り、模索し続け、学び続けることが大事かなと今は感じています。✨✨✨
(伊藤恵さん)

共同体感覚は、ものでなく感覚❣️観覧車と植物のような図からの説明がとってもしっくりしました。
『いろんな共同体で感覚が違う。どの距離なら心穏やかにいられて、あなたの事が好きでいられるのか⁉️この距離を知ることが大切❤️でも諸行無常だから関係性も変化する』
実際に仲間との距離はどうなんだろう?相手からの距離もどうなんだろ(何だろう)と思うと不安(不安)も出てくる。
尊敬、信頼、共同、協力。
相手の目でみて、相手の耳(耳)できいて、相手の心でで感じて、肯定的に関心を示して受容する。
そして協力への手続き介入と協力は、ちょうどABCのつなぎを実際にしようとしてるところ‼️もっともっと学んで、勇気付けを自然にできるような、私になりたいなって思いました。
まだまだの100乗伸び代いっぱい楽しみますよろしくお願いします。
(田中高子さん)

ひらたじゅんいち
まずは、習慣のお話。行動習慣と思考習慣を教えてもらって、「present習慣」を心がけていきます。笑顔と幸福言葉を意識してます❗
次に自分と相手との距離の図の説明でコミュニケーションの取り方に参考になるかなって想ってますそれぞれいい距離があるって知ってるだけで少し楽になりました。
「尊敬・信頼・共感・協力」=共同体感覚!この中で信頼のところで、嫌いな人は嫌いでいい。それでも命を助けてくれる大切な人って想う、これは使えますあと、どんなやつにでも感謝は出来る(^人^)も使えます。
さらにアドラー心理学を学んで対人関係を楽にしていきたいです  以上です。

尊敬信頼共感協力を唱えすぎてゴロの良さに経に出来ると確信めいた心が湧いてくる。そうしたいと、つまり音楽のようにただ純粋に奏でてみたいと思う一方で、この文字の示す生涯変貌し続ける生き物みたいな様子に茫然としていまった。それらは人が概念をして築き上げて、文字として書き連ねられ、また口を通しても伝えられているけれど、およそ人智を超えている。自分の頭の中で想像している範疇を超えたどこかでにぐるぐる巻きこまれて知らない間に全く見たこともないような景色に行ってしまいそうな感覚になる。人によってはそれはとても歓びと感じるのかもしれないし、どこかの時点の綾子もそれを歓べるかもしれないけど、今の綾子にとっては人さらいみたいに感じている。誘拐されるようで神隠しにでも出逢うようで。

どうして〇〇出来ないんだろう

どうやったら〇〇出来るんだろう

なぜ〇〇されないんだろう

どうやったら〇〇されるんだろう

〇〇に尊敬信頼共感協力、四つの旬ワードを当て嵌めてぐるぐるぐるぐる自分の言動を思い出してはひたすらに自分を責める。頭の中にある今はもう過ぎ去った何かの記憶に対して攻める。

そんな責めがちで攻めがちな綾子をよしよしすると、責められたり攻められた綾子が「くっそやろ」と拗ねる。拗ねた綾子をよしよしすると、責め攻め綾子が今度は憤怒する。

どうやってこの鬱状態を隠し通したらいいんだろう。どうやってばれないようにシレっとしてればいいんだろう。どうやってこの業務をこなそう。迷惑をかけたくない。ちゃんと報いたい。今の綾子は今の自分を「ただその状態」とは感知していない。

「自分を大事にしてないお前が悪い」「魂の通りに生きていないからそうなる」「罰だ」「あれを食べたからダメ」「そういう生き方だからダメ」いっぱいいっぱい聞いてきたそういう文字が頭の中でやかましくて、うんうんと唸り出してしまう。文字通り唸り出す。物理的に声を出してうなっているほうが、そのうなり声のおかげで頭の中のノイズがかき消されているから。

唸り疲れてふと、この数年ぶりにぶりかえした酷い鬱状態が、いつものと違うと気づいた。

通常ぶり返すと、正味半年、少なくとも三か月はまともな思考は出来ず、体重はみるみる10キロくらい落ちて、それはそれは見事に骨川筋子化する。食べても痩せてゆきそのうち食べれなくなり味が消失してゆく。五感がが鋭敏になりすぎて引きこもっていないと吐いてしまう状態と、同じ人間かと思うくらい鈍麻して、自分を殴っても全然痛くない、みたいになってしまう。

今回は、全然それがない。全然それがない。そう「この状態こそが未体験すぎて恐い」のだと分かった。

ここ一年か一年半くらいじわじわ関わった人々の何かがじわじわ効いていた(?)らしく「落ち込みが続かない」という摩訶不思議な状況になっていた。

「鬱」って診断されたからには三か月くらいは絶対に「ちゃんと鬱」であり続けなくてはいけない。「ちゃんと鬱」って何なのだ。宣言したからには貫き通さなくてはならない。

次の日ケロっと、「ナオリマチター(ケロっ)」では許されない。自分の中の不一致が気持ち悪くて対応が全然追いついていない。とっても不気味でとっても怖い。責め攻めの間からいろんな声がすることに気づいた。「綾子は綾子でいいよ」「ありがとう」「細かくてもええやん」「ありがとう」「大丈夫信じてるよ」「ありがとう」ネガもポジもない世界観を学んでいてもネガに偏りすぎて時にポジに助けられる。ああ、素晴らしき「どっちでもいい」

それから電話をした。口内がかぴかぴに乾いていて、そのまま食道も胃も以下肛門までの管が乾物になるんじゃないかっていうくらいかぴかぴしながら、「今の自分のこの状態を誰か外の人に知らせよう」とした。

実際は電話をかけようと決めてから受話器を取るまで一週間以上はごにょごにょしていた。かけようかけようとして、混乱してきてそのままスマホの文字盤が分からなくなってしまってやめたこともあった。

水っていうのは情報を全部持っているらしいんだけど、水分子は手を出しているらしい。その手でいろいろ情報を交換しあっているらしい。ひっついて離れてひっついて離れて、情報を握って手放して握って手放して。その水に生かされている綾子も世界もきっといっぱい知らない間に、無限大数のお手々を出しあっているんじゃなかろうかと思った。

綾子は自分が今苦しいのだと言える先がちゃんとあったことに安堵した。安堵して、次の瞬間には安堵してしまったことがとても苦しく感じられた。何をどう頑張っても安堵出来なかった過去の綾子が居なくなってしまったような気分になってしまった。それなのに、自分と仲良く出来たような感覚になって自分自身が拡大したように感じて、拡大した世界で少し息がしやすくなったように感じた。

第5回 アドラー心理学 I

今日もありがとうございました
☆今日の最後のブレイクアウトルームが、はらたかさん、チー子ちゃん、大輔さんと私でした。あらじん塾からでない、新らしくお仲間になれたメンバーの方々とのブレイクアウトルームはなんだかよそ行きの自分で、その感覚がとっても新鮮でした。最後の共同体感覚のお話ではないけど、これからみなさんと距離がもっと近くなっていくんだなっていうこれからが楽しみでした!
☆久しぶりのアドラー用語、聞き馴染んでいるようでパッと言葉のイメージが湧かないところもたくさんあり、まだまだ自分のものになってないな~という感じで前のノートを引っ張り出しました!アドラーさんのあり方とお釈迦さまのあり方の共通点も見えたり、教えの中にもざっくりと共通点が見つかり、これからまだまだ学んだこと同士がつながっていくのかと思うと、ワクワクしました。
☆仏教の振り返りのなかにある「自灯明法灯明」自分自身を拠り所にしなさいという言葉がとても好きになりました。自分自身の悟りへの道に集中しブッダとなった後、求める人には惜しみなく与えますよという姿勢にも感動しました。そうありたいなと。でも人を助ける気満々の菩薩さまもなんか憎めず私は好きです~~。
☆あらじん経典の優しい仏教の教えについていきます。笑笑
☆求め続けることが人間の心の特性であることを知るだけでも、今更ですが、それだけを知ってるだけで楽になれる気がする。正見~意識して生活するというトレーニングを積むことで、いろんなことを客観的に見れるようになり楽になれるなって改めて思いました!
(山本由起さん)

今日の一番の響きは、人間で生きて行く以上、現実は、やはり一切皆苦なんだけど、苦が空に行けるよって教わった時には、心の反応をなくす。と一瞬誓いましたが、やっぱり、簡単には上手くいかないものですね。実践あるのみです。私は、やはり穏やかに生きたい。お釈迦様の教えを、あらじんさんからの学びから受け取ると、やば~、お釈迦様優しいって思ってしまいました。
アドラー心理学は、性格はいつでも変えられる。コントロールできないことには目を向けず、心の動きを見ながら乗り越えると言うところが、物の見方、受け取り方、自分で人生の課題は設定できる。
共通して言えること、やはり自分を大好きって心から思えて、できない自分から目を背けず、私は今、こう思っているんですねと、受け取る訓練していきたいです。
まとまらないけど、アドラーさんと仏教の共通点まで教わり、今日も深く楽しい講座でした。ありがとうございました。
(畠山由香理さん)

今日も日常とリンクした学びでした~
職場で師長から厳しい怖い言葉を言われ凹んでました。悲しい気持ちで来年度で退職を悩んでいることが師長の耳に入り、これまで勤務を配慮(子供達の送迎で遅刻、中抜け)してきたのにありえないと。侵害だ。配慮してきた事でスタッフから苦情もあった。それを対処してきたのは私なんだよーと。1年前にはどうするかを決めて辞める時は自分でみんなに伝えてね。同じ量の感謝もあるのに苦しさの方に気持ちは入り込んでました。ブッダの教えがわかりやすかったです。人の心は求め続ける性質がある。
そうか~。心とはそういうものなんだ。私承認して欲しかった 求めていたんだなー。軽くなりました。
そしてブレイクアウトルームであつきさんが、僕は苦しいの好きなんですーって、好きな人もいるんだー。軽くなりました笑
自分の自分が共同体感覚のあり方で。
明日師長さんに、これまでの感謝 感謝忘れたことはない事伝える。師長さんに侵害な気持ちにさせてしまっている事謝ります。後は、課題の分離に任せ、私は私らしく頑張る。私の気持ちに正直に選択する。
アドラー久々に色々ワードが出てきて、私もノート引っ張り出しましたー。忘れてしまうなー。
自分の共同体感覚~これがしあわせ。
(野澤かなえさん)

復習で、般若心経の中身をこれまでの学びと照らし合わせてくださって、ちゃんと般若心経読んでみたいと思いました。
アドラー心理学は、まだまだ初めて聞く言葉もあり理解するまでには至ってないのが正直なところです。ライフスタイルとライフタスクがぐちゃぐちゃしてます。アドラー心理学って、コーチングには良いけどカウンセリング向きじゃないのかなぁ?って感じてたんですが、この辺りもちゃんと自分が理解して腑に落としたいなぁ。と思っています。
(清家奈緒さん)

ひらたじゅんいちです㊗️
まずは、お恥ずかしい話から報告です。昨日のブレイクアウトルームで「サミットは共同体感覚を体験できる」ってお話しさせてもらったあと、すぐにあらじんさんが、「サミットで共同体感覚が味わえるとか聞くけど、もっと、深いもんなんだ」と一蹴されて、そこからの記憶は曖昧です深く深く反省しながら静岡サミットに参加させていただきます。
今日はお休みいただいていまして、朝から釈迦の動画を見てました。ホントにおもしろかったです。特に、子どもをなくした母親が生き返らしてほしいと釈迦に懇願するシーンがあって、これは、小林正観さんの本にも書かれていたので内容は知っていたのですが、本では「お母さんは、死と言うのは自分の子どもだけではない。この死を受け入れて自分にとって楽であり当たり前のことなのだと気づいた。」ってなっていたので自分も受け容れて来たことがここまでこれたのかと想ってました。動画では、さらに「生きてる子どもは生きている子で素晴らしい、死んでしまった子は死んだそのままで最高」って説明があって、そのあと『死んだ子を死んだ子として愛することが本当の愛情』って説明が痺れました❗
ホントに今、いろんな所でにぃにぃのお話しをさせてもらう自分の気持ちと合致していて何か嬉しくなりました。今、にぃにぃらを愛してお話しできることにまた感謝の気持ちが沸いてきました☺️このタイミングで、この動画に出逢えたのは何かあるんかなって想ってます。あらじんさん、ありがとうございます。

最初の仏教の話、そしてその後のアドラー心理学の話どちらも幸せに満ち溢れています。
とりあえず、私は、あらじんさんの経験談が無茶苦茶腑に落ちやすくて、好きですわ!笑笑子どもたちとの話!笑笑
主人も横で聴きながらちょこちょこ口を挟んでくるので、昨日は頼もしい講座でした!笑笑
そして、現実でも、昨晩少年野球の保護者会から帰ってきた主人が、まさに学びの通りを話してました笑笑
監督を辞めさす、辞めささない。
卒業する6年生の親の言葉の攻撃により、監督が責任を感じてやめると言い出して、、、
アドラー心理学でいう課題の分離でもいいんではないか?とも思いましたが、タスクを広げて考えていければ、きっと皆んなが不幸にならない選択が出来るんじゃないかな?とも考えました!
学びが本当に実践でスライドして起こる。この現象がもどかしいほど、感動しております。
そして、主人が大愚和尚のyoutubeにハマっていることに笑えた今日この頃です!
あらじんさん!また、尊敬、信頼、共感、協力の土台から共同体の説明お願いします
アドラー心理学でここが一番好きで、きっとみんなもココ聴いたらめっっちゃ、ありのまま、あるがまま、一切皆空と繋がっていくんではなかろうかとワクワクしています❤️
↑あくまでも感想です!アイメッセージ
(櫻井千尋さん)

私はアドラーを詳しく学んだのがあらじんさんからだったんで、アドラー心理学は心が楽になる心理学に感じます。私がアドラーをしっかり理解するとなると75歳になっちゃうなぁアドラー心理学とはシンプルに共同体感覚を育てること。人間関係をよくしていく心理学。
3つの条件は誰もが納得する条件❣️
たしかに、↓この3つが揃って幸せを感じない人はいないな~。
・自己受容・・自分が好きになれると幸せだなぁ
・他者信頼・・仲間に恵まれて幸せだなぁ
・他者貢献・・人の役に立てて幸せだなぁ
5つの基本前提(共通感覚)
主体論、目的論、全体論、認知論、対人関係論が、みんな当たり前に感じられるようになるといい。(←ここはまた詳しく学びたいです。思い出します)
~仏教で印象に残ったこと~
お釈迦様は自分から教えを伝えようとはしなかった。自分が穏やかであればいい。人にわかってもらわなくていい。学んでいくと、わかってもらいたい、まわりもそうなってほしいと期待してしまう自分がいます。だから伝わらないとイライラモヤモヤしてしまう。そもそも思い通りにはならない。一切皆苦だった!なんだかつながってきました。
仏教学は、『心穏やかでいたい人の学び』
アドラー心理学は、『幸せに暮らしていくための学び』
どちらも、私にとって楽になる優しい学びだから面白いんだと思いました。説明するのは難しいけど、なるほど~と少しずつつながってる感じです。それをあらじんさんから学べ、あらじんさんから学びたいと思う仲間と学べる時間が幸せです。今日もありがとうございました。
(三吉順子さん)

◉悩みの正体は執着であり、執着とは人間が活動の中で自分で生み出した産物である。
◉人の心が反応する理由は求め続けるから
◉悩みを減らす3ステップ:①心の状態を言葉にする②心の外に焦点を移す③頭の中を分類する
◉無駄な反応をなくすとはどういうことか?それは正見(ありのままを見る)
◉自灯明法灯明:自らを拠り所として生きる
◉自分が1番大切だ!これを受け入れることから慈悲の心ははじまる
◉人は変われないのではなく、変わらないという判断を自分でしているだけ
◉この世の全てのことは思い通りにはならない
◉ライフスタイルがライフタスクを決めている。ライフスタイルを変えればなければライフタスクも変わる
<感じたこと>
幸せと対極にあるのが「執着」という自分の考え方の中にあったので今回の学びは自分の今までの価値観と照らし合わせながら話を聴けた。
あれも欲しいこれも欲しいと常に足りないものを見据えながら生きていた時期が自分にもあった。いろんな経験をして今思うのは足し算よりも引き算の方が幸せだな~ということ。
ものは少ない方が幸せだと思えるようになってきたし、がむしゃらに人脈を求めていた時よりも限られた少し閉鎖的なコミュニティーの方が居心地がいいし自分を出せる。好きな自分の比率が高められる。
正直執着はゼロではない。
勝ちたい時はあるし、成功したい。笑。でも以前と比べると心が満たされた感覚があるので、心は穏やかでいれていると思う。前は心も空っぽだったように感じる。
今の境地にたどり着けたのは執着にまみれて、そんな中全力で一生懸命生きてくれた過去の自分がいるからだと思う。過去の本気の自分が人生のバトンを今の自分にくれたから大切なことに気が付けている。不器用だけど上手くいかないことを積み重ねながら生きている自分の生き方には愛着が湧く。生まれ変わっても執着にまみれる人生ステージもやり直したいと心から思う。
過去の自分に対して声をかけるとしても、執着を手放せ~。みたいな声掛けじゃなくて「もっといけるだろ!いまのがんばりが将来の財産なんじゃ!」と声をかけたい。
だからいまの若い世代、普段関わっている高校球児にも、本気でやりぬけ!というメッセージは変わらず届けたい。そんなことにも気がつけた。
「苦」と言う言葉がたくさん出てきていたけど、正直自分は「苦」が好きだ。苦しいのは大好きかもしれない。限度は存在していて、それを超えるととても落ち込む。でも基本的には苦しんでいる自分は、めちゃめちゃかっこいいと思ってる笑。
逆境があるから感動があるし、苦しいときに人生のターニングポイントを迎えることがいくつもあった。だから喜んで苦をこれからも味わっていきたい。まあ、簡単に言うとただのドMなのだと思う。
アドラー心理学は何回聞いても、面白い!
何回聞いても、忘れていることが多い。次回以降も今までの学びのコップを一度空っぽにして、学んでいきます。
(増田篤紀さん)

平田弥生、第5講座の感想です。
前回の講座の時も習いましたが、やっぱりお釈迦様が言っておられる「心穏やか」この言葉がすごく大好きです❣️
でも自分が人である以上一喜一憂するだろうし、プラスもマイナスもなく気にせず、全ては愛と感謝は中々難しい。
今朝、自転車で通勤中、交差点で信号待ちをしていたのですが、横の信号が赤になりそろそろ信号が変わるなと思っていたら、私の行く手を塞ぐように自転車が横側の信号待ちをしたんです。
えっ⁉️邪魔やねんけど、私の事見えてないの❓ってか、自分の事しか見えてないのか❓ってめっちゃ思いました。
こぎ出して交差点を通過し、あ~、嫌な事思っちゃったなって反省お釈迦様、心穏やかでいたいので指にとまらせてくださーーいって思いました 
そして初めてのあらじん流アドラー心理学‼️
共同体感覚、自己受容、他者信頼、他者貢献。言葉は旦那から沢山聞いてて何となくはわかってたんですが、わかってたつもりになってました。昨日、一昨日の講座を聞いたんですが、まだ言葉だけが目立って内容がまだ自分に落とし込めてないです。第6講座もしっかり学んでもっと理解したいです。でも仏教を学んで、仏教と通ずるところがあった分少しわかったかな!?という感じです。

仏教の振り返りから
求め続ける 想いを持つ こうなって欲しいは一瞬叶うけど、その後のまたこうなって欲しいが叶わない期間がある。それがストレスになるは、なるほどでした。ただ、心が穏やかになること、プラスで成長もしたいので、夢や目標を持つことと、両方使い分けできたらいいなと思いました。
お釈迦様という人ではなく、教えと自分に頼れ。神格化して、祈るよりも論理的、客観的な学び。そして、自らの学ぶことで自分を幸せにせよというメッセージかなと思いました。
小林正観さんの損得勘定でいい。というのはすごく受け入れやすいです。今まで損得勘定が強かったので、いきなり聖人君子にはなれないので。
アドラーの目的論は結局自分で決めている。過去をどう使うかは自分で決められる。解釈、捉え方次第ということかなと、学んでいい捉え方ができるようにしていきます。全ては共同体感覚を目指す。まだ共同体感覚自体をはっきりと理解できていませんが、自分にとってもみんなにとっても、幸せになると思える行動をとっていけばいいのかな。全ては人間関係。本当にそう思います。人に対する感情で落ち込んだり、喜んだり。これも捉え方。そうわかっていても、落ち込む時は落ち込む。
まずは、仏教の教えも併せて、ジャッジせず、自分を客観的に見る。ラベリング、言葉で確認する。心の外側、身体感覚に焦点を合わせる。頭の中を貪瞋痴に分類する。正見、心の中を観察することを実践していきます。
(清水大輔さん)

いまだブレイクアウトルームが得意でなく、言葉が出てこないすぐに何かを感じない、何かカッコいいことをお伝えしたいと思っているのか?こんなこと言ったら変?と思っちゃうのか?あの短時間の中の自分の心の状態は、様々です。ラベリングは、できていない状態。
これは共同体感覚になれていないんだろう❓でもそもそもそんなに簡単に共同体感覚は、味わえないと、言ってみえたからよくわからない。
自分の仲間と共同体感覚を作っていきたいと思っている。が、刹那に変わる私の頭の中❓いろんなことをぐるぐる考えている。一喜一憂している私。カッとなって暴言、暴動起こしている私。
瞬間に戻る私。あ!これは少しラベリング❓頭の中を分析出来るようになっているのかな?
ひとつひとつ学びと日常が重なっていけるように楽しみます♪わくわく。ありがとうございます。
(田中高子さん)

アドラー心理学は名前だけ聞いた事はありましたが、深く学んだのは今回が初めてで、聞く言葉全てが、新鮮でした。
共同体感覚を磨くのが、最終ゴールとされていますが、その中の自己受容、他者受容、他者貢献。三つとも、出来てる様で、まだまだだなと思いました。特に自己受容は、私自身がつい人と比べ、何でも完璧を目指そうとしてしまう傾向があり、ちょっとでも、上手くいかない事があると、自信をなくしたり、自分を責めてしまう所があります。まずは、人と比べるのはやめて、どんな自分も受け入れていく事から初めていこうと思いました。
私はよく、悩み、考えて込む傾向があります。その根源になっているのは、執着(思い)があるから。聞けば聴くほど腑におちました。こうであって欲しい、こうあるべきという、考えは手放し、心穏やかに生活出来たらいいなと思いました。
(南部とも子さん)

「共同体感覚」はじめにこの言葉を学んだとき衝撃でした。いや毎回衝撃なんですが(笑)
学んだと同時に当時はジャッジをしまくる仕事をしている自分を苦しく感じたのを覚えています。この子は衝動性が強く、生活に支障をきたしているから療育が必要とか。泣き声が聞こえる通報があった、もしかして虐待の可能性があるからお家の様子を見に行く必要がある…とかとか。
まさに一切皆苦の認知だったと思います。でも学んでいくうちにやっぱり共同体感覚なんだな、と。あらじん塾やありのままの学校で視座を高めること、一切皆空の世界を教えてくださったこと、そこを意識していると自分がリセットされた気持ちになり物事をみつめられる感覚でいます。本当にありがたいです。
学んでいて今の自分の中の共同体感覚イメージとしては、山登りというよりかは母胎・宇宙の中で包まれているイメージです。その感覚がより実感できるというか。ライフタスクはその中で自分がワイパーになった感覚です。時々視界不良と認知したり、めちゃくちゃクリアに感じたり。一生をかけて磨きをかけていくんだな~って思っています。✨
以上アルフレッド・メグラーがお伝えしました❤️
(伊藤恵さん)

今回、久しぶりにリアル参加ができました❗️やはり、リアルだと、途中途中でシェアができていいですね‼️
共同体感覚をどの場でも持ちたい、とあらためて思います。
この講座の後の静岡未来サミットでしたので、実践でどの場でも(どの人の前でも)自分の状態を確認することができました。これは大きい。
そして、『視座を高める』のお話は何度聞いても面白い!ですし、意識をしたいと思います。
前回の十二縁起のお話にもありましたが、自分で切って、つくれますから。どの場にいたいのか、自分で選べますから。無意識(カルマ?)にまかせてちゃいけない。
この学びがあったことで、自分が意識をして、努力するところが明確になります。ありがとうございます。
(梶野和美さん)

今回も、ありがとうございました。私の中で、やっと少しずつ理解が深まってきました。
一切皆苦から、四諦・八正道から諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の世界
ただ生きている、という事が、ありがたい
となり、静岡サミットにて、更に生きてるだけで丸儲けやん!となりました。
諸行無常や諸法無我の教えが、なければ苦しいと感じ、自灯明法灯明の、自分を拠り所として生きるという事が、すごく力強いくもあり、自由も感じ、目の前のことを、粛々とあじわいたいと思いました。
すべてにおいて、神々しく愛と感謝でいっぱいです。
(森直子さん)

⭐︎最初の動画より
悩み=執着=求め続ける心
求め続ける心に振り回されないようにする。
ステップ①心の状態を言葉で確認する→俯瞰する
ステップ②心の外側へ焦点を移す→心の外へ集中
ステップ③頭の中を分類する→求める心は❶貪欲❷怒り❸妄想→無駄な反応を無くす=自分の心を中立的な立場でただ見る(正見)
◎ステップ②のところで、瞑想や運動がいいなと思い、今後の生活にもっと取り入れたいと思いました。
⭐︎三次元=一切皆苦  これは幻想である。「苦」と思っているだけ。
◎前回から、ここの説明があってとても楽になった。
なんだかとても苦しい世界に生きていて辛いと、思ったけど、「苦」にしているのは「自分」だということがわかり、とても楽になりました。自分で「苦」にしているのなら、自分で「苦」じゃなく出来る!でも、苦楽どっちもあるんだけど、自分の心はコントロール出来る思いつつ。やっぱり結果気持ちが楽になりました。
アドラー心理学
⭐︎共同体感覚について
◎これは一生かけていくものだという言葉が残りました。「共同体感覚が築き始められたかな?」と思っては、「あれ?違った?」と思ったり。共同体感覚が感じられる人がちょっと羨ましかったけど、これは一生かけていくものだと学んだら、「そうか!これでも良いんだ!」と思えて、また心が軽くなりました。
⭐︎ライフスタイル=人生への価値観
①自己概念
②世界像
③自己理想
ライフスタイルを変えればライフタスクも変わる。
◎自分の思い込みや概念にとらわれず、しなやかに生きていきたいと思いました。
今回もありがとうございました。
(山谷真予さん)

とにかくつらい。すべてがつらい。頭が悪い。文字が読めない。耳も使えない。ゆえに全く仕事もできない。飯も作れない。ふらふらする。風呂にも入れない。くさい。起き上がれない。起き上がりたくない。コップなのかニンジンなのか区別がつかない。出かける先を忘れてしまう。買ったものを置いてくる。うまく言葉が出ない。ああ怒られる。ああごめんなさい。何も喜べない。かといって憎しみで満たされるほどの勇気もない。実は憎むには並々ならぬ体力が必要だ。
綾子は今、アドラーどころではない。釈迦も菩薩も仏教もどうでもよい。「苦しいつらい嫌だ消えたいもっと分かってくれ知ってくれ構ってくれ大事にしてくれ配慮してくれ気使ってくれ」構成要素がそういうのしかない。
変に発酵してシンナーみたいな匂いになってしまったぬか床状態。宇宙という共同体感覚の中にいながら共同体感覚を探している。「メガネメガネ・・」って探しながらおでこにメガネがあるようなそんな感じなのではないかと思った。
共同体感覚という言葉を知ってしまったが故に本来普通にそこにあったかもしれない「共同体感覚おぼしき何か」みたいなものまでもが、自分から分離した異質の何かになってしまったようにも思えてくる。
講義がほとんど何を言っているのかが分からなかった。文字が読めないことがとても怖いと思った。「馬鹿にされやしないか」と恐れた。あてられても何も答えられない。「読んで」と言われても読めない。「読めない」ということを伝えられるくらいの言葉のアウトプットも出来ない。国語力の破綻は命の危機くらいに思っている。すごい劣等感である。爆発しそうな劣等感を内側に向けたブラックホールみたいな重力、鬼の執着でなんとかかんとかした甲冑が文字。なんとも頼りない。情けない。心もとない。ひたすらにびくびくする。
そうしてそれでもここに居たいのはなぜだろうと思った。否、「居たい」のかどうかもう分からなくて「居なくては」に近い脅迫的とも言える何かで綾子はそこに座っていた。
「ここを失いたくない」という縋るような想いだった。「誰か気づいてくれ」という思いあがった過度な注目を求めていた。一回放送を見逃したら次の日からのクラスでの居場所がなくなってしまうような、中学校の教室、あの感覚にも似ていた。「それでも大丈夫」「ここなら安心なはずだ」という感覚も同時に存在していて、それを証明してやりたいような気持もある。それとボリュームを同じくして、「ほらやっぱり大丈夫じゃなかったじゃん」「ここでもやっぱりのけものだった」という既存の自分ルール(過去の記憶)を証明してやりたいような気持も存在している。
遅くなったけれど書けてよかった。感じたことを表現できて良かった。
(原綾子さん)

第4回 仏教学 II

☆諸行無常のことばを聞くと、わたしの教室を辞めていく子達に執着して寂しくなってた頃を思い出す!いつまでもこのまま楽しんでいたいのに、なんでー!ってそれがいつもすごく苦しかった時のことを思い出してた。すべては移り変わるし人との関係も変わっていく。去る人もいれば出会う人もいる。ちょっと前まで、愛別離苦が一番辛かったなー。
☆十二縁起は難しいけどざっくりと理解できてたらいいとする!わたしたちがこの世に生を受けるのは真理を知らない無知だからであると知り納得した。だから何度も生まれ変わることも。
☆八正道を淡々と行い、徳を積み、出会ったご縁を大切にイマココを刹那に一生懸命に生きる。そうやって繰り返してご縁がまたつながり新しいことに会える
やることはイマココに集中すること!意識します!
☆慈愛、それを持ち続ける心を大切に自分の中にいつももっていたい。いつだって誰だって100%で生きてる。それを信じていられることに感謝✨✨
☆仏教はとても優しい。押し付けられる感じも、やらなくてはいけない感じもなくて、ただただ優しくそこにあって、すごく楽な気持ちになれます。今夜もありがとうございました。
(山本由起さん)

今回の、お講座は、前回文章と動画で、頭ごちゃごちゃになりながらも、何回か繰り返し見ていたので、カラーの資料は、特にまとまっていて見やすかったです。
その中で、[一切皆苦]{諸行無常][諸行無我][涅槃寂静]のキーワード四法師の中で、私は、どれも大切ですが、一切皆苦(仏教の出発点は、一切皆苦を知るところから始まる)と教わり、モヤモヤが的中して、すごくショックでした。人生は思い通りにならない。私は、人生のほとんどが、自分の思い通りにしたいばかりの人生だったように思うからです。
諸行無常は、(すべては移り変わるもの)これは、人生まだやり直せるの?と思いました。変わらないで欲しい、変わりたい、いろんな執着が、沢山沢山あり、頭がモヤモヤして、泣きそうになりました。諸方無我(全ては繋がりの中で変化している)ここも、まず、自分のことをまず、大好きでいないと信じるなんてできないでも、(世の中のものは絶妙なバランスが取れていて、自己など存在しない。互いの関係性で生かされている)ここも、まだ自分は心のどこかで、私はひとりぼっちと思ってしまう自分がいます。そもそも、存在しないと言われても寂しいのですが。ここもやはりグサーっときました。
涅槃寂静では、仏様が目指す悟。あらゆる現象に、一喜一憂されることなく心が安定した状況を過ごすためには、やはり、煩悩をなくして前に進みたいです。でもこの辺は苦しい。頭では、わからないでもなるほど、言葉を意識して、少しでも、悟りに近づけるように、努力も必要だと感じました。
十二縁起については、私は、どれだけ生まれ変わってるの?生まれ変わるうちは、まだまだ無明。無知の世界にいる。幸せに生きたいなら、目の前の人を大切に、毎日目の前のことを繰り返す、何もないことが幸せ。そもそも、我は何もない。に少しつながりました。自分にとって、仏教の教えは、興味深いお話でした。
あらじんさんのお言葉で教わることができて、まさに、今の自分は、誤解言葉をなくし、執着を捨てて、周りの人とのご縁を大切に、命があることに感謝して、何も無い人生を送りましょうと。日々実践。
実践もなかなか。動画が、自分に言われてると、脳みそが理解し、来世もまた、繰り返すんか?って思いながら見てました。なんだか恥ずかしいなぁと思いながら、実践あるのみと、いきがって、なんだか無性に今まで以上に寂しくなり、弱音を吐きたい気分ですが、リセットです。泣き言になりますから。あと、母親も、仏教してて、私はなんやら、生まれ変わらないように、仏様に頼んでるからと、よく、お話があるのよって、私が幼少期の頃、出かけていたことを何故か思い出しました。あとは、何度も動画見直します。般若心経を書くのは、私は夜の方が、すっと眠れます。まだまだ続けます。ありがとうございました。
(畠山由香理さん)

仏教を学び感じることは、温かい気持ちになるんです。お釈迦様からの言葉のように聞こえて、お釈迦様が教えてくれているような、すごーく入りやすいです。できることをやってみようって思えるんです。
人生の始まりは 一切皆苦
でも、私は思い通りにならない事でイライラして、否定していたなーと反省。そこを認め、じゃー何から変えられるかなーまずは一切皆苦なんだーと受け止めて、目の前の人に何を贈れるかなー。笑顔と思いやりある言葉を意識して、少しづつできています。いいねー
*十二縁起
この縁起を止める事が大切。ずっと続けて来世まで続いてしまう。縁によって起きてきた事、手放し、新しい捉え方をしていい
*八正道
すぐには全てをできるわけではないけど、コツコツ出来ることから取り組み。自分自身が安らかでありたい。
1日の始まりは朝日を浴びて、そこで「全ては思い通りにはならず、当たり前ではないんだ。神様感謝します」を唱えてスタートしてます。これが穏やかになれるんです。小さな一歩一歩。涅槃寂静に向かっているなーと感じます。
そして一切皆苦。この苦が人生の宝となる経験 成長となる経験だなーと思いました。
(野澤かなえさん)

お釈迦様が腕を切られても怒らない
それに比べると自分が怒ったり、悩んでいることなんて小さいなと思った。それでもやっぱり、イライラする。道は遠いけど、イライラしないようになりたい。なかなか、なれないから大切な教え、実践の道なんだなと感じた。
生まれ変わるということはそもそも無明。できないのが当たり前。だけれどもできるようになっていく。まず、無明であることを認識できた。一切皆苦の考えを知れただけでも大きな気づきになった。
無我、無常 何事も思い通りにならない。思い通りに行くことがたまにあるけれど、無常で不変な物はないと執着を手放す必要がある。
僕はこだわりや自分の中の正しさが強いことが、苦しみや悩みにつながっている気がする。無我を意識して、みんな繋がっている。もっと優しく、思いやりを持った言動を意識していきます。
まだ知ったばかりで実践はできていませんが、八正道のありのまま見る、害さず、怒らず、貪らず考え、人のためになる言葉を使い、皆にとって役に立つ行動を意識していく。それを習慣にして穏やかな心で生きていきます。
ちょうど、かなり落ち込むような出来事があったので、頭の中でグルグル回っています。学んだことを実践するチャンスがきたと思ってたくさん考える、悩む、この知恵を使ってどう解消していくか?実践する機会にしています
(清水大輔さん)

なかなかリアルで参加できず、動画で学んでいますが、止めたり繰り返したりしながら進めているので少しずつ理解しながら進めるところが助かります。今回はブレイクアウトルームでの動画があって、やはり皆さんのアウトプットを聴くのは良いなーと思いました!あと、動画もどれも面白かったです!ありがとうございます
四法印
動画「ブッダが説いた怒りの対処法」では、ノコギリで両手を切られて怒りが出ないわけないー!でした。でも、解説にあった話を聴いて、最悪なことを考えていれば悪いことがあっても「これくらい」と思えるかもと思いました。目指すはここですね。
十二縁起
自分メガネでついつい見てしまう自分に改めて気付きました。そして、動画にあった煩悩を断ち切る方法が4つもあって良かった!①意思で見方を変える②渇愛を断ち切る③修行する④菩薩心に変える
このどこかを少しずつやっていけば良いと思えました。今までの仏教の授業はとても苦しかったです。
言葉がわからないとか、難しいとかということもあったと思いますが、できていない自分に落ち込んでいたんだと思います。でも、今回どうやっていくのかの方法が分かり、本当に心が楽になりました!特に④の菩薩心=「他人の喜びのために行動できる」が、何故か嬉しく救われた気がしました。☺️
どれも簡単にはいかないことだらけですが、少しずつ自分メガネを外して行動していきます!
八正道
アドラー心理学と重なる部分があって「おっ!」という感じでした!「共同体にとって有益か」を考えていくことが大切と実感。そして、ここでも自分メガネを外して、怒ったり執着したりせず、言葉を大切に使い、コツコツと努力することが大切だと思いました。そして、瞑想は自分に気付いたり、精神を安定させるためにもいいと感じました!最近少しまたやり始めたので続けていきます♪
(山谷真予さん)

仏教学のはじまりは、聞き慣れない言葉や似たよな漢字が多く頭の中がごっちゃになっていましたが、だんだん実生活の中でこれって?など置き換えてみるのが面白くなってきました。
シンプルなんだって思ったことは、『人生は思い通りにならないのだから、執着を捨てなさい。執着を捨てれば涅槃に達するから、そのために修行をしなさい。』(四諦)思い通りにしようと思うから苦しむし、なんでわかってくれないのと相手に求めるから悩むんだと思いました。でもなかなか執着を捨てるって難しい。そのために、まず十二縁起を知り、八正道を実践していく。日々のものの見方の意識が大切なんだと思いました。
印象に残ったこと
同じ経験でも人によってインプットのされ方が違う。自分にメリットがあるように受け止めればいい。なるほど~私が心地がいい学びをし、よいアウトプットをすればいい。偏らないように意識して心穏やかになるような見方できるように1歩ずつなりたいと思いました。無理にやるのではなく、『心穏やかに』がポイントなんだそれでもイライラするし、モヤモヤするけど、そう思ってるんだねと自分の気持ちに気づくことが大事と教えてもらい、ありのままの自分ににつながってるって思いました。
仏教学はいい人、正しい人になるために学ぶのではなく、心穏やかになるために学ぶ❣️という言葉も心に響きました❤️
(三吉順子さん)

奥が深いのですが、日常の中での現象につながる事ばかりなので、意味を自分なりに理解したい気持ちでいっぱいです。
諸行無常、諸法無我
全てにおいて、均衡が保たれている.保たれていることは、本来、愛に満たされていることなのに、三毒がでる。
また、十二縁起、八正道を聞いていて、少し苦しく思う自分もいました。そうなれると、いい。とはいえ、三毒のその中にも、私の真実も知る体験となるのではとも思いました.人間だもの。
でも、意識はしながら、まだまだ、学びを深めていきたいと思いました。今回も、ありがとうございました。
(森直子さん)

前回のお話で、仏教は難しいと感じていて、頭の中がぐちゃぐちゃでしたが、今回の講義で少しだけ理解できたと思ってます!
全体的な話になりますが、怒りや不満、苦しみという自分の気持ち・感情を出してしまう事が多いですが、これを無意識で出ているのか?内面的な気持ちなんだって理解して出ているのか?の捉え方で違うって感じて、意識した上で今後発するようにしようって思えました。
また人生は自分で創り上げているものだと思っていましたが、諸行無常、諸法無我の学びで他人からの影響や繋がりで自分は存在していて創り上げていると感じて、今仲間といて幸せだって思っています!!
ありがとうございます✨
(伊勢木浩樹さん)

ひらたじゅんいちです。
今回は、一発目の動画で、ここまで考えてたら、小さいことは気にならないってことをノコギリで例えたお話しが気になってしょーがなかったです。通勤の時に結構イライラさせてくれることが多いので、これを木曜日から実践してました。
何にしようかなって想ってて今のところは、『なにもしてないのに顔に唾を吐かれる』をノコギリのお話しに設定しました。改札でモタモタしてる人も歩きスマホで階段降りる人も、必死で席とる人も赦せるようになると信じてます。
仏教学って最初は漢字が多すぎて取っつきにくいしって想ってましたが八正道みたいに日常に簡単に取り組めるやり方があるって知って面白くなってきたところです。

平田弥生、第4講座の感想です
前回の仏教学よりかみ砕いたお話だったのでわかりやすかったです。
そして今回は動画が面白かったですノコギリの例え話からあの長髪のおじさんの反応でも笑って見てるからリラックスした気持ちだったのですごく頭に入ってきやすかったです‼️
あと、四諦八正道、十二縁起と八正道のお話。
十二縁起は断ち切るは無理なので笑顔になる十二縁起になるようにしたいなと思いました。八正道も色眼鏡で見ないとかカルマの法則、過ぎたるは猶及ばざるが如し、なるほどなぁーと思う事、自分が心穏やかに笑顔で楽しくいれるようにもっと言動に注意しないとな、と思いました❣️

学びが面白かったです!
私の中での無明からの十二縁起の話、そして、それを断ち切るために、無明と渇愛を断ち切ると言うところ。とても理解しやすかったです。仏教でいう愛。そして、無明という知らぬこと。無関心であることの罪。
だけど、それも全て自分の意思、意識で変えれるというまた、アドラーと繋がる言葉たちは、頼もしかったです。
仏教好きです面白いです!!!諸行無常、諸法無我。移り行くもの、そして、全て自分だけのものではなく、繋がりの中で生まれたものという。動画の解説にもありましたが、他者と自分というものがどうじに存在しているからそう思うというところ。
後半の話と全てリンクして、楽しかったです。
(櫻井千尋さん)

お釈迦様がどういう方で、どういう人生を歩いてきたのか、動画等でわかる事ができました。
仏教用語も、わかりやすい解説や説明で、段々と分かってきて、自分の今迄の人生を振り返ってみた時に、私は直ぐに怒る、落ち込む、泣く、感情の波が激しい一面があります。それは、思いや、執着が、物凄く強かったからだなぁと気付きました。
気がつくと、「べき、ねば、なきゃ」のマスト感情になって心がぎゅーっとなってしまっていました。全ては思い通りには行かない。「べき ねば なきゃ」の枠を外す修行をしていこうと思いました。
(南部とも子さん)

週末に予定が入っており、日曜講座を受けたい!!というトンと渇愛がとまらないメグです。
でも私は刹那に生きます!カルマを浄化するんだ!と思い週末をすごしました♪(なんのこっちゃ)
十二縁起の意味合いをひたすら追加資料の絵に書き込みました。資料で詳細を知り、追加資料をみて学びの全体像をつかむというイメージでやると自分の中でおとしこみやすい感覚がしています。_φ(..)メモメモ
「縁起」という言葉はいいことに起きるということとかによく使っているイメージでしたが、苦悩の原因・根源を表してもいるんだと初めて知りました。だからこそ人間は、十二縁起を日々経験、認知し、乗り越えて四無量心を育んでいる過程だからこそいい「縁起」がくることを喜ぶのかなと感じました。(^^)
今週の私のカルマの浄化エピソードです。週末、三瓶キャンプを予定していたのですが、当日なぜか予約がとれていませんでした。
満席で当日予約もできませんでした。すごく残念だったし楽しみにしていた子どもたちに申し訳ないな~と想い、別の初めていくキャンプ場を当日予約しました。あまり知られていない場所だったし大丈夫かな~と思って現地へ行くと、なんとなんとオーナーさんが夫の幼なじみだったという出来事がありました!✨✨偶然ではありましたがすごい導かれた感じがして、なんだかつながっているな~ご縁だな~と感じた出来事でした♪写真はキャンプ場の目の前にある海岸の探検を夜にしたときの写真です✨星空もサイコーでした✨✨
(伊藤恵さん)

仏教学Ⅰの時は、理解するのに苦しんでいましたが、Ⅱを受けてスッキリしました
2週に渡って仏教学を学んで辿り着いた私の感想は、「仏教って優しいなぁ~❤️」という思いです。
一切皆苦、諸行無常、諸法無我
何一つとして自分のものというものはなく、全ては縁起のなかで常に移ろいながら起き生じているもの。そう考えると、本当に今ココに自分が存在していることがお陰様であり、なにより人に生まれたことが「ありがたい」ことと思うと、なんだか日々の中でイライラしたり不安になったりすること自体が不要な事だと思いました。が、しかし煩悩があるから三毒に陥る…でも、でも、「煩悩即菩薩」だからそんな自分も認めてあげれば良いんだな。って✨
八正道については、とても日本人らしさを感じました。しかし、現代社会においての正しさは「中道」がとっても大事だと思いました。どちらに偏ってもだめ。それを実践できる者になりたいです。
(清家奈緒さん)

十二縁起のお話、聞いている時になんか…涙が出てきました。
経験でくりかえしすり込んできたことに、なんて自分はがんじからめになっていたかなぁ、、と。
本当にそれしか(そっち側しか)受け取れなくて、偏ってたーー‼️しんどくて、戦って、頑張った世界ーーー❗️
なぁんだ‼️好きに受け取ったれ‼️観る景色も、自分の得にしたれーー‼️
一番の感想です。
そこに、持ち前の努力を生かします!ありがとう❗️あらじんさん‼️
(梶野和美さん)

ありのままの感想ですが、十二縁起と八正道はまだまだ頭の中に入らずいる状態です。今までの経験記憶と仏教を結びつけたくて仕方がなくて、三毒に気付き共存していく過程を探しています。それが苦じゃなくて、新しいことを知る楽しみ喜びが大きいです。まだまだ悟りには程遠いです。
講座終了後は、無明↔️行↔️識の話から、記憶ってこんなにも曖昧で自分の都合のいいように解釈してるものだと感じました。
日曜の講座中、五戒という言葉から映画の「TO YOUNG TOO DIE」、輪廻転生からNARUTO、梵天から東京リベンジャーズを思い出して気になって仕方がなかったんです。終了後にすぐ「TO YOUNG TOO DIE」を観直してみたら五戒が出てきたのは一部分で、私が覚えていた内容と実際の映像は違ってました。NARUTOは仏教より神道寄りで、ドラゴンボールと仏教(ドラゴンボール法話)の方に興味が涌き出てて。そこから鬼滅の刃と仏教の関連動画に気が向いて漫画を読み直していたら、東京リベンジャーズの事を忘れていました。
この過程も無明から始まって、仏教と結びつけて解釈するのも私の経験記憶からきているもので。同じ映画や漫画をみたとしても、人それぞれで捉え方も違う。解釈の仕方もインプットの仕方も私の都合のよいに出来てるなぁと感じました。
今その瞬間はワクワクしているんですが、 また新たな疑問も出てきて、欲しい買いたいの欲も出ています。
でも私にとって、今は真理を知らず圧倒的な量の不足を補っている最中だから大丈夫と言い聞かせて、都合よく解釈して心穏やかな状態をつくっています❣️
この欲を無理やり無にしようとしたら、無我で周りに身を委ねすぎてしまわないか?と思ってしまいました。でも、あらじんさんの話から、無我と主体的に生きるのは別だと分かったので少しホッとしました。
「正しい」が正義感使命じゃないと分かっていても、「正」という漢字をみて心がざわざわします。
いい子でいたいんだな、正しい間違いと捉えて苦しく感じるんだなぁ、と気づけて良かったです。
(阿部あさひさん)

ありがとうございますやっと一切皆苦が理解できるようになりました。メンバーさんとの会話の中にも出てくるようになりました。
12縁起を学んで.お釈迦さまは悟りをひらかれたから、死後生まれ変わらなかったのでしょうか?
私は何階目の生まれ変わりでどんな業を持って生まれてきたのかな?って思ったらわくわく楽しくなりました♪生まれたての赤ちゃんも、よく泣く子、よく寝る子、おとなしい子って色々いるのは生まれ変わりだから⁉️って思った。両親からだけの繋がりでなく、すご~い繋がりの中で生まれてきているんだって思ったら、本当に奇跡の私達なんですね❤️
そしてお釈迦さまは、すごい。教えがすごい。今こうしている時間も2度となく、変わっていく。目の前にさっき5枚あったお煎餅は、今は2枚になっている、そしてわたしのお腹は、膨らんだ。今が一番若い今生かされている命を大切にしたいという思いに溢れています。
私は、わたしのものではなく、常に変化し、全てが縁起によって成り立っている。もっともっとこの縁起、人との関わり、一期一会を大切にしたいと思う自分と思うようにできていない自分との間にいます。
まずは、受け入れて、和顔愛語、利他心、利喜心を楽しみます。
歩きながらありがとうありがとう運転しながらありがとうありがとう今日もよろしくお願いします。
(田中高子さん)

ここ最近ずっと「正しさ」というワードを見たり聴いたりする度にモヤモヤしてました。正しさってなんだ?と…
講座を受けて、そのモヤモヤは少し晴れたかな~とは想いますが、(平和、調和、有益)その正しさも数ある正しさの内の1つなんだな~と。自分にとっての正しさを学び続けて行きま~す。
実践として、日常生活でざわざわや怒りが出てきた時に、ん?今、怒ってるな?ざわざわしてるな?とその感情を感じとり、自分に質問をしています。「さぁ、お前はどうする?怒りを選んで相手のと共同体を壊すのか?それとも、感謝やご機嫌を選び相手との共同体を深めるのか?」と。日々、自分の涌き出てくる感情や思考に良い悪いの判断をせずに、そのままを観察し受け入れ、自分にとっての正しさを選択して生きて行きます。
学べば学ぶほど、頭の中がぐるぐるかき回されていますが、結局行き着くのはめちゃくちゃシンプルな事なんだろうな~と感じている裕生がお伝えしました✨
(知原裕生さん)

9月の頭に数年ぶりに右耳の聴力に異常が出た。「またか」って思って「ちゃんと自分を大事にしていないからそういうことになるんだ」っていうお決まりのスピ信仰者の正論責め苦や頭に詰め込んだいろんな哲学を思いだしてしまう。「目的論」を思い出して「この身体反応を起こして外部の何をコントロールしたいのだろう」と思う。もうれつな眩暈と吐き気と化け物化した音の暴力にのたうち回って、飲み込んでも嘔吐するだけの薬を飲んでいたころを思い出して「あんなのはもう嫌だ」と思う。
なぜ自分はこれを味わっているのかと問い、なぜ命を費やして向き合う仕事に必須の身体部分ばっかりイカれてしまうのかと問い、そもそも自分には向いてないのではないかと問い、向いてないお告げならばそれを受け入れられない執念深い自分がどこまでも欲深く浅ましい生き物に思えてきてしまう。誰かに告げようにも宛先が全く浮かばないまま日が昇ってまた落ちてを繰り返している。
「心配してあげてるのに」
「あなたのためよ」
「このお茶がいいのよ」
「こういうセラピストさんがいてね」
「アドバイスだと思わずに聞いて」
「既知とは思いつつお話させてもらうと」
「嫌かなって思われるかもだけど伝えたくて」
こういうのを今までいっぱい聴いた。全部、これをいう誰かさん、綾子の今の事象を観測して、誰かさん自身が自身の中に投影してしまった不安の処理が不能になり、結果、綾子に干渉して、綾子を変えてなんとか解消する行為にしか感じなかった。
心配なのもあなたのためにも良いお茶もセラピストさんも、誰かさんの信仰であって綾子には何にも関係ない。後の三つに関しては、断りを入れれば自分の欲は押し通せると思っているようにしか感じれない。とても不愉快でだなと感じる。「手を差し伸べた風行為」で悦楽する人の前に曝されるとすごく嫌な気持ちになる。手を差し伸べた風行為愛好家ホイホイをやりたいのかもしれない。それで自分がどう感じるのかを味わいたいのかもしれない。自分もやっているということをサムシンググレート的なエネルギーが知らしめたいのかもしれない。
「手を差し伸べる風行為」をした自分自身に酔っているだけで、本当に最後まで伴走してくれた人間なんて居ない。綾子が誰かさんの思うとおり受け取れなければ「身体の悪いあなたのために手を差し伸べてやってるのに感謝の一つも出来ないのか」と今度は怒りが飛んでくる。
こんな人ばかりではなかったはずなのに、こんなことばかりを思い出してしまう。全員が全員とは言わない。でもはたから見ると「菩薩行」に心底いそしむ「手を差し伸べる風行為」のなんちゃって菩薩行も横行しているように感じてしまって、そこに憤怒する。こちとらお前の「人助けして気持ちよくなりたい欲」の対象じゃない、と憤怒する。そして、頭が純度120%の非難の親分みたいな方向に自動操縦してしまうことに、それを止められないことに恐怖する。
「止められない」と決めているだけなのかと問い、「その目的は」と問い、「実は喜んでこれをやってやしないか」と問いたくない問が浮上する。自分で自分を痛めつけて、生きてることを辛うじて許している、という幼少期に天塩にかけて仕込んだ拭い去れない「大前提」にぶち当たってしまう。
誰か救ってくれ!と、他人の他責を棚に上げて、自責を他人に押し付ける。「主体論」を思い出す。自他の境界が切り立った崖のように明白なようで、実は限りなく希薄であるような感じもする。綾子はいろんな分野を勉強しすぎてもはや何が何だか分からなくなっている頭でっかちなばかりの生き物だと思った。「認知論」とか「太ったサナギ」を思い出す。
しんと静まる芯の通う心が穏やかセロトニンな「凪」もあるけれど、全方位から風速200M・1ミリ動けば木っ端微塵、故に動けなさすぎて「一見凪っぽいただのフリーズ」っていうのもあると思った。それは「智慧」が深まったが故の「受容(何でもよいよ)」と「「無痴」を極めた「無関心(何でもよいよ)」が似ているようで全然違うのと同じような構図だと思った。
時計と十二縁起の図を並べて眺めてみた。一分の中に十二の縁起が存在して、一時間の中にも同じく存在して、人の一生に、そして万物の一生に、そして輪廻の中に無限に相似形としてあるのだろうかと思った。
(原綾子さん)

第3回 仏教学 I

今回は、まず、人間の一生は刹那の長さだけ。
今目の前の人を大切にする。自分に出てくる言葉が贈り物。今は仲間に何をプレゼントする?
幸福言葉は、最幸の贈り物。今の私に響きました。
一瞬一瞬を、笑顔で、素敵な言葉遣い。意識の向けどころは、刹那。これは、私にとっても修行です。
仏教学に対して、難しい言葉がたくさんあり、頭がついていけてないのですが、般若心経も、意味を知らずに書くよりも、少し知りながら書く方が、面白い、なるほどとシェアがあり、自分も少し意味を調べて、取り組みたいです。
この世の出来事は、全て苦。当たり前をどこにおくかで、何が起こっても苦。あたりまえの幸せしかない。まだまだありますが、仏教学の教えの言葉にまだ理解するのが、頭がぐるぐるで、アドラーの、勇気づけ、ライフタスク、共同体感覚、五つの基本前提に、置き換えて考えると、なるほどーと思いました。
仏教学は、まだまだ学びたい分野です。日曜日にもう少し理解をできたらなあと思います。
今日も、深い話をありがとうございました。
(畠山由香理さん)

◯むずかしい~~~だから、もっともっと何度でも聞きたい!聞いてるうちに私の中にこれまで経験した私のエピソードがなんか浮かび上がってるはず!それまで聞いていたい、仏教のお話!
◯講座が終わった時には、むずかしいな~っていう感想が、ちーちゃんの感じたことを聞いたら、そのむずかしいな~という固まりがほぐれていって面白い!そう言われればそうやな~と、変化していく感じがとても好き!
◯お釈迦さまは、煩悩即菩薩♡だからこれでいい、私も!笑 どんどんシンプルになってどんどんアホになってそれがとても心地よくて、自分が愛おしくなる感覚が磨かれていく、みんなに笑われても全然いい!だって自分が一番自分を笑ってるからw
◯とん、じん、ち→それはダメ!と思わないでいたいな~それでいいのだ
◯今日も刹那に生きよっと!
(山本由紀さん)

2回目聞けてよかったです。前回よりもかなり入ってきました。言葉に少し慣れたのが大きいかもしれません。
第1講の復習から
頼まれごとをされる人生もいいなと思いました。というよりも全てを受け入れ感謝できる人が導かれる様に収入もついてくる。目標設定型の人でも笑顔で感謝していたら、自分の目標とすることも、近づいてくるだろうなと感じました。五戒言葉は0。まずは意識すること。0には程遠いので、かなり意識します。あらじんさんも使っていることには安心できました。僕は配偶者につい使ってしまいます。他でも使っているのでめっちゃ意識が必要です。ひすいさんも実は愚痴が多かったけどありがとうを25,000回言うまでのことだそうです。僕もありがとう3万回にチャレンジしようと、ひすいさんと同じく病気になった時を狙っているのですが、コロナで健康的に過ごしてから全く風邪をひかなくなり、機会を待っています。
今日の学びとして1番印象に残ったのは、人間の一生の長さが刹那ということです。刹那的とは一瞬一瞬、つまり、今、目の前にあること、目の前にいる人を大事にすること。今とはプレゼント。つまり目の前にいる人に幸福言葉と笑顔すればいい。
仏教は、ありのままを1番伝えている。思いを持たない、つまり、信頼すると言うこと。信頼していないから、こうして欲しい、ああしてほしいとなる。自分も信頼していないから、不安になる。こうしたいという夢を作ろうとする。ここはどきっとしましたしました。自分の人生に期待ではなく信頼する。そうありたい。
三毒の話。快、喜びが増えすぎても、もっとという欲が出てくる。快からも苦が出てくる。なるほど~でした。上の者はいばらない、どならない、おこらない。だんだん上の立場になることも増えてくるので、しっかりと心得ておきます。まずは全てが思い通りにならないが大前提。当たり前にありがとうとつながる気がします。何もない日常、幸せのハードルを下げるとありがとうと思えますね。
お釈迦様の楽も苦行もよくない。中道という考えも、経験からで説得力がありました。瞑想の良さが際立ちます。
諸法無我は知りませんでしたが、無我になり喜ばせる人になることで天命につながる。美しい考えです。
アドラーと仏教の類似点。まだアドラーについてはほとんど知らないので今後が楽しみです。今日の講座の中では、全ての課題を人間関係に紐付ける、人間関係が良くなれば解決するという考え方が気づきとなりました。対人関係が課題の僕にとっては今後が楽しみです。
(清水大輔さん)

まだまだ仏教の言葉に慣れていなくて難しいですが、意味を知っていく楽しさを感じています。
なるほど~がいっぱいでした。
✨私自身、思い通りにならない事に期待していることが多いなーと感じました。特に夫に
自分を1番に信頼したいなー。自分の人生を信じたいと感じました。
✨人生の長さは刹那 
0.013秒。命の始まりは0.13mm。 何の関係もないけど、この数字にびっくりしました。それだけです。瞬間瞬間を大切に生きる。どんな顔で過ごそう。神様からのプレゼントのこの時間を、目の前の大切な人に贈りたいと感じ優しい気持ちになりました。
✨人生は苦である
諸行無常 諸法無我を感じたいなーと思いました。周りの人がいて今の私がいる。恩送りできる人生にしたいなと感じました。
✨無関心
ここに愛があるのかないのか。最近43回の殺意という、少年犯罪の本を読みました。被害者の少年 加害者の少年どちらも家庭 学校に居場所がなかった。この本を読んで感じた事と重なりました。愛がある中で1人になる時間は大切。無関心 ひとりぼっちは危険だなーと。根底に そばに愛があるからないか大きいなーと。愛のない無関心は愛の反対だなーと感じました。
✨八正道のお話、次回早く聴きたい
まだ難しいですが、次回深いお話早く聴きたーいと感じました。
今の私にとっても心に響くお話で、焦らずスモールステップで、学びを日常に結びつけていきたい。とっても優しい気持ちの今日です。
(野澤かなえさん)

全体的な感想としては、仏教に関して、まだまだ理解できなくて、頭の中がパニックな状況です(笑)
理解できるまで、また再度動画を観たいって思いました。
■五戒(誤解)言葉、五福(幸福)言葉の部分について
不平不満、愚痴、文句、泣き言を家族や仕事でも言っているなーと感じ、相手に目を向けていて、自分の事に問題がある事を認識していなかったと実感しました。
■刹那
人生一瞬一瞬で変わっていく事を感じて、今この瞬間を大切に生きるのをしていきたいけど、できてない自分がいるって思う。ダラダラしたり、収入を増やしたい為に仕事や学びに集中し過ぎて、家族と過ごす時間が少なくなったりなど、今を大切に生きてないなって思いました。これからはこの自分の命や今を大切にしたいって思いました。
■こころの解脱、ちえの解脱
話を聴いていて、欲を出す事だったり、怒りや不満に感じる事だったりは、苦しくなったりするのかなって思いました。あまり理解できてなくて、ごめんなさい!!
最近感じてるのは、ダメな自分、そんな自分でも受け入れる事を大切にしてます。話すのが上手でない、大人しい自分を受け入れて、世の中の誰かには伝わる事や与えられるものがあるって感じる事を意識してます。
■その他
ちーちゃんのお話、あらじんさんの考え方を聴いて、感じたのは、伝えたい事をブレないで、お話するってスゴイって思いました。また、過去の事、家族の事を話すと周りから可哀想だと感じてたり支援したり応援したりして、伝えたい事はそこでは無いって思う気持ちは分かるなーって思いました。僕自身も変われた自分を知って欲しいのもあるけど、今までの事をお話して、人は変われるだーってことを伝えたいと感じてます。
纏まりのない感想で失礼しました!!
(伊勢木浩樹さん)

ひらたじゅんいちです。
最初の振返スライドで、刹那主義ってところが気になりました。今を大事にする。相手に与えることが出来るのは「態度」と「言葉」!それは、すなわち「笑顔」と「ありがとう(五福言葉)」ってとこはシビれました。いやぁ今以上に心がけます❗
メインの仏教学Ⅰ、漢字が多すぎる苦を無くしていくことがお釈迦様の教えって初めて知りました。苦の解決が書かれてたんでこれだけ覚えてたらなんとかなるかなって想ったんですがまぁ難しいですねぇ。時間が解決してくれて、仲間がいてくれて、欲望をコントロールしたら、ちょっとは苦を倒せるのかと想ってます
あと、「人生のシナリオ」って説明がなんか素敵と想ってました。長くても短くてもその人生には最初から決まっていて全てに伝えたいことがあって生まれてくるってお話(ちょっと不安)はなんか嬉しかったっていうか妙に納得しました‼️

ありのままに生きる学校最高~✨✨✨
仏教学は2回受けましたが、1回目は聞き慣れない仏教用語にあまり理解できませんでしたが、2回目は自分に置き換えて話を聞くことができました。やっぱり2回受講は気づきや学びが膨らんで面白いです。
《人間の一生の長さは刹那》
この瞬間をどう生きるか? 
同じ時間は存在しない。 
この瞬間をどう生きる?
どんな顔で?どんな言葉を発する?
目の前の人を大切に、一瞬一瞬を大切に生きる❣️そして、その時、笑顔と言葉のプレゼントができれば最高だなと思い、そうなれるよう少しずつ近づきたいです。
ちょうど2日前の出来事で、最近体調が悪く、できないことが増えて、寝てばかりいた母が泣きながら携帯を見せてくれました。離れて住んでいる娘とのやりとりでした。私が知らないところで娘は母にメッセージを送ってくれていたのでした。『ばあちゃんはなんもできんって思っとうかもしれんけど、ばあちゃんはいるだけでいいとよ』『私が結婚するまで生きてよ』『自分が出来ることを少ーしずつ無理せずにやってください』母が頑張るからと返事をしたら、『頑張るんじゃなくて、それが日常になったらいいなぁっていう感じ』母は、こんなに私のことを想ってくれていてうれしいと涙いっぱいでした。そして『生きようと思った』と言ってくれ、二人で泣きました。娘は時々帰ってきては母の頬に触れ、笑顔で面白い顔をしてくれるそうです。目の前の人を大切に、一瞬一瞬大切に生きるということを娘から学びました。
《一切皆苦》
この世は全て苦でできている
全て自分の思い通りにならない
だから、想いを持たない
自分の人生に期待ではなく信頼する
まず自分をしよう
《仏教とアドラー心理学》
仏教は苦をどう対処していくか?
アドラー心理学は困難をどう乗り越えていくか?
仏教は実践を学んでる心理学
仏教とアドラー心理学の共通するところが面白くて、もう少しそこを深く学びたいです。
(三吉順子さん)

この講座が終わった後、般若心経の言葉の意味が知りたくなり本を読み返していました。
悟り・覚りの中で、心解脱・慧解脱に、興味をもちました。まだまだ、理解できたとは、言えませんが、覚りの中で、今まで学ばせてもらった天外さんの話で、本来は統合されていて、産まれた時にシャドー、ペルソナなど分離がはじまり、日常の出来事や、学びや、気づきの中で、本来の自分に戻る、シャドーを統合していくということなのかなと、感じました。
思い通りに、ならないことは、苦しか、うまれないのか⁉︎とか、色んな問いも、出てきています。
色即是空や、以前にあらじん塾で学んだ、ユングの集合無意識論など、色んな事が、まだまだ私の中に散らばっていますが、私の気づきや、タイミングの中で、つなげていきたいと、思いました!
しかし、奥が深く、想像したりと、おもしろいです。ありがとうございました( ◠‿◠ )
(森直子さん)

トン・シン・チ
三毒という話や、苦の真理・四諦の話など、初めて知る言語ばかりでした。これが自分の中に落とし込んでいくとどうなるんだろう!✨✨あらじん塾で学んだ時も、半年後に自分が「共同体感覚を実生活で感じています!」なんて素で言うようになるとは思ってもいませんでした。いまの学びも自分なりに反芻していくことが楽しみです
そんな中で自分の中でウワァ~✨✨っと感じたのは、「刹那」です✨✨刹那という言葉を初めて知りました。瞬間瞬間を大事にする、目の前の人を大切にする、そのためには笑顔で今はPresentの時間一瞬一瞬がプレゼントという言葉がめちゃくちゃ響きました✨✨
この学びが活きたエピソードがあるので報告します!
日曜日、ちーちゃんのチャレンジタイムのあと、講座を受けたい気持ちもありつつワクチン接種に従事しました。そのとき、10時の予約時間になっても来られない2人がいました。その2人が接種しないと薬液の保管上私達は昼休憩ができない状態でした。13時半にやっと来たその2人は漁業関係の人でした。長靴の作業着姿で、魚臭のする2人。両腕にキラキラの腕時計。俺たちは12時半までにノドグロを関西や関東に送らないといけないのに水産課のやつらが勝手にこの時間に入れやがったとめちゃくちゃ待機場所で怒っていました。統括の部長は正論を返していましたが、私と保健師の先輩は待ってもらっている間に2人で体調を伺いながら、そんな中来てくださってありがとうございます!無事に魚も発送されて、○○さんはワクチンを無事に打てて私達は本当に嬉しいです~!!とちょっとはたから見たら安いキャバ嬢みたいな対応でした❤️が、最後はジョーダンも交えたりできるようになり笑顔で帰っていただけました。コワイおっちゃん2人でしたが、おっちゃんに対して、この一瞬、プレゼントや~‼刹那刹那ーー!!という気持ちで必死でした(笑)学びはコワイおっちゃんから私を助けてくれました❤️(笑)
長くなりましたが、これからも学びを体験にかえていけたらと思います
(伊藤恵さん)

今回は1回目では仏教用語や漢字に頭がついていかない状態でしたが、アーカイブをもう一度見たことで、少しづつ頭に入ってきやすくなりました。
今迄の人生を振り返って、誤解言葉が口癖だったような気がします。家族をはじめ多くの人達に支えて頂いたおかげで今の自分がある事に感謝し、五福言葉を口癖にしていこうと思いました。
【人生は刹那】この言葉がとても響きました。未来の為にと、考えて行動しがちでしたが、【大切なのは今】朝活で千尋さんも仰っていたように、今に感謝し、味わい、楽しむをこれからの自分の生活スタイルにしていこうと思いました。この言葉を聞いた時に、学生の時、介護実習の最終日、入居されてる方々とお別れの挨拶をしていた時に、ある女性の入居者さんが、私の手を強く握り「今という時は二度とこないから、今を大事にね」と言ってくださった事を思い出しました。今、そして一瞬一瞬を大切にしていこうと思いました。そして、今目の前の人達に笑顔と五福言葉のプレゼントを意識していこうと思います。
(南部とも子さん)

1回目は途中から頭がパンク寸前でした。初めて知る事に興奮しつつ馴染みのない言葉だらけで、「苦=苦しみ」と捉え途中で苦しくなったからです。
2回目は「苦=思い通りにならないこと」を前提に話が聴けて1回目の復習になりました。
三毒、一切皆苦、諸行無常、自我と無我の話が印象的でした☺️
RASの機能が働いているせいか、仏教に関するキーワードを追うようになっています。仏教について痴の無関心でした。今は言葉を覚えたての子どものように、なぜ?に溢れて知るのが楽しいです。訳が分からなくなり混乱する過程も楽しいです。喜びが苦しみになる始まりを味わっている自分がいます。
ちょうど秋のお彼岸と重なったので、日常にある仏教を感じられる良い機会となりました✨畑や用水路側に咲く彼岸花、仏壇、仏花をまじまじと観察。合掌の意味を踏まえてお墓の前で手を合わせて感動する。祖母が朝早くから小豆を仕込んでぼたもちを作ってお供えしていたのを思い出して恋しくなる。お線香の香りが気になって調べて買い直す。
今見ている田んぼも空も私達も、細かく見れば様々な物の集合体で、全てが一瞬一瞬移り変わっているなんて、なんと儚く美しいんだろう✨と感じました。
職場でのトラブルを引きずっている時、これからどう生計立てようかと悩んでいる時、何となく過去未来に焦点を当てていれば、一瞬一瞬を見落としている。あれもこれも欲しいと欲にまみれて、いつの間にか期待して苦しみを生んでいるのは自分自身なんだなぁと、腑に落ちました。
そもそも無我なのだから無い物ねだりで悩む必要もない。周りの人によって自分は生かされているし、生きている限りすでに何かしらの共同体感覚の中にいる。だから大丈夫!まず、自分を信頼しようと気持ちが軽やかになりました✨そして笑顔と言葉のプレゼントを生活の中で意識していきたいです☺️
(阿部あさひさん)

前々から仏教に漠然とした興味があって、学んでみたいなぁ。と思っていたので、ありのままの学校で学ぶことが出来て幸せです
率直な感想は難しい~~
三毒のとんじんち…私たちの感覚が快だと感じることも一見良さそうだけど、貪に繋がる。快・不快どちらでもないのは痴に繋がる。しかし、愛と感謝の中庸で受け取ることができるようになると、「どちらでもない」が一番良くなる。普段の自分を振り返ると、快・不快に振り回されてるなぁ。って思いました。
四諦のとこは難しかったですただ四法印の「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」「一切皆苦」の響きが好きです✨四諦の中身をまだまだじっくり自分の中に落とし込みたい✨
難しかったけど楽しかったです
(清家奈緒さん)

新しい単語ばかりが溢れた一週間だった。脳みそがとっても喜んでいる感じがした。
かの有名なバンド「Nirvana」のアルバム「Never mind」を思い出していた。和訳すると『バンド名「涅槃」の作ったアルバム「気にすんな!」』っであることに気づいて半日くらいずっと可笑しかった。あのサウンドは「涅槃」なのか!!!???どんなにちっちゃくてくだらないようなことでも何か発見すると途端に新鮮になるから面白くて好き。
洋楽の曲でNirvana、Dhammapadaとか単語が出てくるものもあったなって思い出した。それから椎名林檎の「三毒史」ってアルバムを思い出して、それこそ「貪瞋痴」を扱っていて、いろいろ自分の中で触手が伸びていることに気づいた。
本屋さん滞在時間が爆発的に伸びた。いつまで居座って読み続けるんだ綾子。お経の種類も多いし(主に綾子の興味は「維摩経」)ひとくくりに「仏教」と言っても、「なんとなく仏教ってこういうのさね軽くいこうね」「仏陀ってそもそも誰やねん」「般若心経なぞりましょうよ!癒されましょうよ!」「〇〇経!その神髄!」「そもそも仏教とは!!!」「瞑想yeah」みたいにいろんな深度と角度で書物があるのが面白かった。雑誌もあった。かたっぱしから開いて遊んだ。
聖書の界隈にも立ち寄ってみたり、塗り絵本コーナーにある仏像塗り絵とかなぞり書きみたいなものをめくってみたりもした。日本がや宗教画の書籍をめくってみたりもした(画集は中身が見れなくてね~)
本屋をぐるぐるしながら「貪瞋痴」がいっぱいよぎった。
「いっぱいいろんな本を見てみたい!もっと知りたい!」って今のこの感じは純粋な「好奇心」「探求心」だろうか。奥の深い深い部分に「人より抜きんでたい」「誰にも負けたくない」「馬鹿だと思われたくない」「博識を装って一目おかれたい」「知識を占有したい(無理ゲーの極み)」「自分の持つ考え間違ってないと証明する記述を見つけたい」
いろいろ潜んでいる気がした。「潜んでいる気がする」とするととたんに「潜んでいる気がしてきて」しまい、後付けでいくらでも自分の「無我夢中」を貶めることも出来るのだなぁと思った。逆に華美に称える方向にもゆけるのだなぁと思うと、常にジャッジを怠らない自分と目が合う。
ある最中は時間も周りも存在しないかのように没入しているのに、ふとした瞬間に、それを恥じるような心が湧くなぁと感じた。「ふとした瞬間」って何なんだろう。いつ何時何故「ふと」するんだろう。
いつも何気なく通う本屋さんで、その日は膨大な本の数に圧倒されてしまった。一冊にどれくらいの人が関わっていて、この本屋のスペースにどれくらいの文字が今あるんだろうかって想像した。どれくらいの想いが詰まってるんだろうかって想像した。ある書物からある書物を見ればその主張は限りなく「貪」かもしれないし「瞋」かもしれないし「痴」かもしれない。想像しきれなくて目が点。
古典から人気作家から外国の書籍から実用書やら漫画やらゴシップからカレンダー(時期的に)まで、人類が何千年と続けている「貪瞋痴の結集」みたいなものがここに宿ってるのかもなぁと思いいたり「貪瞋痴」をどうこう滅却してやろうというより、むしろ身近な「貪瞋痴」に感動しまくった。セリフにするなら「なんだがわがんねがとりあえずありがてぇ」というような感じになった。
これだけ惜しみなくさらけ出してアウトプットしまくっている人類ヤヴァイって思った。
(原綾子さん)

今回もとても深い内容で、理解するのも受け容れるのも時間がかかりました。
けれど、この世の本質部分に少し触れられたような気がします。
仏教の根本真理の四法印
諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・一切皆苦
この「一切皆苦」という概念を受け容れるのに、最初抵抗を感じました。
人はそもそも存在しているだけで幸せなんだという考えと相反するような気がしたからです。
でも、「一切皆苦」は、この世の全てが苦という意味ではなくて、全てを自分の思い通りにしたいという執着心が苦に繋がるのだと解り、漸く腑に落とすことができました。苦という現象があるのではなく、ただ苦という捉え方があるだけ、心の問題なのですね。現象は全部ゼロとして、全く色がない状態で存在していて、それを自分がどう捉えるか。 
そうならば、捉え方次第で、
一切皆幸・一切皆感謝・一切皆愛に変わるんじゃないかとも思いました。
そのための四諦。苦を解決しさとりへ導く真理がある。
問題は同じ次元の意識では解決しない。そこにどれだけ向き合っても、さらに深みにはまっていく。それを問題だと捉えているから。より高い次元から見てみると、問題などなく、全てが愛と感謝だと解るように、苦と捉えていたものも、ありのままに正しく見てみれば、さとりへと繋がっていく。
その実践が道諦。八正道。
学んだその日から、私が実践していること。瞑想でエネルギーを整えた後、静かに合掌して心で感謝を伝えること。私をいつも護ってくださっている守護の存在、大切な仲間、家族、自分自身、宇宙や地球、全てに感謝の気持ちを伝えていく。最初は涙が溢れて止まらなくて、気がついたら3時間くらい経っていました。毎日続けていたら、もう手を合わせただけで、なんとも言えない幸せを感じるようになりました。あらじんさんにもみんなにも、ありがとうが溢れています☺
これからも、学んだことを一つずつ実践していきたいなと思います。ありがとうございます☺
(岡山理恵さん)

客観的に、今わたしが「仏教学』を学んでいること、学ばせてもらっていることにびっくりそして感謝です感謝。
最初のカラフルで可愛い絵を見ただけでテンション上がってわくわく。
五戒(誤解」言葉と五福(幸福)言葉
自分の発した言葉が人生を作る。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。[この自分の発する言葉が人生を作る]このことをみんなに知って欲しく、発信してます。
あらじんさん が仰られた『気づき』
あ!(ぽっ)自分が言ってると気づくことが大切❣️それでも、五戒言葉を言い続ける人達に、抱く感情は、なんなんだろう❓
一緒にいる今を大切に目の前の人に笑顔をプレゼント。五福言葉をプレゼント。でもこれは私が私に一番プレゼントしてるんだなぁ(^^;)
「今は神様から頂いたプレゼント』今がプレゼント素敵です❤️
そして『一切皆苦』この考えに驚きました❓何故?
以前小林正観さんがYouTubeでお話しされていました。『お釈迦さまの教えで、人の人生は、自分の思う通りに出来ることは何もない。全て縁起によって起きている。起きていることをどう捉えるか?で幸せになる』
今日メンバーさんをお誘いして断られました落ち込んだ私は渇愛なんですね!でも同時に支援が届きました。学びと身体と行動、気持ちが繋がってくると楽しいんだろうなって感じでいます。
ゆっくり少しずつ少しずつ楽しみます❤️よろしくお願いします。
(田中高子さん)

あらじんさん!大変わかりやすいプライベートのお話をありがとうございました❗️
おかげさまで、しばらくうちで行われている『おまえから素直になれよ合戦』(めざせ!思いやり)の関係を客観視することができました。
あらじんさんと、うちの旦那が重なって見えました。旦那だと(言い分が勝っちゃって)見えないことが、あらじんさんだとよく見えました。
あらじんさん!途中キレちゃったかもしんないけど、全然元奥さんのこと受け入れてくれてるーー‼️すごい‼️この懐を元奥さんは、あたりまえになっちゃって気がつかないんだなーーって。でもって、、、あーーー‼️私やん‼️でしたー。
ありがたい。
お話自体も、言葉は専門語かもしれないですが解説がわかりやすいので、毎日生活してやっていることと重なり、夢中で聴いてました❗️面白かった~~『十二縁起』めちゃくちゃ興味あります‼️
どこの場でも共同体感覚で生きたい。
味わって、滅諦ですわーー
(梶野和美さん)

頭がなかなかついていけず、何度も見直しています。今回もありがとうございます。
五戒言葉
言わないように気をつけ始めて1年ちょっと経っていましたが、あらじんさんの話を聴いて自分の何気ない言葉にハッとしました。独り言で言ってたー子どもの出したものを片付けている時に言ってた!やっていないつもりでもやっているんですね。改めて気をつけていきたいと思いました。
刹那
「人間の一生の長さは刹那」0.013秒とは短い!そう思うと、本当に一瞬。この一瞬一瞬を大切にしていきたいと本当に思いました。「今を大切にしていこう」と、今までも思っていましたが数字化されて改めて「今」という時間を考えることができました。
悟り、覚り
「渇愛を滅する、コントロールする」これは難しい!頭でわかっていてもなかなか出来ない

となると、八正道の実践。ここ、詳しく聴きたくなりました。今すぐできなくても、少しずつでもコントロール出来る様に今出来ることをやっていこうと思いました。小林正観さんの「いどお」も忘れないようにインプットです。
「この世は全て苦」と考えると、思い通りにいかないことがあっても「当たり前だよね」と考え、気持ちが揺さぶられることは少なくなるのかなと思いました。ということは、やはり全てを受け入れるということに繋がるのか?などと考えたりしました。
(山谷真予さん)

平田弥生です。
仏教、奥深いんだろうなと思ってましたが思った以上に深くて難しかったです
でも、母の実家が浄土宗のお寺で仏教や般若心経には小さい頃から身近にあったんですが、深掘りしたことなかったので、すごく興味があって難しいなりにも色々知れて嬉しかったです❣️
お経だと難なくスッと聞いたりして入ってきやすいのに1つ1つの言葉にすると難しい。
でも当たり前だけど1つ1つに意味があるのを知れてゆっくりお経を読みたいと思いました。
そして三毒と快・不快・どちらでもないのところは人間そのものだなと思いました。
またゆっくり動画見て復習したいです。ありがとうございました

前回の講座から、アドラー心理学とリンクしたことが無茶苦茶嬉しかったです腑に落ちました。
第四講座とも繋がるけれど、やはり共同体という存在が有り難く感じました。
だから、自分が存在して居られるんだと、感じました。最初に人生は全て苦だらけというお話があったときに、自分の中に出てきたのは、想大と過ごしたあの生きた心地のしない日々、、、でも、困難(課題)を乗り越えていく集諦とライフタスク。これにより、さらに苦になる話は、確かに!!!と、面白かったです!
ただ、生きた心地がしなかったあの時に感じて居たのは、集諦ではなく、滅諦、涅槃寂静だったなと改めて思いました。不思議な感覚でした。チャレンジタイムでは「受け止めるということ」という言葉で表現していましたが、欲が無くなると、幸せだったんだなと改めて思い返しました。
無事である。無であるということは、有難い限りです。
(櫻井千尋さん)

第2回「ありのまま笑育学」のはじまり follow up

今日私の心に響いた言葉
海の外に出て、初めて海に気づく。
イラストが残って思い出しやすいです。
今目の前にあるもの 目の前にいる人大切にできる人でありたい。
思い通りにしようとするのではなく、相手に期待しすぎず、受け入れる。
淡々と。
淡々とが響きました。
淡々と このワードを意識したいです。
蓮の花
みんなそれぞれ色々あって、それがその人にしかない輝きになるんだなーと思いました。
そうしたら、自分の人生も愛おしく感じました。必要な経験なんだなーと。
子供達から学ぶことが多く、私の人間観は娘が教えてくれた言葉なんです。
助けてほしい時に助けてーって言える。助けてほしい人がいたら助けてあげる。
助け合いながら自分らしく発揮すること。
娘に教えてもらった言葉を思い出す時間でした〜。
淡々と受け入れるを意識して過ごします。
(野澤かなえさん)

かなえちゃんの読んじゃったから、こころの色がまた変わった♡笑
今日の心に残ったこと
❤️共同体感覚が高まるとー!他の共同体でも大好きなありのままの自分でいられて、大好きな自分の出現率があがる→ほんま、それな!と体感してるよ。
❤️わたしは仏さまだったことー!
煩悩と悟りは一緒にある!花果同時いっつも小さい時から南無妙法蓮華経って言ってきたから、そんな意味だったのかー!って。この年齢になってキャッチできて嬉しかった。
❤️そう、淡々と!→これはかなえちゃんのシェア読んじゃったから
大好きこのことば。淡々と。あるがまま、淡々と。
❤️ちーこちゃんちのワンちゃんがかわいかった!
(山本由起さん)

自分を信じるため、他者におびえず、嫌われる勇気を持ち、自分軸で生きること。自分を好きになる勇気を持つ。これは衝撃で、実践中。私が自分で起こした行動で、大切な友人を一気に二人失いました。
貴方からわざと離れたことに、気づけたことは成長ですねと、お返事をいただけたこと、気づきをいただけたこと、これも、お互いの嫌われる勇気であり、最高のアイメッセージを頂けたのかなとやっと思うことができました。今私楽しいって。
私は、今日目の前の人を全力で大切にする。念を込めて、今ここを生きる。実践したいです。
ありがとうございました✨✨
(畠山由香理さん)

魚と釣り人の絵、話がすごくわかりやすかったです。今、幸せの真っ只中にいる。海(幸せ)から出て初めて、海(幸せ)がわかる。誰かの言っていること、誰かの姿を羨ましがったりすることで、それに気づかない。もしくは、自分が幸せや恵まれた環境にいることに気づかないんだなあと思いました。幸せはなるものではなく気づくもの。今幸せだということに気づけばいい。小林正観さんの呼吸をしているだけで幸せもわかりやすかったです。
今が幸せってわかって初めて夢が出てくる。いつも、今幸せでないから夢を探そうとしていたので衝撃でした。夢のスタート地点を不幸にしておくと不幸を引き寄せてくる。夢のスタート地点を幸せに置くと幸せを引き寄せてくる。
日常に幸せだって気づくところから夢をスタートすれば良い。そのために今に最善、全力で楽しむ。今が幸せだから今にワクワク、現実にワクワクする。そうすると夢が実現していく。
時間軸は今しか存在しない。明日と言う日は永遠に来ない。今を大事に心を込めて生きていくんだ。念と言う字がそれを表している。今、目の前にいる人、目の前のことを全力で大切にする。人生はそれだけ。それだけで夢が叶っていく。
笑うという事はありのままに受け入れること。人は生まれながらにして全部持ってきている。それを引き出すのが教育。笑うことで、ありのままに受け入れられることで子どもは自ら育っていく。
仏教は知慧と慈悲
智慧とは物の見方で、つまり感謝につながる。どういう風に物事を捉えたら幸せになるか?感謝で捉える。
慈悲とは愛。
四摂法
布施とは与えること、笑顔が一番
愛語 言葉が大事
神様は言った言葉をこの人はこうなりたいんだと全力で協力し、実現化してしまう。だから、不平不満文句愚痴泣き言ではなく、うれしい楽しい幸せついてる大好き口に出す。
人間の悩み苦しみ、思い通りにしたいが原因。だから受け入れる。受け入れることを高めていき感謝できる人間になる。つまり笑うと言うこと。
当たり前と思うと感謝ができないので、これって当たり前じゃないよねと受け入れる訓練、笑顔になることで感謝力が高まる。
目の前にいる嫌な人も自分を成長させてくれる人と捉えることでこの人もプラスを与えている。腹立つこともあるけれど半分はプラス。だから淡々と受け入れ、感謝する。
お釈迦様は蓮の花の上に座っている。蓮の花は泥の中で咲く。辛いこと、悲しいこと、これがあるからこそ人の人生は支えていくと言うこと。
煩悩がなければ悟れない。煩悩を持っていても悟ることができる。この言葉には救われます。
劣等感と言う言葉はアドラーが初めて使った。劣等感とは理想像(未来)と現在の自分とのギャップ。昨日の自分と比べるのではなく、なりたい自分と比べると良い。
自分の中にもたくさんの人格がある。どこの共同体にいるかで違う。自分らしくいられる、大好きな自分でいられる共同体感覚を広げていく。
最近、ちょうどひすいさんの話をよく聞いています。小児病棟の子どもの夢はみんなと学校に行くこと、お父さんお母さんとラーメン屋に行くこと、明日も生きること。昨日と同じ今日がどれだけ幸せか。何もない日常が幸せ。幸せのハードルが下がったときに、視点が上がり、上昇気流に乗る。自分の体勢が下がるとエネルギーも水と同じで下に送られるので、受け取ることができる。つまり誰からも学べる。そんな話とリンクしてとてもまなびが深まりました。
アドラーについてはあまりわかっていないので楽しみです。
(清水大輔さん)

今、目の前の事を大切にする
智慧!
現実をありのままに捉える力
八正道・四摂法
笑育20の法則を見直しました。
今週は、色んなシェアや自分の目の前の方の話や行動をみて、考えさせられることが、たくさんありました。ちゃんと、自分の声を聞けているのか、自分が根底に思っている事は、なんなのか、その根底の意識から、何が見えているのか。何を求めているのか。
子どもも、大人も、仲良しでも、知らない人でも、関わらせてもらえる現実があり、捉える自分がいる。
目に見える事、感じた事は、全て尊くて、人間だもの、醜いも、情けないも、傲慢も、愉しいも、悲しいも、幸せも、振り幅は、あります。
でも、悪いことじゃない。それも、自分だから。
私も、どんな自分も私の最大限で、自分の味方であり、自分の体感に感謝します。
今は、自分の感情を言葉にする練習を人体実験しています。感情に至るまでの時間をゆっくりにしてみたら、自分の意識にたどり着き、対消滅となっていく体感もありました。
すでに、愛と感謝の世界にはいるから、その滞在時間を大好きな自分とたくさん出会う時間にしていこうと、思いました。
いや〜ありのまま!最高!!
(森直子さん)

10日間自宅療養で過ごしていた事をいろいろ考えた。
体がしんどい間は何もできなくて、ひたすら寝ている事しかできなかった。
それでも仕事を休むための会社への連絡、代わりのインストラクターの手配など最低限のことはできたことに満足とこれくらいしか自分の役割りはないことを知る。
体調が回復するにつれ時間を持て余し、動画をみたりテレビをみたりダラダラしている事に罪悪感みたいな気持ちや何かしなくてはという脅迫観念も出てきた。
寝てること何なくていいことが幸せ〜という時間もあったのに面白い。
病気をしてみて、健康は当たり前ではないこと、仕事ができる、ご飯が美味しく食べれること、家族が元気なことが幸せである事なんかはありがたいことだと思った。
声をかけてくれた友達もいて嬉しかった。
(永尾千里さん)

❤️1番嬉しかった言葉❤️
✨煩悩即菩提✨
煩悩はあって良いんだぁ。
○魚の話みたいに呼吸できるだけで幸せ。すべてが当たり前ではない日常。日々の今ココのすべてが奇跡なんだと思ったら、今ココにいることに感謝だなぁ✨
○言霊ってのを私は結構意識していたから、五戒言葉はあまり言わないようにしてきたんだけど、でもそれを出さなかった事がいけなかったような気もしたり…。これはどう吐き出したら良いのかぁ?吐き出さずに飲み込む??解釈を変える??愛と感謝があれば五戒にならない??
○共同体感覚を一つの場所で味わうと、他の共同体でも出現率が上がるというのは嬉しい早くそうなりたぁい
(清家奈緒さん)

魚釣りの絵めちゃくちゃわかりやすくて書いて記憶しました。
蓮の華の話が真水では咲かないという話。患者さんと仏の心の話をすると皆んな「煩悩を捨てられない」「欲の塊」と口々に言っているのを思い出しましたそして、一人で納得。そりゃそうだよな。お釈迦様の言い伝えだとしてもお釈迦様が煩悩を持つ持ち主だからこそ、そこから唱えられるんよな〜経験してなかったら、民に響く言葉は掛けられんよな〜みんな、それでいいんだなぁ〜って、一人で、思ってお釈迦様を好きになりました笑笑
患者さんや皆さんが言う「煩悩を捨てる」というのは、「思いを持たない」という所なのかもしれないけど消してそれだけではなく、そこには、相手を信じる。期待ではなく信頼関係があるという事。その煩悩を捨てる。思いを持たないだけでなく、信じると言う愛と感謝の状態にも、やっぱりそれなんだなぁ〜と思えました。
それから講座からの二日。やっぱり患者さんと仏の話をするけど、「煩悩を捨てられない」と言われると、「それでいいんですよ」と言えるようになった自分に、学びを楽しんでるなと、水曜日に感謝しました
無駄な学びなど一つもないと言う所
アドラー心理学の劣等感と天外さんの言う、自己否定感これも、貢献したいと思うからそう思うんだというあらじんさんの解説めっちゃ納得しました。スッキリ!!!
そして、アドラー心理学とお釈迦様が伝えたかったこと。4ページの下の部分だったり、NLPの言葉達だったり、めちゃくちゃ個人的に好きですわ〜笑笑
本当に毎度神回!!!有難うございます!!!
(櫻井千尋さん)

職場で素敵なファイルを見つけました✨
みんなが見えるところに貼りました。
✨幸せの宇宙構造✨
幸せを求めている間は幸せを感じない。幸せの本質は今の幸せに気づくこと。何もない日々が最高の幸せなんだ。
つい〇〇だから幸せだと思ってしまうけど、当たり前の日常にありがとうがいっぱいあるんだなあとあらためて感じました。
正観さんの呼吸をしているだけでありがたい❣️
それは考えたことがなくて、息ってどれだけ止めれるのだろうと息を止めてみました。私は1分5秒で苦しくなりました。私が日々何気なく過ごしていても私の体は苦しくないように呼吸してくれてるんだな〜ありがたいな〜って思いました。
うみはひろいな大きいな〜魚が食えばうきしずむ〜(笑)
これから『うみ』の歌をきくと、あらじんさんの歌声といっしょに神に釣り上げられた私のイラストを思い出しそうですそしたら、今私は幸せなんだなあと今の幸せを味わいます。
✨人生はシンプル✨
今を大事に心を込めて生きる=念を込めて生きる(今の心と書いて念)
目の前の人を大切にしていく。目の前にあることを大事にしていく
時間軸は今しか存在しないときいて、今の心の状態が未来をつくるのはそういうことかとストンと落ちました。
あらじんさんが言ってる『今笑え❣️』もつながってる〜
じゃあ、目の前の人を大切にすることですぐできることは?
それは『笑う』こと、シンプルだ❣️って思いました。何か特別なことでなくてもいい、ただ笑うだけで、目の前の人を大切にしてるんだって思えました。
娘が小さい時にペンションに泊まりに行ったことがあり、そこの大家さんから数日後に、娘の名前でお礼のハガキが届きました。ハガキには、『あなたの笑顔は100万ドルね』『また会いにきてね』と書かれていたのを思い出しました。20歳になる娘の笑顔は今も100万ドルです。私は今も大切にされてるんだぁ。娘よありがとう❤️
それから、蓮の花は泥水の中で育ち、真水では育たない話も初めて聞きました。
悩み苦しみがあったからこそ、きれいな花が咲くときき、辛いことや困難なことは人生を豊かにするためなんだなって思えました。
2講座もめちゃくちゃ面白くて、あっという間の4時間半でした(笑笑)ありがとうございました。
(三吉順子さん)

今回の講義にあった、「今に心をこめて生きる」⇔「念をこめる」というワード、私にメッチャ❣️クリティカルヒット!!しました!!✨✨✨
「笑う環境さえつくれば勝手に育つ」というワードもめちゃくちゃヒットしました!!
いま、就学審議のチームの一員でいろんな学校に審議対象になった子どもさんを見に行かせてもらっています。
これがめちゃくちゃ楽しくて、勉強になります❣️❣️
普段は未就学児をみることが多いのですが、小学校に行くことも増えて感じたことがひとつあります。
小学生さんたちの笑顔が少ない
小学校の先生の笑顔も少ない
理科とか星の観察でめちゃくちゃ楽しい内容なのに固い空気
逆ににこやかな雰囲気のクラスは高学年でもバンバン手があがってめちゃくちゃいい空気でした✨
マジメさ、とか、ある程度の緊張感とか、そこから得られるものもあるとは思いますが、やはり笑顔の大事さを痛感しました。
ありのままに生きる学校の学びをもっていると本来大切にしたい人としてのあり方みたいな、視点がかわっていきます✨✨学びにめちゃくちゃありがたみを感じた瞬間でした✨✨
(伊藤恵さん)

■夢は探すものではなく湧いてくるもの
湧いてくるものという表現と同時に、『思い出すもの』であるのかなと聴いていて感じました。
きっと子どものことは誰だって胸が躍るものがあって。
やりたい!やりたい!があったはずで、それが湧いてくる魂の声で。
それが満たされたときに命の喜びを感じていたと思う。
それを大人になっていく中で「気づかないようになる」というのが事実で、存在はしているけど目を向けたり、その気持を手で掬おうとしないから気が付かない。
自分を好きになって他人を信じることができると、この夢という湧き水・聖水・源泉を感じるようになる。
だからわくわくする夢を見つける前に、
「自分大好き」「今幸せ!」を前提にすることが、エネルギーに逆らわない生き方なのではないかと感じました
■今日起きたら、今日
脳科学を学んでいても脳が高機能がゆえに、未来にいったり過去にいったり、その繰り返しで、今にフォーカスしている時間が削られてきているような気がします。
デジタル情報革命は自分たちの生活や知識量をあげることに貢献したけど同時にいまを生きる時間を奪っていったように思う。情報が絶え間なく流れてくるから、情報1つ1つに一喜一憂させられる。情報1つ1つを無意識の層でジャッジする。ジャッジするごとに疲れる。
無人島で2日間過ごしたときに時計を見ない。スマホを見ない。という生活をしたときはただ、景色を感じるし風を感じるし、生きてることへの感謝が湧いてくるし、新鮮な感覚でした。同時に空腹の苦しみもかゆみの不快感も日光への嫌悪も倍増したけど笑
ただ未来にも過去でもなくいま生きるに集中できていたことは事実で貴重な経験でした。
すべての過去はいまのために存在していて、いまの喜びが未来の振動につながっているということを頭では理解しようとしながらたまに過去と未来に振り回せながらも受け入れて生きていこうと思えました✨
■「蓮」日蓮宗=煩悩は持っていてもいいんだよ
蓮の花言葉の中に「救済」という言葉がある。
時代背景を少し調べてみたら日蓮宗は鎌倉で登場した庶民向けの仏教であることがわかった。当時は庶民に敷居がめちゃめちゃ高かった仏教をわかりやすく伝えたのが鎌倉仏教らしいですが
前期:法然「阿弥陀仏を唱えれば救われます」
中期:親鸞「阿弥陀仏信じれば救われます」
後期:一遍「踊りながらとなれば救われます」
と、庶民にわかりやすい超シンプルな伝え方を続けて、勢力を持ってきたところが面白くて、これやればOKという安易で一神教的な性格だったのに対して出たのが日蓮宗。
ここすごいおもろかったのが、浄土宗の阿弥陀仏を信じればOKに対して、日蓮宗は妙法蓮華経という経典を信じて行えば救われる。という点でした。
ただ信じるのではなく、バイブルを信じて生きることを重視したところから過程を大切にしている特性を感じて、生きる過程には煩悩もあるよねということも広げて解釈しました。
美しい花だけを信じて救われようとするのではなく、美しさに触れるまでの過程=妙法蓮華経という経典が大事だ、=泥のような煩悩も美しさに必要なんだぜっていうメッセージを勝手に感じます。
自分で書いていてカオスになってきておりますが要は煩悩OKわがままOKで生きていこうと思いました。
●学びのメモ書き
・夢は探すものではなく湧いてくるもの
・今、幸せ!を前提に夢をおいかけよう
・愛と感謝が夢をおいかける生き方
・今、幸せ!ここがポイント
・「今日寝て起きたら、今日」(小林正観さん)
・念を込めて生きるとは今に心を込める生き方
・ただ目の前のことを。ただ目の前の人を。
・笑うとは受け入れること
・教えるではなく引き出すが真の教育
・全ての行動には肯定的な意図がある
・子どもはいいたいことをどんどんいう時にわがままも言ってよいかどうかをジャッジしていない
・布施とは惜しみなく与えること
・愛語とは優しい言葉をかけること
・うたしの法則(嬉しい・楽しい・幸せ)
・利行とは見返りを求めないこと(SBTでいう他喜力)
・蓮の花・日蓮宗=煩悩は持っていいんだよ
・汚泥不染。泥から咲く花なのに一切泥がつかない
・悟りと煩悩は同居している
・人生とは共同体感覚の最大化である(幸せの3条件を内包)
(増田篤紀さん)

はすの花の話がすごく面白かった。仏画はいつもきれいだなぁって思うし、曼陀羅も綺麗だなぁって思うけど、描かれているものの意味とか謂われにまで想いを馳せたことがなかったから新しい興味に出会った。
これだけ長いこと人々がよりどころにしてきたものなんだし、昔は字を読める人も少なかったわけだし、そう思うと、それぞれの絵のパーツに意図があってもいいはずだよな!と思い至った。
現代の情報過多のことをすごく考えていた。オンラインでいろいろ学べるし、人との交流も出来る。分からなければグーグル教授に尋ねられる。いつでもどこでもすぐ調べられる。それらしい答えはそこかしこに転がっている。
でもそのどれもが「それらしい」だけのような気がしてきてしまった。一人で静かに自分自身と対話する時間がどれくらいあるだろうかと思った。
本当に目の前の人と事柄だけに集中して、世界が「きみとぼく」くらいの規模で日々を過ごしているかしら、と思った。
目の前の人の言動が気に障ってしまって同じ憤りを持つ人々が世界にいるはず、とググる。綺麗な景色を見て、全身で浴びるより先に、スマホ片手に映えアングルを模索する。カメラ越しの平らな奥行きしか見ていない。空を見て何か思うより先に「布団干せるかな今日」って、天気予報にアクセスする。空気を嗅いで、毎日違う空間の水分量を五感で味わうことはもう忘れてしまっている。旦那さんと話しをしながら、予定の整理が追い付いていないことを思い出してイライラする。
あれもこれも、持ちすぎて、結局何も持っていないような感覚になっていつも焦っている。
「何も持っていない」という感覚を「ありありと持っている」
うん。だから綾子は、既にいっぱい持っているんだなぁと結局いつも思う。「無い」は「無いっていう何かが有る」のだよなぁと感じる。
そんでごにょごにょ考えあぐねた結果、最終的には、誰が菩薩でも菩薩でなくてもいいんじゃないかって思った。自分たちが少し知識があるから、勉強してるから、「みたいな自分たちは高尚な学びをしていて優れてる」とかいうのはすごく妙な感じがした。むしろ「学んでる」って言っている輩の方が「優越の錯覚」みたいなものを起こして混線させてるような気さえしてきた。
綾子は日々、ちゃくちゃくと知識で太っているのだなって思った(この間のさなぎじゃないけど)。得たものをただ単に自己防衛に使っていないかしらと思った。説得・論破・操作・逃亡・攪乱。知識や情報が増えると、自分の中のいろんなものが見えるようになるようで、見えたのもを隠すのも上手くなる。
そして饒舌にモノが言えて逃げおおせたと思うと、それがそのまま自分自身の隠蔽希望部分を見事に周りに語りつくしていることでもあるんだなって思う。
レンコンからここまで考えた俺はすごいってなったのでもう頭が限界みたいなので終わります。
(原綾子さん)

田中高子です(^^)ありがとうございます。
新しい言葉、新しい情報にワクワク(きらら)な時間でした。
今回は、「受け入れる」
受け入れるって⁇
人間は、生まれながらに必要なものを全て持って生まれてきている。
できることは、その持っているものを引き出すサポートをすること。
引き出す⁇ 引き出せる環境作り⁇ どうしたら良いのか?
みんなベストを尽くしている。 なら信頼して受け入れる(^^)
思い通りにしたい?
自分の思い通りの雰囲気、相手の状態、反応じゃないことに不満(不満)負けそうになる。
そう思うことをやめて受け入れる(^^)
受け入れる=笑うこと(^^)笑顔
明るい雰囲気作り(^^)
やっぱり笑うこと
ありがとうと愛してる
ありのままの笑育学
これからのわたし。
今、目の前の人と一緒に笑う
楽しみに学び、実践していきます❤️❤️❤️ 皆さま、よろしくおねがいします。

ひらたじゅんいち㊗大阪 です!
気になったことがいっぱいあった講座でした。
幸せって、苦しいことを経験してから感じるもの。今、幸せにいることをわからない。極論、呼吸しているだけで幸せってところ。朝起きて生きていることを確認できた時点で幸せって感じて日々過ぎします。
夢を持つ=今が不満。夢も希望もない暮らしは、今が最幸ってこと。夢を持つにしてもここがスタートにしないと、未来も変わらない。
軸を今に置いて、「今、出逢う人・笑顔を大切にする」「今、目の前にあることを一笑懸命に取り組む」「今、最幸の人生がある」って志で生きていけば、頼まれ事が与えられる。それが「お志事」っていう。(この理解でよかったですか?)ここが一番しびれた箇所です。
一番念を込めて生きる!は、今、心がここにあるってこと。今を大切にする重要性を再認識できました。
五福言葉をほめる時に使うことを実践していきたいと強く思いました。職場の先輩(高校のクラブの先輩でもある)は、五戒言葉を使う達人でして、学んでからは減らすように注意する介入をしているのですが、全く変わりません。本当に一緒にいたくないです。
本当に今を大切に生きる大切さを感じました。笑顔満載で過ごします。般若心教と天命追求型の本をポチったのでさらに深めていきます。

平田弥生です
今を大事に、大切に!!
「今」を軸におく!!
未来ではなく今にワクワクする!!
今までは何となく将来の為、未来の為、夢の為にー!!って先の事に重きをおいてた気がしました。
今に幸せがあることを感じて今が最善だと思う事で、何か肩の力が抜けた感じがしました。
今、家族で笑って、仲間と一緒に学べて、本当に幸せだな~最高だな~ってつくづく思いました
そしてお釈迦様の蓮のお話は初めて聞く事だらけでした。お釈迦様が蓮の上におられるのは知っていたのですが、何故か?なんて深掘りもした事なかったので、すごく楽しい学びでした。
久々にお寺に行きたくなりました。蓮根も食べたいな。今日の献立に蓮根のきんぴら加えます
次回の第3講座も楽しみにしております❣️週1(週2?)皆さんに会えるのが今、本当に幸せです

秋分の日に向けて、まだまだ奥でくすぶっていた感情が炙り出されて、自己否定感や無価値感の波にのまれて、自力で顔をあげるんだけれど、またすぐに引き戻され、、、を繰り返していました。
もう自分ではどうすることもできなくて、ただ目の前のことを大切に、毎日を丁寧に生きて、湧いてくる感情を全部受け容れていきました。『思いを持つことで、思い通りにしたいという執着が生まれ、悩み苦しみになる。だから思いを持たずに現状を全て受け容れる。』そう学びました。
でも、今は出てくる思いも、本当はこうありたいという望みも、それも含めて全部否定しないで受け容れてあげたいと思いました。煩悩だってなんだって、私から出てくるものは、全て愛で受けとめてあげたいと。
コントロールを手放して宇宙に委ねる。大いなる宇宙に生かされているのだからという思い。それと同時に、私自身が宇宙の源のエネルギーなら、全てを生み出す創造主として、私の人生に何を望んでもいいよって。それは、私には力があるのだからという傲慢さではなくて、そもそも愛と感謝の存在なんだよ、その視点から創造していけるんだよっていう、今この瞬間の私自身を信頼するみたいな感覚。そこには執着も生まれない。
笑うこと
受け容れること
愛と感謝
ありのまま
全部つながる。
やっぱり本質はひとつなんだ。
宇宙と自分自身への信頼感と絆を取り戻したら、常に愛され護られていることへの感謝が溢れてきて、今度は浄化の涙で大変でした(泣)
3キロ痩せた(うそ)デトックス完了して、また心が軽くなった感じです。
(できれば次はもっと優しく気づきを与えてください)
ありのままの学校はやっぱり学びが深いです。これからも日々実践していきたいと思います☺
ありがとうございました✨
(岡山理恵さん)

知原裕生✨
#初投稿です…
《釣り人と魚の図を見て》
僕の場合は、難病という出来事が倖せの海にいた事を教えてくれました。
好きな物が食べられる。運動が出来る。スケートボードが出来る。志事が出来る。
全てがさも当たり前かのように感じ、感謝なんてしていませんでした。当たり前って当たり前じゃない。
倖せってなるものではなく、氣付くものなんだ。どんな状況でも出来る事はめちゃくちゃあるよ。
それを教えてくれた難病です✨僕にとっては最高のギフトです✨
僕の倖せの定義
生きている実感を味わう=その瞬間を味わう
むとうさんの瞑想講座でも教えて貰ったのですが、日々思考や感情に溺れて感じている事の感覚事を味わえていない事が多い…でも、その瞬間の感覚を味わうと自分が生きている事を実感し、感動、感謝が勝手に溢れてくる。涙が勝手にあふれてくる。その感覚がめちゃくちゃ倖せ✨
《人間感・子ども感》
僕の想う人間感
・相手を100%理解する事は出来ない
・人は常に最高、最適、最善の生き方をしている
子ども感
・やりたい事をやりたい時にやるという心の素直さ
・やりたいからやる(理由はいらない)
自分の子ども時代を想い出して考えてみました。
《布施の話を聴いて》
笑顔は社会貢献 by 福島先生
表情は人と為にある by 大久保寛司さん
を想い出しました。講座中は自分の学びとリンクする事が多く、話を聴いては「これはあの本に書いてあったな」→興奮して本を探す→話を聴けない…のループによくハマります…
#話を聴け
実践している事
・朝の挨拶を笑顔でする。
・頼まれ事は笑顔で対応する。
笑顔は雰囲氣を良くする力があると実感しています。
《感謝について》
最近、会社の仲間に有り難うと伝える事が増えました。何氣ない事も有り難うと伝えます。 
すると、会社の門が閉まっているのを見て、閉めてくれたんだ~と興奮✨セキュリティがかかっていると、かけてくれたんだ~と興奮✨手洗い場が汚れていると、自分が帰った後も志事をしてくれてたんだ~と興奮✨するようになりました。
一方で、後輩(この呼び方は好きではないですが)に有り難うを伝える時は、相手をコントロールしようとしている自分もいます。想い通りに動いて欲しいから、有り難うを手段として使っているな~と感じました。日々在り方を教えてくれる仲間に感謝しながら、生きて生きます。
《嫌われる勇氣》
自分を好きになる勇氣を持つ事、という理解をしていなかったので、めちゃくちゃ参考になりました。意味を深めて生きます。
《劣等感について》
ギャップを埋める為の手段として、克服型の%完全への努力・優越ての努力」とありましたが、「努力」という言葉に違和感があります。努力というと、「~しなければならない」という脅迫観念や不安や恐れからの行動に想えるからです。本当に埋めたかったら、努力という感覚ではなく、「やりたくてやりたくて仕方がない‼️」「愉しくてたまらない‼️」という感覚になるのではないか?と想いました。
僕の努力の定義
「やりたくない事をやる時にするもの」
現場からは以上で~す

①恒に今に幸せがあり、今を全力で生きると今にワクワクする。今しかコントロールできない。
これ、刺さりました。こんな人生になったら、本当にワクワクだ〜と思いました!今目の前にある幸せを感じ、目の前のこと、目の前の人を大切にしていきたいと本当に思いました。ありがとうございます。
②人間観、子ども観
人間観は、悩んだり怒ったり、喜んだり、泣いたり、もがいたりしながら自分らしく生きる感じ。でも、それは大人になるとストレートに表現できない時に苦しくなるし、迷宮に入っちゃう感じ。子どもは大人よりもストレートな印象。
あらじんさんの「人間は自由を保証され、ありのままに全てを受け容れられた時、他人に迷惑をかけたり、わがままになるのではなく、他人に貢献できるような最高の自分を発揮する。」が新たな気づきでした。まさしく、今長男がそれに近い感じだなと思いました。長男の気持ちを優先して「やりたいことをやったらいいよ」と言うことにしました。それまでは、「働かないとならないんじゃない?」(現在無職)と周りからかなり言われていたし、私も言っていた時期がありました。そして今、やりたいことが見つかり、それに向かって楽しそうです。そうしたら行動が変わってきたんです。今までは、私にとっては「迷惑」な事ばかりでしたが、最近はボランティア活動に参加したり、ゴミステーションの掃除をしていたり、こんなことあるのかなという感じです。
③人間の苦しみはどこから来るのか
当たり前を止める→受け入れる(笑顔)→感謝
この話を先日あらじんさんからコメントをもらい、「自分がどう生きるのか」だということに気づき、すっかり気分が晴れました。ありがとうございました!
嫌われる勇気=自分を好きになる勇気
自分軸=自分がありのままでいる
もっと自分を好きになるようにしていきたいと思いました。
(山谷真予さん)

今回は特に正観さんのお話がとても響きました。
【どんな状況の人でも、生きてそこに居るだけだ存在価値がある】という言葉はとても心に響きました。常に私は周りの人と比べては、劣等感を感じてしまってまい、そんな自分をダメだなと思い受け入れる事も出来ずにいました。だからか、特に同僚に対して、嫌な面が、わかってしまうと、どんどん距離をおこうとしてしまう事もよくありました。比べる事をせず、どんな自分も受け入れて、愛と感謝と、笑顔を忘れずに行こうと思いました。
【自分はいつも何もやっていない】と私もそう思ってしまってました。いつもやっている家事全般は、お母さんだからやって当たり前と自分の中でルール化してしまってました。自分も、娘も、精一杯やっている事を認めていこうと思いました。
【今という時間を集中、丁寧に今目の前の事に幸せを感じる】朝活部などで双雲さんからも聞いていて分かっていたつもりでしたか、気がつくと、「〇〇しなきゃ」とマスト感情でながら行動なってる事に気がつきました。ご飯食べながら、撮り溜めたドラマをみたり、テレビ見ながらスマホを見たり等してきましたが、今やりたいと思うことを一つ一つ丁寧に味わい楽しもうと思いました。
どんな自分もまずは受け入れて、笑顔と愛と感謝のエネルギーで行こうと思いました。
(南部とも子さん)

何度も書き直して言語化できなくて止まる…講座後感じた事と日数が経ってから感じる事は変化しますね。
悩みに時間を費やせるのも贅沢なことでした。
おととい蛙を見て感じました。風呂場の灯りに寄ってきた小さい虫を狙って、蛙が窓にへばりつくんです。蛙嫌いで普段は無視。でも何故か目を離せなくて観察していました。
「蛙も食べ物を得て今命を繋いでる。蛙も人間もたどれば同じ自然宇宙の一部。今この瞬間を共に生きている」と蛙を愛しく思えて感動しました。
今自然界の絶妙なバランスで存在してるのだから、今すでに幸せ。人間として生まれたから悩み苦しめる。悩みをもてるのもありがたいこと。あるのを受け容れる。場数を踏む。と切り替えられました
後世の人達がお釈迦様を神格化していたように、私も相手を理解しようとする前に、期待と思い込み一方的な解釈等で勝手なイメージ像を作っていると気づきました。救いを求めている時は、誰かを神格化していました。ミュージシャンやメンター等。普段直接関わる相手でないから、一方的に憧れ尊敬して味方としている存在になる。その人達の言葉や歌詞を都合よく解釈して自分の悩みを解決する手助けにもなる。のめり込みすぎて依存的になる場合もあって、自分から在り方だなぁと思いました。お釈迦様様も人間なのだから、苦しみ悩みに苦しむのは手放します。
最後の共同体感覚の話では、コミュニケーション自体も愛と感謝の床なのか、恐れ不安の床なのか…その捉え方なんだなぁと理解しました。
一方的に思っているだけでは相手に伝わらないし。黙ったまま心で本当はこう思ってるんです!と念じていても伝わらないのですよね。ありがとうと伝えるから伝わるし、双方向のやりとりがあるからコミュニケーションが取れるんですもんね。一方的な関わりだと傷つく心配がなくて心が安定する。関係性を失うのが怖いから、最初か関わらずに関係性を築こうとしない選択を無意識にしてました。怖いと同時に、人と関わりたいという思いも強いから、人と関わっているし今ここにいるんだと思います。
いい人にみられたい。知って欲しい。もっとオープンに在りたい。伝えて良い内容か不安になる。正解を求める。送るタイミングを考える。言葉の定義や使い方が気になる…何か伝えるとなると、書けば書くほど、ありのまま?エゴの塊じゃない?と次々と余計な事を考えてしまいます。正解を求める癖も出ます。
その反面、何を書いても受け容れてくれる皆さんがいるから大丈夫だろうと思って、こうして書いております。皆さんの考えとか、日常であった出来事の捉え方を知ることができて楽しいです!いつもありがとうございます✨
(阿部あさひさん)

ありがとうございました❗️深いです‼️(やっと観させて頂きました)頭が、良い具合にパンパカパンです!
私が一番あぁ!と思ったのは、人間の悩み・苦しみはどこから来るのか?のくだりです。
ずっとここで生きてきたなぁ。
いや、最近も、思いをもつ→「こうするのがあたり前→感謝ない」ループで、不満の床(習ったとこではないですが笑)から、全てを観てたなぁ。気がついて良かった!おかげさまで立ち止まれます。
同時に思ったことですが、自分を好きになる勇気、を育みます。
自分を受け入れる。だー!
小さなところから共同体感覚を作っていって、色んな場でも共同体感覚でいれたら、こんな幸せなことはないです。
PS  孫が、蓮介といいます。(弟の方)
息子夫婦が色々考えて名付けたそうですが、この蓮の話を伝えたいと思います。
(梶野和美さん)

第1回「ありのまま笑育学」のはじまり

講座の感想は、全体として、自然でいいってところ。
●ティール組織の良し悪しで考えず、全ての人々は全力で頑張っている部分
●なぜ計画や目標を作るのかのところで、努力をすればするほど、自然に歯向かう。神様から邪魔してしまう。病気や事故が起こるのも、そんなに頑張らなくても大丈夫というサイン、神様が邪魔してしまう。
●いい人でいようとするのは、恐れと不安があり、こうしなければならないとかになり、周りを気にし過ぎてしまう。全ての行動に対して愛と感謝で起きていると感じて、「ありがとう」を伝える。全てOKなんだってところ。
この3点が自分が今学べた、刺激を受けたところです。
ブレイクアウトルームでは、2組の皆とお話できた事、聴けた事、素直な気持ちを伝えて受け入れてくれた事が嬉しかったです。これからも一緒に学べる事が楽しみで仕方ないです!!
追加: あらじんさんがゆうじんくんの成長ぶりをお話していた事も自然体でいいんだなって感じたし、自分もあらじんさん、ゆうじんくんみたいな存在になりたいと刺激受けました。
(伊勢木浩樹さん)

◯あらじん塾で学んだことを天外さんお言葉で再び体に入れたって感じの時間だった!あらじん塾での半年間で実存的変容に自分が向かえてたとわかって勝手に大興奮!
◯これまでと比べものにならないほどの、皆さんのエネルギーが高くて、写真撮ってもどの顔もみんな笑顔だったのに驚きすぎて興奮している!
◯ちーちゃんが今日まさにあったこと、今夜それを学びとして受け取る意味があったんだと話してくれたこと、いっちゃんが病気になるってことはこれまではマイナスに受け止めてたけど自然の流れに逆らってるってことなんだって言ったこと、もんちゃんの仕事でありのままで居られないと話してくれたこと、そして何よりなおさん初めてなのに全然ずっと一緒に学んでたみたいだったこと。。。どのシェアも最高すぎて幸せすぎて泣きそうになった。聞かせてもらってありがとう!
◯自分がずいぶん楽に生きれるようになったのは、これまで体験してきたたくさんの波波のおかげなんだな〜と思ったし、そしてまたきっと大きな波波を経験し段々とまた更なる実存的変容に向かうんだな〜〜楽しみだな〜
◯イマココをご機嫌でいることを何より大切にするってことだなって思った
◯またここでこのメンバーで学べて最高すぎた!
今日はほんとに皆さんありがとう!
(山本由紀さん)

一番印象に残ったのは、「全ての行動を、恐れと不安の床ではなく、愛と感謝の床から」のところです。
今までの人生を振り返ると、恐れと不安からの行動だらけでした。
営業の仕事のときは、数字ができてなくて部長に怒られるのがとても怖かったのと先輩同僚後輩にみっともない自分を見せたくなかったので、お客さんの気持ちを考えずに自分の考えを押し付けて提案したり、時にはやってはいけないことをして契約をとったこともありました。
今の仕事では、マスターに朝活部に入ってることや夢をもってることは、意識が高くて凄いといわれて採用されたことが凄く重荷になり、期待を裏切りたくなくて、がっかりさせたくなかったので、お客さんに対しての接客や気配りを一つ一つ気にしながら仕事してました。
もう何より凄い自分、良い自分でいなければいけないというのが一番にあってとてもしんどかったです。
でも 今日の講座を聞いて「こう思われたくないからこうしないといけない」っていうのは私の勝手な思い込み、考えすぎ、気にしすぎなのではないのかなと思いました。
もう凄い自分、良い自分でいるのは辞めてこれからはみっともない自分、ダメな自分をさらけ出してありのままでいようと思いました。
なかなかそう簡単にすぐには実践できないと思いますが、今自分ができることは人生で初めて最後まで読んだ本で講座にも出てきた白駒妃登美さんの『天命追求型の生き方』に書いてあった、目の前のご縁を大切にすることや目の前の人を笑顔にすることを心がけてこれから仕事しようと思います。
昨日は2組の皆さんとブレイクアウトルームでお話できてとても楽しかったのと、ネガティブの自分を受け入れてくれたことに感謝です。ありがとうございました。
(一文字由佳さん)

僕は正しさに囚われているなぁというのが最近よく思わされることです。
正しさは刃物になる。
正しさ、いわゆる正論で相手を倒してしたけど、何も得るものがないという経験をしてしまいました。
正しさは人によって違うので、自分の中の正しさで、イライラしてしまうこともよくあります。
ほとんどのことを正しくやろう、失敗しないようにしようと恐れと不安の中でやってきた気がします。
そのおかげでうまくいったこともたくさんあると思いますが、心の安らぎについては、?と思うこともあります。
メリットもデメリットもわかった上で統合という言葉がすごく惹かれました。
これからどうやって統合していくのか、愛と感謝の床になっていくのか、とても楽しみです。
もっと笑える人になれるのが楽しみです。
(清水大輔さん)

昨日の沢山の学びの中で、ペルソナとシャドウを統合する。全部自分オッケーというところからですが、、
私は、中学生の頃、一時期無視されたり、嫌われたり時期があり、皆様に嫌われないように、LINEを見返す癖があります。黙っていればいい、隠れていれば大丈夫。など、思って、良い子の私しか見せていないかもしれません。共同体感覚がまだあまりわかりません。
最近、何故かわかりませんが、自分らしく、少しづつ、嫌な自分を出しながら、実践中。恐れと不安ではなく、愛と感謝に変わることが少しづつ増えている気がします。良い、連鎖が毎日あることを、皆様に知ってもらいたい自分も顔を出してます。
実存的変容を遂げて、楽しい人生を、送るために、まず乗り越えないといけない、仮面をかぶるを減らしていきたいと思った、初日でした。ありがとうございます。
(畠山由香理さん)

昨日は、ありがたい気持ちいっぱいで、学べました。ありがとうございます。
『振り返り』
私は、蛹の話が印象的にのこりました。蛹から、蝶になる。自分の思い込みで、蝶を選択していない事もあるかもと、考えていました。まだ、知識をつけなきゃ!経験!まだまだ!なんて。これもまた、自分のマイナス面も頭では愛だと分かっていても、長年の思い込みや、潜在意識にある、積み重ねたマイナスの残骸が顔を出します。
サミットや、出逢いによって、それもありあり〜とは、なってきていますが。これからも、実践しながら、皆さんで学びたいです!ありがとうございました(╹◡╹)
(森直子さん)

昨日はありがとうございました!チームでのブレイクアウトルーム、鳥肌もので楽しかったです❗️
振り返りです。
『実存的変容』を果たす人が増えると自由度が増すなぁ、
共同体感覚もあたりまえの状態だよなぁ、何より嬉しい楽しい気持ちいい、の世界だなぁ、、なんて思っていました!
今回私にとって肝だったのは、ズバリ、蛹が蝶になるのは自然のこと❗️蛹の時代に作った目標でいくら努力しても、でっかい蛹になるだけ、決して蝶になりません❗️のところです‼️
それは、自然の摂理に反してて、努力すればするほど神様の計画を邪魔してしまうからーー‼️
目が覚めました‼️
変容に向かうときは目標も計画も努力も放棄して委ねることが求められる
委ねる。そして、毎日たのしむ‼️ことを決めました^ - ^
以上です。これから、皆さんとディスカッションしていけるのが、めちゃくちゃ嬉しいです‼️
(梶野和美さん)

①計画や目標を作ることについて、今までの習慣なのか、やはり自然と目標や計画を作っています。不安や恐れから来るものも確かにあるけど、そうでないものもある。ただ、ワクワクしてやりたい(目標など)からやるということもあり少し混乱しましたが、あらじんさんの一言で頭の中が整理された気がしました。それは「自分の夢や目標によって周りの人が喜ぶことであればいい(「いい」じゃなくて「違う」だったかも…語尾不明)」でした。自分のエゴではなく無条件の愛で。
②「正しさは、使い方を間違えると、人を傷つける刃物になる」から。最近、些細な「正しいこと」を言われ、気をつけてはいたができていない自分だったらしく出来ていないと他の人を通して言われた事がありショックで夜寝れなかったーまだ引きずっていて、自分の気持ちに寄り添うなどして少しずつ回復していました。ても、その時に正しいことを言っていた人と自分を比較して自分の気持ちを紛らわす事もしていて、そんな自分も嫌だなと思ったり。そんな状態で参加した昨日、あらじんさんの一言でハッとしました。『自分がやっていた』やってたー少し前までかなりキツい事ばかり言ってた!周りにも「キツいよな」と、言われて来てた!バッサバッサとキツいこと言って「私は正しい!」と、やってたーだからだなと思ったら、スッと受け入れられました。ありがとうございます。
③ティール組織について。これは難しいー。ずーっと公務員で、会社の運営とかあまり考えたことないですーどんなに色々考えてもトップダウンの世界です。でも、こんな会社運営できたらすごいと思いました。働く人たちの波動が同じところにないと難しいのかなと思ったり。こんな会社があるのも知らなかったのでとても勉強になりました。天外さんの本も読んでみたくなりました。
(山谷真予さん)

私の中であらじん塾で耐性ができていると思ってましたがありのままに生きる学校第1講はやはり衝撃!!(えっ!?)✨✨→パラダイムシフトがやはり起きました。
ティール組織って、 ジャッジや目標をしないだけでなく事業計画や予算もないんだ! !
と組織の中で事業計画や予算のやりくりに追われてる私にとっては衝撃&驚きでした。他の学びでのリンクするところがあり、この衝撃をこれから自分の実存的変容やありのままの自分というものがより磨かれていくかと思うとさらに枠枠・惑惑してきました!笑 
そして偶然にも昨日、 市内の高校から家庭科の単元を使って「子どもと共に育つ」というキーワードで授業をしてほしいとオファーがありました。 保健師なので発達とか子育て環境のことも含めつつ、今まさに模試や通知表などでジャッジされまくっている高校生さんに向けてこのありのまま笑育学の学びをパクって❤️(にやり)お伝えしていきたいなと思っているところです。 また教えてください
(伊藤恵さん)

楽しみにしていたありのままに生きる学校のはじまりの日がめちゃくちゃしあわせな時間でした。ほっとする仲間、新しい仲間との共同体、そして想像もしない自分に出会えることにわくわくしました。そして、やっぱりこの空間が大好きっ❣️て思いました。
①実存的変容を果たすと恐れと不安ではなく愛と感謝のエネルギーを使うようになる。
私の中にはまだ恐れと不安から行動してることがあるなと思いました。小さい時から母の顔色を見て行動している自分が時々顔を出します。怒られたくない、不機嫌が続くのが嫌だ、いい子でいようと思っていました。
今は、母の背景を受け入れ、もし私が母と全く同じ立場だったらと思うと、母をありのまま受け入れられるようになってきました。
何より私が今ここにいられるのは命をかけて母が産んでくれたお陰だから。
あらじんさんに出会い、あらじん塾で学ぶようになり、色んな感情の自分を統合しながら、愛と感謝のエネルギーが少しずつ増えてきているのが実感できてうれしいです。
愛と感謝で本来の自分を生きる✨
いい親でなく、笑う親になろう
いい娘でなく、笑う娘になろう
②この世の全ての人が、自分が間違っているはずだと思ったら、戦争はおきないだろう。この世のすべての人が、自分は正しいと思ったら、争いばかりだ。
学んでいると、つい〇〇なんだってと相手に共感してもらいたいと思う自分がいて、熱く語っているなあと思いました。
それって、価値観を押し付けてない?自分の正しいの使い方に気をつけようと思いました。言葉で伝えなくても、在り方、生き方で伝わればいいなと思いました。
ありがとうと愛してる、ありのまま笑育学
あらじんさん、みなさん、ありがとうございました❤️
(三吉順子さん)

初めての笑育学参加でしたが、皆さんがあったかく迎えてくださったお陰でリラックスして楽しく学ばせていただきました。みんなの仲間に入れて嬉しいです✨深い学びを共有できる仲間がいることに感謝でした。
○これまでの成功哲学は、自己否定感(恐れと不安)が原動力になっていること。だから、やってもやってもキリがない感じがする→いつまでも蝶になれないから。(蛹の自分が作った目標に向かって努力をしてもでっかい蛹になるだけで、蝶にはなれない)努力をすればするほど、神様の計画の邪魔をしている、自然の摂理に逆らっている→私、でっかい蛹になろうとしてる
○正しさと同時に悪いことを教えていることになる道徳教育。
○恐れと不安からの子育て、行動。考えると大人になってからのほとんど全ての行動が、恐れと不安からの行動になっているような気がする。「〜しなきゃ。」「〜であるべき」で動くのはほとんど恐れと不安の床から。だから、必然的に子供にもそれを求める。本来、ズボラな性格の私は本当は料理も掃除も洗濯もしたくない。でも、やらなきゃでやってる。それも恐れと不安??これを愛と感謝からの行動に変えられるのか⁉️感謝ライザップか⁉️
まとめてるうちにまとまらなくなってきました。
こんなペーペーの私ですが、これからもよろしくお願いします。
(清家奈緒さん)

『いい人ではなく、笑う人になろう
 いい親でなく、笑う親になろう
 ありがとうと愛してる、ありのまま笑育学』
この言葉がすごく好きです。楽しんで笑いながら、すべてをありがとうって受け容れていく。それだけでいいんだなぁって、心がとっても軽くなった感じです。
これからは、恐れと不安からではなく、愛と感謝のエネルギーが生きる原動力になる。これが正に、宇宙の周波数と同調するっていうことですね✨✨✨
最後のブレイクアウトルームでも話したんだけれど、私のダンスがあまりにも酷すぎて、監督にこのままだったら舞台に出さないよって言われたとき、一瞬ヘコんで、私だけなんでできないのって焦って自己否定が発動したんです。でも、次の瞬間、あ、違う。これは、苦手だって逃げてた私に本気スイッチを入れるために言ってくれてるんだって、切り替えることができて。そしたら、ダンスリーダーとみんなが一緒に特訓してくれて、逆にめちゃめちゃ愛をもらったんです。じゅんちゃんが頑張ってる姿からもたくさん勇気をもらって、仲間の存在が有難くて、嬉しくて、すごく幸せを感じました。楽しく練習できたおかげで、1週間後には、ダンスよく頑張ったねって認めてもらえたんです☺
こんな風に、恐れと不安が顔を出しても、気づいて、愛と感謝のエネルギーに転換できるようになってきたことが嬉しいです。これからも、学んだことを一つずつ実践していきたいなと思います☺
半年後にどんな世界がまってるんだろー。めちゃめちゃ楽しみです☺ありがとうございます
(岡山理恵さん)

みなさん!このクラスで学べることが幸せです
まずは第1講座、ともに学べたことに感謝ー✨
■ティール組織の生々しい現場
僕は8年間、ベンチャー企業で働きました。
売り上げが1億円から50億円までの成長ステージを経験できたことは貴重な経験でした。
これは自慢ではなく、組織の中身がカオスを極めていたという事実がありました。
辿り着いたのがティール組織。給与は自分で決める。上司部下は存在しないし、目標もない。でも存在目的はある。みんなはティール(生命体)として、こよ存在目的のための貢献活動をしていこう!
社長が社員の前でこうプレゼンしたときは、聴いていた社員は沸き立ちました。ワクワクしました。
メディアもたくさんきて盛り上げに拍車がかかり、ティール組織への移行の密着取材も受けました。
でも、移行した直後、ほぼ全員の社員がモヤモヤを抱えていました。エゴが捨てきれない人がいました。自分で決めろと言われても判断基準がわからず苦しむ人がいました。周りの人の言動にイライラする人がいました。人の給与に愚痴っぽく意見する人がでました。1ヶ月でこれはダメだと僕は感じました。ティール組織以降がダメなら会社を手放すつもりでやると啖呵を切った施策なので元に戻すという選択はありませんでした。うまくいかなかった理由を何度も言語化してきたつもりだったけど、今回のあらじんさんのお話でより構造的に理解ができました。原因を一言でいうなら僕たちはティール組織を手法として導入していた。ティール組織は手法ではなくパラダイム(認識の枠組み)。すぐに取り入れるものではなく変容のプロセスがあって活きるものである。これが原因だと思います。ティール組織を当時の上層部だけで導入できたらうまくまわったかもしれない。経営視点にも立てて、自分のやるべきことや果たすべき貢献先も感覚的にもわかっているから。そんな幹部メンバーが蝶々なら新しく入った社会をまだよく知らないメンバー、例えるなら幼虫に飛ぼうといっても苦しい。僕も目的を果たすために貢献しようという枠組みに入るまでには目標にバリバリ燃えて達成してきた経験があって、まてよ、これでは疲弊する。理念と紐づいた業務をしなければいけないとWHYを問い始め、人間関係の質を重視したマネジメント体制になり、ティール組織。7年という時間をかけて変容してなんとなく理解できるようになっていった。高校球児に対しても、いま球児に夢や希望がない人生が幸せなんだというのきは違和感があり、夢を描く講座をやっています。夢や目標を描いて最高の仲間と本気でやり切るからそのプロセスの価値と、いまこの瞬間への感謝に気付けると思っています。気づきをまとめると、ティールな状態とは "気づいたらなってる" 状態なんだということ。自分もまだまだエゴが丸出しで、夢が大好きでたまらなくワクワクします。ティールを語ったけど全然理解していないことが絶対あると思うけど、きっといまを本気で笑って生きていく毎日を積み重ねていった先に気づいたらそんな状態になれているんじゃないかなって想像しながらやっていこうと思いましたこういう世界があるということ、それを学ぶ機会をつくってくれているありのままに生きる学校、最高やなと思ってます✨長くなったー笑 以上です!
(増田篤紀さん)

『実存的変容』
統合するとは?を読んでいく中で、恐さと不安(不安)になり、そしてわくわく(きゅん)どんな自分に会えるのか?という気持ちになりました。今のお仕事の仲間との仕事の関係のあり方の中に、どんどん実践していけるといいなって思っています。
愛と感謝の床からの行動、発言‼️
考えれば考えるほど、そのベースには、恐れと不安(不安)利己があるなって感じる。でも自分が1番楽しむ事だなって思っています。今、川崎にいる次女は、今年就職して、この一年間で、27人の同期の中でナンバーワンになる事を目指しています。お客様への愛と感謝の先に、自分の思いがあるといいなって思っています。
今まで潜んでいた私⁉️どんな私が現れるのか楽しみです♪皆さまとの共同体感覚をしっかり楽しめる私になりまーす!よろしくお願いします。
(田中高子さん)

敵な皆さんと共に学ぶ事が出来て、凄く幸せです❣️これからよろしくお願いします。
私は小中いじめにあってきて、私は周りから見てダメな人と思い込む様になっていました。自分を、好きになれない、受け入れられていないのは、やはりその経験が引き金になっている事に気がつき、親や、周りの皆に認めてもらう為には、大好きな人、やお友達に嫌われない様に、兎に角やれる事を精一杯やらなきゃと、愛と感謝よりも不安と恐れで殆ど行動してた事と、知らず知らずの内に自分の中でルールをつくり、いい人、いい親でいようと、自分も、娘も枠に入ようとしてきた事に気づきました。あらじんさんの話の中に「褒めたり叱ったりは、恐れを生み出す」「いい人→枠にはまった人」「笑う人→ありのままに受け入れられる人」「愛と感謝で受け取っていく」この言葉達がとても心に響きました。自分や娘、私と関わる人たち皆愛と感謝のエネルギーで接していこうと思いました。
(南部とも子さん)

一番大きな気付きは☆ティール組織の存在☆
元々あらじん塾で学んでいた、全ての人の命の価値は対等というあらじんさんのアドラー心理学で学んだ事と重なる事があり、うわぁーーー!ってなりました。
そうだよ!みんな全力で生きてるんだよなぁー!
1の人は1を発揮すれば良いし
10の人は10を発揮すれば良い
↑いや、本当そうなんだよなぁー。
そこから繋がる、正しさによる使命感。正しさ(自分の価値観)という物差しで物事を見てしまうから、怒り、憎しみが生まれる。自分も間違っているかもしれないという正観さんの言葉。
全部繋がるっっそして、腑に落ちる。
8日の講座を受けるまで、また私はスタッフを避けていました。それは、何処かで、資格手当払ってるけど、その取得した資格を全く活かしてくれていない事。在庫だけ抱えて、え?いつ販売すんの?取った資格も交通費も私達が出したから、甘えてんのか?とか、患者さんに対する一語一言が、
×「後で教えますね」 ○「後でお伝えしますね」
やろがーい!!!怒
とりあえず、勉強してんのか?進歩ないぞ!本気で患者さんと向き合えーーー!人の予約枠勝手に埋めるな!!!自分でなんとかしろーーー!!!!!変な噂流れとるぞ!いい加減にせぇ!!!!!
コロナワクチン打ちません→彼女(元患者、我が家の隣、人妻。不倫で離婚しました)と子どもがほしーので、ワクチンしません、、、
とかとかとかとか、、、、、、あ、、、そう。
と思う事が山積みで、もうね、とにかく一昨日の講座でうわーーーー!これ、全部自分の正義感で見てた〜!
そして、最後に出てきた恐怖、恐れまさにこれで。
スタッフを立派に育てなきゃの使命感で、接してたし、彼を見てました。超ー最悪な上司です。
だけど、超スッキリしちゃって主人にも全てを話したのですが、主人から一言
「それで良いんだよ」
うわーーー!スッキリーぶっ飛びー!でした!
そうだよ。それでいいんだよ。彼にイライラしたこともそれでいいし、そこに気づいたこともそれでいいし、使命感でってなってたけど、彼は彼なりにそれが精一杯なんだと思えば、私が10出来るなら10やれば良いし❤️それで良いんだなって感謝に超早変わりぃーーー!(!)笑
そしたら、昨日ラグビー部の監督が部活動不登校生を連れて、相談にやってきました。
部活に来れなくなった、選手に、
「休むという意思を監督に伝えるのも勇気がいること。そして、休み続けることは、学校で会うラグビーとの関係も考えるとこれまた勇気がいること。そのどちらにせよ勇気が必要になる選択を迫られて一人で悩んでもがいてたんだね〜。なによりも、今ここに来てくれただけで、千尋さん超嬉しい」って、伝えたら大号泣してしゃくりあげて泣いておりました。
もう、僕はチームに必要ないんだって、思ってたって、、、聴いて
スタッフの事とまた重ねてうわー。この言葉スタッフにかけるべき言葉やんとも思って笑笑笑
学びの場、到来、、、
でも、何も言わなくても昨日の話し合いを隣で聴いてたスタッフが、今日の昼休みに一言
「良かったです。昌毅(選手)帰って来れて、本当に良かったです。深い話でした。めっちゃ感動しました。」
って、話してくれました。
花束ものです。
本当に、学んでよかったと思うことばかり!!!
日常での環境とリンクしすぎて、感謝で溢れています!!!長々と失礼しました!!!
(櫻井千尋さん)

大阪のじゅんちゃんです。ついに始まりました。よろしくです❗
頭のペルソナ➕シャドウ=実存的変容っていう理解がまだまだ浅い。説明ができないです。
でも、自分の本性をさらけ出すっていう…「統合」はしたいって想いました。出来てない気がするので…
あと、大好きなフレーズ「笑う」を見たら笑けてくる(大阪弁)。この笑う=受け入れることっていうのがホントに気に入ってるとこです❗笑う人、笑う親、笑う子めざしてこれからも学んでいきたいです❗
(平田純一さん)

初めてのあらじんさんからの学びに始まる前からドキドキワクワクしてました。
そしてテキストが来て「よしっ!!ここから更に楽しい事始めるぞ~!!」と思いきやプリントアウトするなり初めての言葉が多く「ん!?」と頭の中がハテナだらけに。
でも講座の中であらじんさんの学びを聞き、ブレイクアウトで皆さんと意見を共有できて難しい言葉への拒否反応が薄れました。
今回はペルソナとシャドウ、実存的変容、そしてティール組織という言葉が印象に残りました‼️
ペルソナとシャドウ、常に持っていると思います。
特にこういう場がまさにそうかもしれないです。
一生懸命あーでもない、こーでもないと考えた文を送ったりした後で、人のと比較してしまい、この人こんな視点で書いてて凄いな、と思う反面、私もこんな風に書けばよかったとか、あーこの事も書けばよかったとか思って落ち込む時があります。
ん?これってペルソナとシャドウで合ってるのかな?書いてて不安になりました。もっと勉強せねば‼️
そしてそれをどちらもさらけ出してしまう。
家族や職場、友達それぞれに見せる顔ってのが人にはあるだろうから中々難しいですよね。
そしてティール組織。
目標がないってのがすごく衝撃を受けました‼️人って小さな事でも目標があってそれに向かって頑張るってイメージしかなかったので、組織でそれがなくても業績がいいのに驚きました。学んでいて「これってすごい、こんな事が周りに広がればいいよね」と思うのに、はたして自分にできるのか⁉️
少しずつ自分の常識を取り除いて実践していきたいです。
半年後、えっ!?その顔が真顔なん?って言われるくらい、今以上に笑顔満開をめざして学び楽しみます。
あっ、でもこれも目標設定してるって事は恐れと不安があるからなのか⁉️
やっぱり学びって奥深くて難しいです。半年間よろしくお願いします❣️
(平田弥生さん)

久々で嬉しさと楽しさからのワクワク感そして講座途中から、心のざわざわが混在して、講座終了後は何故かしばらく泣きました笑
自己否定感、統合、床の話から、自分自身をジャッジしていて恐れと不安の中にいたと気づいたからだと思います✨
私は学んでも同じ事を繰り返し、セミナー受けても変わらない典型と自分をジャッジしていて。沢山の出会いや学びがあったおかげで今がある、でも途中で向き合えなくて逃げてしまう。心の根底のモヤモヤが晴れないような感覚です。だから、ありのままに入る!と決めていて楽しみがあった反面、何だか恐かったんです。
今回の学びで、反対側をみる、愛と感謝、ありのままでいる、と気づいて行動したとしてもざわつきが消えないのは、奥底の根底のエネルギーが恐れと不安だからかとハッとしました。独りになりたくたい、嫌われたくない、変化が恐い。無意識でそう思っているのが当たり前になっていて、自分の思考自体がジャッジしている事にも気づいていませんでした。気づけて良かったです☺️
蛹はどろどろに溶けて細胞分裂を繰り返して蝶になる。結局統合するんだから、私が今生きてい体感している事は、蛹の中でどろどろに混ざりあってる状態なんだと思えて、楽になりました。
今味わっているこのワクワクとざわつきの感情も、共同体感覚を味わえた経験も孤独を味わう経験も酸いも甘いも泣くのも苦い経験も全部必要なこと。学童を辞めると決めてから今の職場の有り難みをが感じたり、反面折り紙の使い方で揉めてくだらないって思ってしまったり。そんな自分と認めて、いい人にも悪い人にもなって味わおうって書きながら思えました☺️
人間は物体として形構造が変わらなくても、脳や心の在り方や意識やエネルギーでも個性が出て違いが生まれるのが面白いなぁと、蛹の話を聞いて思いました。
蝶になれるとしても蛹になってどろどろ感は味わいたくないです。人間に生まれてきて良かったです❣️
(阿部あさひさん)

今回は小林正観さんの、病や事故により自然の摂理からのズレを知らされる、というところが一番ささった。
なんだか生まれつきの虚弱や先天疾患まで責め立てられているよな気分になってしまった。そんなこと言ってないんだろうけど、いろいろ思い出され想起され沸騰したヤカン状態になっていた。
地球上、天皇から猟奇殺人者まで人類すべからく所詮「ただの人」なのに、「ただの人」が「これが真理だきみたちよ!」って言いおおせるみたいで不気味だと思った。正観さんはそのあたりがうまくて「どうも〇〇らしいんです」みたいな書き方をするのでいつも「なんだかうまい具合に逃げ道作るよなー」って全然違うところでも勉強になる。誤解のないように、正観さんの本はいっぱい読んでるし好きだし、イタコみたいな人でもないから伝え方がああいう感じになるのはごく自然とも思う。
世にあふれる「愛と感謝で体調抜群!」「病気は魂をいじめた結果!」みたいな論調に綾子はものすごく嫌悪感を持っている。(正観さんがそういう意味で言ってないのはわかる)
おそらく真理からしたら正しいのかもね。なんとなくだけど、綾子も魂の世界から見れば本来病はないのだろうな、と感覚的にだけど思う。
でもその正論をまるまる「人間」ってものに呑ませようって姿勢に出会うとすごく苦しく感じる。「体調不良者は全員バカ!」「全員魂が未熟!」「教えてあげるわ生き方をぉお!」みたいな激しい人に出会うと純粋に戸惑う(自然療法とかの世界には多い)
そういった激しい宣いを繰り広げてきた人々のどれくらいが「ピンピンコロリ」や「眠るように」だったんだろう。誰も脳卒中やガンにならなかったんだろうか。愛する家族が病に伏したときにも「おまえ魂で生きてないからアカンのだー!!!」とか本当にやってたんだろか。
病に対峙して、死の恐怖に一番の臨場感を持って向き合うのはやっぱり本人かな(未体験なので推測)。そこに向き合う家族も命にとても向き会うと思う。少なくとも綾子はママのステージⅣ-3のガンの手術のとき、何も考えられない大混乱だか静寂なのかわけのわからい状態になった。だけど言いようもないとてつもなく大切な一点にひたすら懸命だった(うまい言葉が見つからず)。文字通り腹を割って十時間の勇気の闘いに向かった人に対して「未熟じゃー!」なんて過ぎるはずもなかった。なんというか、ひたすら自分自身も腹を割ってた(自分から自分への正直な自己開示みたいなものがおこってた)
「病」は「劣等の象徴」なんかじゃない。「懸命に生きていない証拠」などでもない。「喜ばなかった罰」でもない。今まで病気で死んでった人間全員にそんなこと綾子は言えない。激しい論調組ともども、みんなただ一生を生き切ったんじゃないのか?今現在、激しい論調を打ちまくらないと収まらないYouも含め、みんなただ生きて生きて生き抜いてるだけじゃないのか?
そんなに不安なのだろうか。世の中に自分と違う感度やベクトル、肉体や精神の状態を持って生きている人がたくさん存在するということが。その状態でもその人なりの喜びを見つけ、表現を尽くし、休息を他人の三倍くらい得て生きている姿が。脚のない人の姿が。胃をとった人の姿が。発達障害の姿が。
人って主張が激しくなる部分には、特に強い「恐怖の床」があるんだなって思った。そこを砕かれると、自分が滅亡するくらいの恐怖があるんだなって。
これをこうやって書いてる綾子も、言えば言うほど、言わずもがなの「激しい主張の人」であり「恐怖の床」に大砲完備の要塞の住人ですね。
それが例えば、闇だ影だ自己否定感だとして、その闇や影や自己否定感を、こうやって明るみに出せることが有難いことだなと思います。
(原綾子さん)

生きているいる事、家族、友だち、仕事全てにおいて、当たり前の感情だったんだなぁと思いました。
感謝をしないから、今の自分になってしまった。
感謝、愛の大きさに、改めて、気付かさせていただきました
あらじんさんは、やっぱり凄い方、また大好きになりました❤️
(松田千鶴さん)

今日が初講座でしたが、ほとんど座っていられず。
言葉のシャワーを浴びながら横になって聴いている状態でした。
ブレイクアウトでのかなえちゃんのシェアやちーこちゃんのシェアを聴いて、自分もそんなことあるなぁとか
最後のめぐちゃんの質問のあらじんさんの答えが一番印象的でした。
味覚嗅覚がわからない状態なのですが
思考能力も低下してるなぁとびっくりしてます。
(永尾千里さん)

心に痛いほど響く時間でした。
朝、夫にイライラして 言われなくてもわかるだろーと
私の中に夫への期待が大きいなーと感じました。頭ではわかっていても心からわかっていない。
夫の行動をジャッジして、あるものへ目がいかず、ないことにフォーカスしていました。
視座を変える
今あるしあわせ
息ができるだけでしあわせ
周りのおかげで今がある
この波動なんだよなー
いざ夫を目の前にすると、イライラしてしまう。みんな最善を尽くしている。えー本当?って思う自分がまだいます。夫はこの学びをしているわけではなく、同じ事を求めても無理。やっぱり最善なのでしょうね。
合掌
合掌する事でこれが最善 私の大切にしたいあり方。それは安心と安全の場。まずは目の前の家族に安心と安全。目の前の半径5メートルをしあわせに。
10割狙うのではなく3割バッターで
夫への期待が大きく、マイナスの眼鏡で見ているなーと感じました。まずは今目の前にあることが当たり前ではなく、感謝します。
命のお話 子供のことでは偉そうに話している私ですが、夫 親とのことになると、まだまだ成長の場にいます。シャドーいっぱいですねー。裁いてる。今日気づいた事で成長の機会がやってきましたー。こんな出来ない自分もよく頑張ってきたねー。大切な一部です。ハグ❤️ありがとうございました。
(野澤かなえさん)